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第16話 ダニとノミ

「お客様、只今、当店には最高級ホーンビーフが入荷しています。是非、カウンター席でお召し上がりください」


「いえ、結構」


 私はイムの前に空間を展開し、彼女にしか見えない文字を書いた。


「分かりました。行こう、イム」


 彼女は呆れた表情を浮かべ「こんなときに……」と零して席を立つ。


『ダニとノミ』


 確認できるのは一匹、確認できないが存在するのが一匹。敵がいるという符号である。


 ひとつの扉を開けた先にあるカウンター席には誰もおらず、外からの視線も遮るようにカーテンが下ろされていた。


「男っ気のなかったお前が、まさか女を連れているとはね。やけに靡かねぇなと思ったらそういうことか」


 ウェイターの声色は客へ向けたものから、長年の友人に向けたものへと変わっていた。声色だけでなく、顔も。表情や髪型だけでなく、骨格から別物に見える。世界で一番男らしい顔を持つのは誰だと言われたらこの男の名前が上がるだろう。そんな忘れられないほどの顔を持つというのに、何故か顔を上手く覚えきれない。これといった特徴がなく、整いすぎているからだろうか。


 見知ったその顔は、特務機関の一員であり、王都に潜入していたヴァルター・トンプソンのものだった。


「皇女様の前だよ」


「おぉ、よく見れば。いい変装の技術だ、特徴を上手く消してる。お目にかかれて光栄です。イムグリーネ第二皇女殿下。特務機関のヴァルター・トンプソンと名乗らせて貰いましょう」


 気づいていないわけが無い。そして、それは皇族に対する態度としてはあまりにも杜撰だった。だが、彼は元からこういう人間だ。適切な対応を知っておきながら、必要なものでは無いと割り切ると途端にこうなってしまう。


「そう、覚えておくわ。いまは持ち上げられる気分じゃないから適当にして。で、考えはあるの」


「話が早くて助かるな、顔も良い。どうだ、これから一杯いかないか」


「……ヴァルター。やめて」


 彼の変装技術は、女性をとっかえひっかえしている内に、恨みをやたらめったらに買ったせいで、逃亡生活を余儀なくされていた時に身についたらしい。ロクでもない男だ。だが、命を懸けたその場面で培われた腕は確かで、その技術を買われて、潜入捜査などで用立てているわけだ。貴族、要人の利用するこの店で情報を仕入れていたのだろう。


「それにしても、皇女殿、厄介な奴に狙われてるな。なかなか見ない顔だから気づいたが、それ以上は尻尾を掴ませない」


「それはこちらが後手だから? それともあなたの力不足?」


「俺の力を保証したのは女帝だぜ」


 イムは少し考えて、当たりがついたのか目を開いた。


「……まさか、番号付き?」


帝国序列(フロンタルナンバー)八位(シェパード)”」


 イムが感心して彼を見た。彼は、帝国で八番目の魔術的な技量を持つ男。大したことでもないと言うように肩を竦めて酒を煽いでいるが、これでも最強格である。しかし、それの追跡を煙に巻く敵とは何者なのか。ヴァルターの煽る赤いワインを見て、直近に聞いた警告が頭に浮かんだ。


『赤い手に気をつけろ』


「男の部分だけで見れば“一位(アリア)”だったろうな。外のヤツらに心当たりは無いのか」


「……ある。赤い手かもしれない」


「マジかよ、全員殺したはずだぞ。あぁ、いや、そういう事か。分かった、その線で行こう。どっから狙われてるか分からん、炙り出して食べちまおう。裏口から出るぞ」


 彼は何度も頷くと、カウンター裏にある、用務員用の出口へと案内した。ヴァルターが扉に手をかけて振り向いた。


「俺も空間魔術で護ってくれよ。ほら、不安でドキドキしてる」


「後がつかえてるんだけど」


 皇女の冷たい言葉に肩を竦めながら、彼が先陣を切ってそっと扉を開ける。飲食店の狭い裏路地は月明かりに照らされて薄暗く、コンクリートの高い壁に挟まれた圧迫感があった。ダクトから送られる生暖かい空気を浴びながら外に出る。


 ヴァルター、イム、私の順に外に出て、扉を後ろ手に閉めると、踏み出した一歩に違和感が体を包んだ。体が異様に軽い。私の体は、思いっ切り踏み込んでジャンプした時のように空へと浮き上がる。いつもの様に歩いていたはずが、軽い踏み込みが体を空へと浮かべる。勢いは無く緩慢だ。先を歩いていたヴァルターも、身体に起きた異常に対応出来ずバランスを崩しているが、身体が降下しないため中空で立て直している。身体が空に浮かんで上手く動かせない。なんだかこれは、水の中で藻掻くような不自由さに似ている。


 寒気がした。震えるような、背筋を撫でるような寒気。殺気。「来るぞ」とヴァルターが叫ぶと同時に、咄嗟に掴んでいたイムを抱き寄せる。


 すると、展開していた空間に絶大な衝撃が走る。巨人が咆哮したかのような音が鳴り、指先が震える。空間で受けた攻撃の中でこれほど激しいものは今の今までなかった。ズグロと戦う前の私の空間だったなら耐えきれずに割れていたかもしれない。


 一瞬見えたその物体は人の胴体ほどある円錐状の金属。それが高速飛来し、こちらを仕留めに掛かっていたのだ。私の空間に阻まれたそれは、その殺意の切っ先を逸らされたにも関わらず威力を全く衰えさせずに、レストランに向かう。円錐が通過した場所は、何もかもが呑み込まれるように破壊されただの風穴となった。


 遅れて、展開した空間が、衝撃に揺れる。建物の破片、支柱だったもの、テーブル、椅子。そして、人間。軽くなった重力を泳ぐように、千切れた腕、骨や赤黒い内臓。人の一部と血液が、食物と血腥い悪臭と共に浮き上がっている。地獄絵図だった。


「なかなか、いい服着てるじゃないか」


 ヴァルターの低く、よく通る声が風穴を撫でる。彼は私たちよりも先に居たので衝撃に巻き込まれたはずだが、無傷のように見えた。彼が指を向けたのは、風穴の空いた飲食店、私が礼を送ったあの紳士が浮いている。空間に浮かびながらも、浮いたテーブルを掴んでこちらを真っ直ぐに見つめている。何も感情を映さない瞳。人殺しに慣れた人間の目だ。その証拠に、紳士の身体にも全く傷が見えなかった。


 ヴァルターが、指を引くような動作をすると、紳士の体は制御を奪われた人形のように歪に動き、肉片が見えないほどの、血飛沫ともいえる細切れになった。


 空に浮いていた諸々は、思い出したかのように落下する。耳が割れるような金属音、物が落下する音が終わる頃には、土煙も収まって、浮いた地獄絵図は地上絵になった。


「目に悪いわ。特務ってみんなこうなのね」


「細切れにしたら確実って教えられるからね」


 あの紳士がダニだった。円錐の狙撃を補助していたのかもしれない。標的を低重力化に嵌めて自由を奪い、狙撃手の鉄塊にて必殺する。あの攻撃力、防がれるのは想定外だろう。


 身構えていたが、二発目の狙撃は来なかった。ノミの方は慎重なのか、狙撃地点を割り出される前に逃げたらしい。


「逃げられたな。いや、良かったよ。お前の空間魔術が最高峰で、直撃してたら死んでたかもなあ」


「死んでたのはヴァルターじゃなくて私とイムでしょ。だけど、流石だね」


「悪いけど、ちょっと、いいかしら」


 抱き抱えていたイムを話すと、土埃にドレスが汚れることも気にせずに瓦礫の山へと歩いていく。襲撃直後で彼女を一人にするわけにもいかず、ピッタリと横を歩いた。


「どうしたの」


「まだ生きてる人がいる。助けるから、手伝って」


 彼女の目には心臓の鼓動も見えているらしい。彼女は有無を言わさずに瓦礫を手で退け始めた。その横顔はどこまでも実直で真剣で。私も彼女に助けられたひとりなのだから、手伝わない理由はない。


「分かった。あと……イムは、私が護るから」


 しっかりと、さっきの返事も含めて言ってやった。襲撃のせいでイムの話も有耶無耶になってしまったが、有耶無耶のままにはしたくないし、実直に話してくれたのなら、実直に答える。わたしは、そうでありたかったのだ。


 イムは「ふん」と、高慢ちきな返事をして私から目を逸らした。


 その後、集まってきた野次馬達と自然に手を取り合って救助は終わった。憲兵達も通報を受けて救助に来ていた為、身分を説明する必要があり他国からの旅行中に襲撃に巻き込まれた、というていで事情を説明した。一応、まだ第二皇女は到着していないことになっているため、正体を明かすわけにはいかなかった。


 皇女が王国に到着したことを政府に黙っていたのは、政府からの護衛が付くのをイムが嫌ったためだったが、そうも言ってられなくなった。襲撃に備えるためには人の手はいくらあっても足りない。


 だから、昨晩しれっと王都に到着していたことにして、王国政府に報告した。案の定、護衛という名の監視が付けられ、目の前にいる二人がその代表である。しかし、彼ら王国政府を信用して動かすことはしない。ただ、王国正式に皇女の存在を認めたとなれば、活動家によるテロや敵意扇動による事故、雑魚の襲撃は確実に減る。


 翌日のホテル。帝国の血を一方的に敵視し、喉を潤す代わりに、嫌味を言って場を荒らす政府役員二人。その性質は階級上位に近づけば近づく程現れるのだろうし、皇族の護衛を任されるほどの身分ともなればその性質を強く引いているのも頷ける。これでも、柔和な人間を選んだのだろう。


 座っているイムは飄々と流していたが、後ろに立つ私はビクビクとしていた。役員が何か喋る度に横に並ぶカッツィの尻尾がゆらゆらと揺れて毛が波立つからだ。彼女が本気で飛びかかったら私は止められる自信がない。そんな中、やっと毒物が退散したかと思うと、気づけば上品な紳士が役員に成り代わって座っている。顔は違うが、その嫌味な笑みから、直ぐにヴァルターだと分かった。


「ヴァルター、どうしてここに?」


「先日ぶりだな、いや、積もる話もあるだろうと思ってね。参上つかまつったわけだが、間が悪かったか?」


「いや、構わないわよ。それにしても、褒章がジャラジャラね。今度はなんと呼べば?」


「ヴァルターでいい。いや、最初はただの一般市民だったさ、遊びでいろいろやってたら気づいたら男爵になっちまった。周りの目は気にしなくてもいい。男爵がヴィッツとつるんでも、誰も気にしやしない。そういう名前だからな」


 ヴィッツというのは、帝国人のことだ。王国貴族が帝国の血を引くものを差別する時によく使われる言葉だが。その言葉自体に侮蔑的意味は無い。


「貴族になるのを受け入れるなんて、酔狂だね」


「領地はもらってないからな。監督不行き届きも反逆も気にしなくていい。気楽なもんさ」


 そこらへんに転がる浮浪者に、明日から貴族になるかと聞いてもほとんどの人間が首を振って逃げ出すだろう。民衆を相手取る以上、相当な愛国心の上で成り立つ役職だ。


「おや……そちらのお嬢さん。お初にお目にかかる。帝国特務機関のヴァルター・トンプソンというんだ。美しい毛並みだ……月明かりに照らされた漆黒の海のようだ。可憐で愛らしいその喉から発せられる声はさぞかし美しいのだろう。どうだ、この後お茶でも……」


 ソファから立ち上がり、佇むカッツィに美辞麗句を並べながら近づくヴァルター。彼女は目を伏せて無視していたが、ヴァルターが顔を覗き込むようにへりくだったので、それに応えた。


「これは手厳しい……」


 私からはカッツィの表情は見えなかったが、冷や汗をかく"八位(シェパード)"の顔を見て大体想像はついた。彼も、女性を手玉に取る歴戦だけあって、手を出していい相手とそうではない相手は理解しているようだ。


 さて、聞かれたら不味い話なので彼を会議室へと招いて話を続ける。イムはホテルの階層ひとつ丸々貸し切っているため、付き人達が使っていない空き部屋を会議室とした。


「帝国であった話はどこまで知ってるの」


「いや、最近は全く知らんな。鳩は送っているが、帰っては来てないぞ」


「じゃあ……リサが、殺された話は」


「……なんて言った?」


 彼は何も知らされていなかった。事件も虫のことも。情報を送ってくる鳩もなぜか機能していない。私は最初から全てを話した……


「おい、スレイブならこないだ会ったぞ」


「は!? いつ会ったの!」


「いや、俺の働いていた店が壊される三日前だな。働いていたらボロ切れになった軍服の隊長が来て、ユウメを手伝えって言い捨てて、そのままどっか行っちまったからどこにいるかは知らねぇ」

 

 父は王都にいる。彼は帝国から逃げるためではなく、同じくリサの足跡を追うために走ったのか?  ならば、なぜ私達に説明しなかったのか。そして、この王都に帝国の剣とも言える特務が半数以上集中していることは偶然と言えるのか?


 だが、それよりも気になることがあった。


「ダインは、いた?」


「いや、いなかった」


 ダインは一人でどこに行ってしまったのだろう。どこかで戦い続けているのだろうか。心配で心配で、たまらなかった。


 彼は断りを入れて煙草に火をつけると、口元でかみ潰しながら言った。


「いろいろ気になることはある。だが、ひとつ言えるのは、帝国に内通者がいることは確かだ。魔力証書の偽造と情報の遮断はそれで説明がつく。そして、この伝達手段は特務しか知り得ないから、内通者は特務機関にいるな。カルベラは有り得ないし、俺も有り得ない、と信じたい。スレイブはそんな虫にやられるタマじゃない。カフェかサージェ、大穴でダインだな」


 特務機関はひとりひとりが高戦力ということもあり、女帝その人によって常に監視されている。その見つめる瞳は網目だ。チェス盤みたいな網目。だけれど、ノミの一匹もその網目を通ることは出来ない。未知のことであるし、特にダインは、絶対にありえない。根拠は無いが、経験に根拠が勝る根拠も無い。


 ヴァルターは紫煙の上がる煙草を頭上でクルクル回しながら言った。


「まぁ、待てよ。言いたいことは分かる。有り得ない。王国にいる俺ですらヘタな発言する時はビクビクしてんだからな。だが、そうとしか考えられない。隊長もそれに気づいて追いやられたって考えたら、ピッタリだろ。クリュサオルが女帝の精度を上回ったってだけだ」


「でも、全員そんなことする人じゃない。カフェ副隊長は筋金入りに優しくて、なによりとんでもなく賢い、感染しているなら何かヒントを残すはず。サージェも、嫌いだけど、あいつのやり方は嫌いじゃない。それに、ダインとか。絶対有り得ない。全員不自然があれば見抜けるよ。そして、あんまり口に出したくないけど、やられるのならまず、私だよ」


「はっきり言ってしまうけど、性格と経験は関係ない可能性が高い。寄生虫がそこまで高度かと言われれば、そんなことはありえないけれど、全部がわかっていないから、最悪を考えましょう。ユウメが寄生されなかったのは……なにか条件があるのかもしれない。クリュサオルに負ける条件が」


「その通りだ、皇女殿下。極端な場合、カフェの言ったことが全部嘘で、今頃帝国が火の海ってことも有り得る。王国政府が騒いでないから、それは無いだろうがな。水面下でどうなってるか全くわからん、事態は深刻だぞ」


「……一度、帝都に戻るべき?」


「いや……難しいな。根源的な対処を考えれば、王都にいるべきだ。皇女の目がここにあるからな。うーん、少し深く考えるべきか」


 彼は、カフェと同じことを言った。


「……そうだ、リサの足跡を追うべきだ。俺なら王国であいつが何をやっていたか知ってる。それをひとつずつ追えば」


「クリュサオルの根源が分かるかも」


「そうだ。ただ、今は出来ない。俺も自由に動ける身じゃねぇからな。お前達に動いてもらいたいが……赤い手が邪魔だな」


「それなら私にいい案があるわ」


 イムが胸を張って言った。


「大きな魚を釣る時は、たくさんの餌を使うのよ」


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