第14話 冬季闘技大会開催中!
伝声管から、金属が声帯を持ったようなぎらついた音が響いている。
『さぁ、ゾリグの巨大な剣が猛威を振るう! 近づけない、近づけないぞ。 剣の嵐のような光景です、さぁ、場外が迫ってきているマーベラス・チェスター! おぉっと、ここで降参! ここで降参です。勝者はゾリグ、大鎧の大剣使いが初勝利を掴みました』
城みたいに巨大な猫がいたら、当たり前のように寝床にしそうな形の闘技場でゾリグと呼ばれた大鎧の男が片手で壁のような大剣を振り上げると、それなりの歓声が上がった。今日の試合に、国民の需要は少ないようだ。
『いやぁ、面白い戦いでしたね。ジョンさん』
『えぇ、ただ強いだけでなく彼は魅せてくれました。余裕のある男には余裕のある未来を感じさせます。なかなか地味な結果が多いですが、彼のような豪快な戦いは見ていて気持ちがいい。これからも期待出来ます』
『はい、ありがとうございます。では次の闘士の入場です。王国への激噴か! 英雄への怨恨か! 北から来たるは獣人。黒猫のカッツィ! そして南からは下位帯二位、安定した戦いに定評のある男、カーク・ソーン!』
私は今、観客席のひとつに座っている。いつもの軍服はイムに剥ぎ取られて、ごろつきのようなくたびれた黒革のコートを着させられた。イムも日頃から変装していたからか、彼女の浮世離れした雰囲気はなりを潜めて一般観客に溶け込んでいる。
「カークの勝ち点は88……あと12はそこらの雑魚を倒したら上位に行けるわね」
「100点になれば格上げになるってことね。聞きそびれていたんだけど、なんでカッツィは闘技大会に出たがってたの」
「獣人は成人の時に、何か大きい戦果を挙げる文化なの。だから、入学前にある大会に合わせて早く出発したってわけ。入学したら忙しいだろうしね」
カッツィの貫頭衣は白一色の素朴なものだったが、あの清廉としたメイド服とはまた別に妙に様になっていた。反対のカークは黒の鎧で全身を包み、頭ほどの盾と野戦用の両手剣を身に着けている。
「なんだか意外。カッツィって伝統とか習わしとか煩わしく思うタイプかと。あれ、獣人の成人っていくつだっけ」
「十二歳」
十二。フィアよりも、年下。
話していると、耳鳴りが起こるほどの歓声が聞こえた。アリーナの外壁の一部が崩れ、瓦礫の一部からカークの手足が見えた。カッツィが対戦相手を投げ飛ばしたらしい。当の彼女は猫の手についた血液をごしごしと貫頭衣に塗りつけていた。
『おぉっと! これは逸材だ、とんでもない奴が出ていますよ! 黒猫カッツィ、一瞬で終わらせました。あまりにも圧倒的、これが獣人。生物としての格の違いを見せました! 解説のジョンさん、どうでしょうか』
『いや恐ろしいですね。初勝利で一気に二位。カークも決して弱い相手では無いですよ。獣人相手の挑戦を受け付けた勇気を褒めたたえるべきでしょうか。一方の彼女は当然のように獣人の力を見せつけましたね。あの衣装を見るに、この大会をあの成人の儀式ととらえているのでしょう。赤く染まるのが楽しみです』
『はい、ありがとうございます。しかし、今日の試合はまだまだ終わっていません。どんどん行きましょう。残念ながら下位帯に休みはありません。観客の皆さんに退屈はさせませんよ。さぁさぁ、では北から、下位帯の乱暴者、荒々しい戦いをその鉄球のように押し付け戦い方とは裏腹に着々と勝利を重ねるのはこの男。ビックボール、ローガン!』
カッツィが何事も無かったように退場し、カークが担架で運ばれる。北口から大きな刺々の鉄球を鎖で引き摺る両足の曲がった男が現われた。
『さぁ、そして南口。こちらも初戦。道楽か、番狂わせか、瞳に映るは英雄の現実か、愚者の夢か。謎の少女フィア!』
我が本命の登場だ。大会を利用したフィアの強化計画はとっても悪くない作戦と思った。戦力が足りない今、実戦に近い形式で殺し合いを学べるこの機会を逃すわけにはいかない。魔術だとか戦闘だとか教えたことがない、じゃあお前は何を教えられたんだというと、人の殺し方だけだ。そして、人殺しは頭の中でやる事じゃない。
「……ちゃんと戦い方教えたんでしょうね」
「もちろん。私のやり方を教えてきたから、勝てる」
「勝てるかどうかじゃなくて怪我しないか気にしてるんだけど」
「死ぬことは無いと思うよ」
試合はもう始まっている。ローガンは太い棘が沢山ついた鉄球を、鎖を握って音が鳴るほど振り回し、フィアへとゆっくり近づこうとする。だが、彼女は覚悟するように息を呑んで中心へと駆け出した。
ローガンは見かけだけでなく、その派手な武器に心得があるようで、落ち着いてフィアの走る先に投げる。砂を湧き上げる豪速球はフィアの身の丈の二倍程の大きさがある。彼女の目に映るのはただの死か、いっぱいに広がる鉄球か、どちらかが見えているだろう。
その鉄球に比べてフィアは小さすぎた。砂に潜るように、宙を飛ぶ鉄球の下を滑り抜けたのだ。だが、想定外は二発目。ローガンは投げた鉄球を鎖で強く引き戻す、鉄球は何もかもを捲りあげながら轟速で引き戻され、フィアの背中を追っていた。
「私だったら鎖を掴む」
「無理だよ。攻撃を避けていいのは一度だけって言っちゃったから」
「……どうして?」
「どうしてって……避けて勝って、それを続けて、いつか避けられなかったら死んじゃうよ。一回許したのは、避けても同じだってことを分からせるため。やるなら、根本から」
魔術師は象だ。象は避けず、蟻を踏み潰す。毒を持つ姑息な蛇を殺すには、まず毒に耐性を持つといい。死ななくなれば、あとは踏み潰すだけだ。
「象に轢き殺される兎に見える?」
フィアが体ごと振り返り、鉄球と相対した。鉄球と小娘、怪物と子兎。誰もがそう思った。誰もが息を呑んだ。だが、その場にいた数人が彼女の拳に宿る熱を幻視した。
「私は逆に見えるよ」
人の殺し方。具体的には魔術を使った人の殴り方。更に具体的に言えば、自身の全防御魔力を液体のように動かし、腕部へ流動させ、インパクトの瞬間に停止させる。打ち据えられた魔力の波から発生するエネルギーは、爆発的だと言わざるを得ない。特務極伝の、必殺である。
振り向きざまに放たれる棘の隙間を縫う拳は、正確に鉄球の芯を捉えた。鉄と鉄が擦れて千切れる音というのは人を苦しめるために作られたのかと勘違いするほどで、鉄球はゴム玉のように撓んだのかと思えば、次の瞬間には鉄の吹雪に変わった。林檎が宙に落ちるような異様な光景に会場が震撼する。粉々だ。身の丈ほどの鉄球は粉々になり、鉄球はただの砂山と化したのだ。
ローガンは、鎖から手を離し、あっさりと両手を上げた。降参。フィアの勝利だ。一際大きい歓声が鳴った。観客は派手なものが好きなのだ。
『いやいや、またしてもとんでもないことが起こっていますよ。まさかのフィアちゃんの圧勝。あの小さな体のどこにあんな力があったのか。解説のジョンさん、どう思います』
『彼女は魔術師ですかね。あの力も魔力を利用したものでしょう、情報が無いのもお忍びで力試しに来た方だと考えれば自然です。会場が熱を孕んできました。今季の闘技大会はひと味違うかも知れませんよ』
ローガンは三百六十度に忙しく礼をするフィアと握手をすると、その背を向けて退場した。その背はどこか清々しいものに見えた。
「あの殴り方って一朝一夕で出来るものなんだ。私にも教えてよ」
「いや……一朝一夕で出来たのはフィアがおかしいというか」
問題は、これが特務極伝であることである。他人に教えていいものではない。教えたことがバレたら最悪の場合死ぬ、最高の場合少し死ぬのが遅れる。一人だけなら、作戦の為と言って誤魔化せるかなと思っただけだ。ダインはこの超法規的措置とかいうやつが得意で、規則を転がすのはいつも彼の役目だった。
「ワタクシにも教えて欲しいですね。師弟だけの秘密ですか?」
いつの間にかカッツィが横に座っていた。その手の紙袋には菓子と飲み物が三人分入っていた。気が利くメイドはいつも気が利く。
「どうする、もう二人共出番終わったけど」
「次は下位帯一位の試合があるはずよ。カッツィの相手に指名しようと思ったけど先約が入ってたから」
「ワタクシはこの帯で負ける気がしないのでどうでもいいですが、せっかくなので見ますか」
『さぁ、本日最後。下位帯トップの戦いが始まります。99点、下位帯一位のリカールは加羅道の有段者。勝てば上位。昇格をかけたこの戦い、対する相手は今回が初戦ですが、この流れは少し怖いぞリカール! 』
フィアも直ぐに戻ってきた。人を殴らなくて済んだ、と安心する彼女に油断をしないようにと、頬をつまんで可愛がってやる。それはそれとして、次はもっと強い奴を当てよう。
『では、今回が初戦のこの相手、フィアと同じで全く情報がありません。ただ、一言、フルネームで呼んでくれとの事なので、貴族の方のようですね。皆さん! 失礼のないように!』
こんな場所に出てくる貴族など、そんなこと気にしないだろう。実況者の冗談で、それなりに人がいる会場が笑いに包まれると、彼はその名を読んだ。
『では、南口から、ズグロ・ピトフーイ!』
南口から悠々と入って来たのは、初めて会った時と変わらない、ズグロ・ピトフーイ。ただ、あの特徴的な巨大な翼は存在しておらず、何の変哲もない小綺麗な青年といった雰囲気だった。だが、私たちはその小綺麗さが、虫の備えた機能美の一つだと知っている。奴の毒がカッツィを傷つけたことを知っている。奴の体に眠る黒い虫がリサを殺したことを知っている。
殺す。空間圧縮は既に終わっている。胸ポケットに眠る殺人立方体。これを投げて解放させるだけで終わる。
「待って」
圧縮空間を取り出そうとする私の腕をイムが抑えた。
「どうして」
「解説がこっちみてる。バレるよ」
見下ろせる位置にある観覧席を見る。曇り硝子からは彼らの顔を見ることは出来ない。イムは内の瞳で見たのか。
ジョンという男は、フィアの拳のタネを見抜いていた。カッツィとフィアという新人気鋭二人が集まっていたら気にするだろう。今放てば、殺ったのは私だと分かる。王国は闇を見逃さない。イムの正体は暴かれ、王国との関係が更に悪化する。この一発には時代を壊す力があるということだ。
壊してしまうか、この時代ごと。逡巡する。しかし、この一発はリサの死も破壊し、有耶無耶にするだろう。私は構え続けていた腕を、殺意と共に落ち着かせた。奴が貴族だとアピールしていたのはこの為なのか、試合を見ると、ズグロがリカールの加羅道を赤子の手を捻るかのごとく壊しているのである。加羅道は、相手の攻撃の勢いを利用して反撃を試みる武道であるが、彼は有段者をものともせずに、試合が進む度にそれを攻略し、圧倒している。
「翼は無いし、傷も治ってる。でも、アイツはズグロに間違いない」
「向こうから説明してくれるみたい」
リカールを気絶させたズグロがこちらを見ていた。あの目だ。硝子のように、それでいて光を吸い込み濡羽のように反射する目だ。見開いて、爛々と輝くカラスの目は私の殺意を引き出すのだ。彼は闘技場の外へと首を向けた。私は気づけば外にいた。誰かの声などもはや耳にも入らなかった。
「よぉ、久しぶりだな。そして、改めて礼を言わせてもらおうじゃないか。ユウメ・エクテレウ」
闘技場から観戦の終わった客が溢れ出る中、外れのベンチに彼は座っていた。私一人での対峙になる。私のことが視界に入る近くでカッツィはイムとフィアを守っているはずであり、そうするようにと伝えてある。これは私にとって想定していたことだ。少し、想定よりも早い展開ではあるが。
「何の用」
「少し、余裕を持てよ。余裕を持つ女には余裕のある未来があるんだぜ。それに、用があるのは、むしろお前たちの方じゃないか」
「余裕が無ければもう殺してる」
「……まぁいい。用があるのは皇女じゃない、お前だ、ユウメ。プレゼンと警告。どっちから聞きたい」
「警告」
「じゃあプレゼンから話そう。お前、何でさっき俺を殺らなかった」
「別に今でも構わない」
「いや、お前は殺さない。殺せないさ」
「私が周囲の人間を気にしていると言うのなら、それは全くハズレね。そこらの有象無象の命よりあんた一人殺した方が世界平和に繋がる」
「はっ、熱烈だな。じゃあ、尚更だ。何で、殺さなかった。なんで俺と話してる。えぇ? 分からないか? 単純だ、お前には薪が無い。お前の、その強さに、薪が無いからだ」
「宗教の話?」
「おい、待てよ。特異点に至って、十年だったか。十年間、特異点のあの技をお前は掴めなかったわけだ。そうだろう? それが、俺と殺り合って、一瞬で目覚めた。価値を見い出せよ。俺の存在に。いや、もう分かっているはずだ。名前の無い不快。それを感じるだろう。俺とお前は同じなんだよ。だからお前は俺を知ろうとしている」
「…………」
「いいか、何で撃てなかったのか。“意志”が足りていないからだ。足りていない故の不安定さ、ただ胸に抱えた名前の無い不快さを解消するために、なんの目的もなく、将来に備えて何となくで勉強する学生のような。何かを目指して、犠牲を顧みずに進み続ける奴とは一線を画す。お前はまだ振り返って、立ち止まって考えている、お前の背後にある屍を。周りの目を。それが、歩みを遅らせている。足りていないのは、貪欲さであり、傲慢でもある。それを焚きつけるのが薪だ。お前にとって薪になり得るのは……大義名分か。なぁ、俺がリサを殺したって言ったらどうする?」
既に立方体は、周回している。ズグロの頭の周りを、星を廻る衛星のように。ズグロの頬に一滴の雫が垂れる。不思議と、私たちの周りには誰もいなくなっていた。
「絶対に、殺す。そうだったら、もう言葉はいらない」
「そうだ、躊躇なんて要らなかった。その大義という薪がお前を支えていたら、皇女のことなど眼中に無く、例え、帝国と王国の大戦が再び始まっていたと分かっていても、その一発を放ったはずだ。だが、そうはならず、これからもならない。薪に火をつけろ、ユウメ。お前は俺が殺す。全力でな。薪の無い火ほど消えやすいものは無い。つまらん結末にはさせねぇ。俺が、お前を、――殺すんだ」
彼の瞳には力強い光が灯っている。決して消えぬ、強さへの渇望が。
「……警告って?」
「赤い手がお前を狙っている。用心しろ」
「話は終わりみたいね」
「いや、まだまだ、暴れ足りないね」
その声は、私の後ろから聞こえた。ベンチに座っていたはずのズグロは既にその姿を消していた。振り返っても、大衆に紛れた彼の姿はもう分からなくなっていた。逃がしてしまった。だが、今、彼を追う気にはなれない。ふたつの立方体を、再び胸にしまう。その胸にあるのは、奇しくも感謝だった。
強さと、薪、そして大義。私は周囲に自分という存在の正体が知られることが恐ろしい。リサや父、ダインに迷惑をかける。そして、私がそうしたように、排除され、執行される定めとなるだろう。しかし、ここは王国で女帝の力は十全ではない。
強くなれば。
あの暗殺者のように、神すら斬る強さを手に入れれば。
ズグロ、気づかせてくれてありがとう。これは追いかけっこだ。大義名分が嘘だとばれるまでの追いかけっこ。私には大義がある。姉の仇討という大義名分が。これを利用して暴れて暴れて暴れ尽くして、強くなったら。強くなったら、少しは、自分の存在に自信が持てるだろう。この胸を押し続ける不快なにかも消えてくれるだろう。
私の心は再び燃える。静かに、だが決して消えぬ憎悪の炎が。そこに不純は存在しない、純粋な殺意のみが、私の薪となって燃えるのだ。ありがとう。次は、躊躇なんてしないだろう。
私はお前を、この手で殺す。




