第13話 ようこそ。
圧縮の力は、どれほど使えるのだろうか。空間圧縮は、六面の立方空間を並行に収縮させることで、内容物の圧縮を可能にした。空気を圧縮して解放する爆発は高い攻撃力を発揮する。しかし、空間を動かすという行為には高い魔力消費が伴い、更に、それが六つの面なのだから消費量が無視出来ない。空間を動かす。内容物の反発に勝つ。同時に六つ。実証が無いので断定は出来ないが、バランスを間違えれば圧力が偏り暴発する。これら要素の掛け算、それが目的通りの爆発という答えになる。
試す必要はあった。だからといって、わざわざここでやらなくてもいいと思うけど。
「馬車の中で……」
馬車は常に前に進むため、私が作った空間も常に前に動かさないといけない。この星の自転についていけるのか、という話はまた今度にする。とにかく、馬車の中で飛ぶ虫に慣性は味方するだろうけど、その場に固定する私の空間にとって慣性は敵である。
「ほら、あとちょっと。がんばって」
恨めしい皇女の声が聞こえる。検証をしたい旨を伝えたら『私も見たいから今すぐやって』との事だった。
馬の上で空間を動かしたことはあるが、圧縮するのは初めてだ。こんなところでする作業じゃない。もし、ミスって爆発したならば、馬車は跡形もなく吹き飛び皇女暗殺の実行犯になってしまう。指名手配されて特務のみんなに追われる景色を妄想しながら、震える手でゆっくりゆっくり圧縮した。
「あぁ……出来た」
手のひらの上に小さなサイコロ程の大きさの立方体が出来た。馬車が爆散することなく。ほっと吐いた息が自分でも分かるくらい熱かった。
パチパチパチと乾いた握手をする笑顔の皇女を尻目に、二個目の圧縮空間に挑戦し無事成功。圧縮立方体が右手と左手にできた。連続して三個以上を作るには、集中力が持たない。
二個の立方体を、重ねて片眼鏡のように持って見てみると透明な立方の中で凝縮された空気が暴風のように荒れ狂っているのが分かった。ストックしすぎるのは危険だろう。
「ねぇ、それ触ってもいい」
「いいけど、防御魔術は絶対使わないでね。触れた瞬間に全員死ぬから」
「こわい。でも、危ない物って、綺麗な面がよく見えるのよね」
イムは手のひらでサイコロのように転がしながら言う。空間はその場に固定する力を切ることができ、そうした場合は外力に従って動くようになる。
私は、これが綺麗だとは思わないが。彼女にだけ、見えている色があるのだろう。
カッツィも立方体を手に取って、ピントを合わせるように動かしながら不思議そうに見つめる。
「圧縮したのは良いのですけど、これ、どうするのですか」
「…………」
保管方法を何も考えていなかった私は取り敢えずそれを胸ポケットに入れた。
私たち三人が乗る馬車とフィア達付き人一行は、体に不自由が無くなるまでの療養を終え、無事に王都へと到着し、ズグロのような厄介者がまた来るのでは無いかと危惧した半険悪な空気は、王都ピューピルの門を通ると霧散した。
門をくぐった先に目に入ったのは、重厚で、空に吊られたかのように長い巨大時計塔。それの背景には、五本の塔に囲われた山のような城がある。王城は帝城と真反対の色をしていて、雪を被ったように白い。
それから根ざしたように真っ直ぐと伸びた大通り。どこからか陽気な音楽が聞こえてきそうな程、賑やかな都に聞こえ、見えた。馬車から外を見れば、大通りの路傍に並ぶ商店のひとつにはよく実った、艶々とした林檎や葡萄が並べられている。店主らしき男がよく通る声で客引きをして、その隣には主婦が果物を吟味している。人混みの中を輝くような笑顔で走る子供がいれば、男二人で真昼から顔を真っ赤に染めながら大声で歌っている者もいる。一見無秩序でありながらも、全員がお互いを思いやっているような温かみと賑やかさが大通り全体に広がっていた。
ホルス王国の首都ピューピルは、上空から見れば扁桃のような形をしており、先の細くなる方が富裕層の居住区として使われて、そこの最奥に王城がある。その王城裏側の地帯は……酷いことになっているらしいが、私には関係ない。この形は帝国と獣国が岩を打つ水のように削った形でもあり、帝国に向けて王都を広げた結果でもある。今は戦後であり、亡き獣国側の防衛に注力する余力は無いのだろう。
明るい話に戻そう。富裕層の居住区は、先細りで窮屈なイメージを持つが、王都は全世界の都市で一番人口が多いため、それに相応しい土地面積を誇り、王城付近も窮屈なイメージは全くない。土地面積について具体的にいうと王都の外周をノンストップで歩き続けて、一周にかかるのが二日ほどの大きさらしい。
ともかく、私たちはひと月と半分ほどの時間をかけて無事、無事では無いかもしれないが到着することが出来た。命の縁を歩いたせいか、どこか感慨深く思う。だが、護衛としての本来の仕事は、ここからが本番だ。
「お疲れ様、みんな。チャーリー達も。私たちはちょっと用があるからホテルについたら先に休んじゃっていいよ」
イムは小窓を開けて、馬に乗った体格の良い壮年の男性へと話しかけた。
チャーリーと呼ばれた彼は、付き人の取りまとめ役だった。機能的な皮鎧を着こなし、白髪に染まった頭髪を整えている彼は、その見た目に違わずに責任感が強く聡明な人。彼は皇女と少し話をすると付き人達と共に別の方向へと別れて行った。
「用って、何。聞いてないけど」
森に人がいれば不審に思うが、街に人がいても不審に思わない。付き人達が安心していた理由は、王都内での要人暗殺は、王国にとって汚点になりうるからだろう。王国の怒りを買ってまで襲ってくる可能性は低い。だが、黒い虫の事がある以上、王国もあまり信用出来ない。虫は法律すら守らない。簡潔に言うと、私がここら辺の事情を把握するまで黙って大人しくしていて欲しい。
「ちょっとね、着いてからのおたのしみ」
願い届かず。そう言ってイムは悪戯っぽく微笑んだ。馬車に揺られること数十分、景色は商店大通りの和やかな雰囲気に少しずつ、武装した大男、傷だらけの上半身を晒した逞しい男、目付きの鋭い腕の無い男など、関わりたくないような人間が混じるようになった。
「ちょっと止めて、あそこの紙一枚貰ってきてくれないかな」
イムが御者に言って取ってきてもらった紙には、
『ピューピル大英闘技場、冬季闘技大会開催中! 我こそは最強。蛮勇の参加を英雄が待っている!』と、白と黒の絵と共に太い字で、でかでかと書いてあった。ご丁寧に高価な写真まで使われている。
「何これ、イムってこういうの好きなの」
「観に行くんじゃなくて、出るんだからね、ユウメ」
「は?」
「これの賞金と報酬のために早めに王都に来たんだから、ユウメが全員ぶっ飛ばしてよ」
「絶対、ムリ、イヤ」
彼女はにこにこと笑いながら紙を押し付けてくるが、これだけは譲れない。不特定多数の組織に襲われていながら手の内を大っぴらに晒すのは正気の沙汰では無い。それを彼女が知らないはずはなく、首を横に振り続けると、あっさりと諦めた。
「つまんないの。はい、カッツィ」
「ふぅむ、なかなか大規模ですね、勝ち点制で負ければ自分の点を相手に全部持っていかれると、そして二週間最高点を更新し続ければ優勝。面白そうですね」
「えっ、まさか出るのカッツィ」
「ワタクシは、そのために来ましたから」
カッツィはそう言って猫の手で紙を折りたたんだ。やる気満々のその表情に呆然とした。
「知り合いが出ると面白いんだよねぇ。チャーリー誘ってみようかな」
『チャーリーを誘うなら――』呆然とした精神に変わって脳は勝手に考え案を出した。今より少しだけ楽になるかもしれない方法を、そして、それは面白そうでイムも喜びそうだった。
「イム、いるよ、いい人」
「話してみなさいよ」
イムが私の言う事を否定することはない。最近気がついたことだ。
私たちがやるべき事はイムの護衛、そして黒い虫の元凶を探すこと。リサの仕事から王都に何かある可能性が高いことが分かっているから、彼女の道のりを探らなければならない。
「ズグロ・ピトフーイについてはあらかた調べ終わった」
私たちは王都のホテルでカフェ達と合流した、彼女たちは別の場所に拠点を置いており、別方向から黒い虫へのアプローチを考えているようだ。
黒い虫とそれの魔力。直近で思い当たるのはズグロの身体を纏うように蠢いていた線虫のような魔力。これは手がかりだろう。ズグロを追えば、正体が掴めるかもしれない。
「ピトフーイ家は元帝国貴族だ。休戦時に王国に亡命している。亡命理由は公には分かっていない。領地の監督不行き届きや領民の反逆は起こった記録が無いので、汚職では無いかと推測が立っている。亡命前の家族構成は当主アルキメデス、夫人モル、長男で次期当主のズグロ」
「じゃあそいつらを探せばいいじゃん」
「話は最後まで聞け馬鹿が。亡命者は、祖国から保護するために王国側が情報を隠している。それに、それらを追ってもズグロ本人に行き当たるとは限らない」
「要領が悪いヤツは話が長くてイヤ。他に情報が無いならそいつらを追うしかないでしょ」
「情報だけを追っても掴めきれないイタチごっこだからこの話をしているんだ。要領が悪いと長文が理解出来なくなるようだな」
「どうしてあの二人ってあんなに仲が悪いのかしら」
ホテルのフロントで取っ組み合いを始めるユウメとサージェが、皇女の瞳に映っていた。
カフェは肩をすかして首を傾げる。
「犬猿の仲ですね、いつからか。大筋は同族嫌悪でしょうか」
皇女の瞳の花が大きく開いた。
『このクソ女が! 今度こそ徹底的に黙らせてやる!』
頭にサージェの思考が浮かぶ。皇女は、頬杖をついて悩んだ。彼の方がかなり、階級も実力も格上のようだが格下の小娘に何を思っているのかが掴めない。
そのチクチクつつく理由を知りたくて憤怒の表情を浮かべるユウメの方を覗くが、そこには表情に反して空白の白しか浮かんでこない。
ユウメの思考は覗けない。初めて、彼女が皇女のベッドで目覚めた時から。あの暗く輝く瞳からも、夕焼けみたいな髪からも、白猫みたいな肌からも、なんの情報も得られない。理由も分からない。これは初めての事で、純粋に興味が湧いた。初めの頃は、それだけだった。
「ズグロの方は皇女殿下のグループに任せたいのです。私とサージェはスレイブを追うため、憶奪と接触しなければなりません」
「憶奪って、占い師の」
皇女にも噂は届いていた。未来を読む代わりに記憶を食べる老婆。
「正確には、予測師ですね。彼女から、私たちの隊長と、可能であればズグロ・ピトフーイの情報を引き出します。では、今日はここまでにして、またお会いましょう」
「そう、分かった、またね」
カフェは喧嘩する犬を引き摺り剥す飼い主のように、サージェを捕まえてホテルから出た。ユウメは喧嘩相手の犬は姿が見えなくなるまで彼を睨みつけると皇女に縋りついてきた。
「イム、あの野郎どうにか不敬罪にできない!?」
「いや……何でそんなに嫌いなの、仲良くしなよ」
「向こうが喧嘩売ってくるんだから無理だよ!」
皇女は呆れた。魔術師としての彼女は頼もしく凛々しいものだが、それ以外の全てはからっきしであり、寝坊はするし、朝はふわふわしている上に機嫌が悪く、普段からの協調性の無さと他人への興味関心が薄いせいで付き人との関係性が構築できていない。
皇女は悩んでいた。これまでの問題はまだ可愛いもので、真に奇妙で不安な点はユウメが小動物を獣人が変化した暗殺者だと割り切って躊躇なく殺すことである。カッツィが小さな黒猫に変質するように、敵国の獣人が動物に化けて諜報や暗殺をするのは軍人の間では常識だが、それを見分ける方法も数あるはずだ。ユウメは人を殺すことについて多少の抵抗を見せる。フィアに怯えられた時も反省の様子を見せていた。諜報の可能性のある動物は見た目形こそ普通だが、中身は人間とそれほど変わらない。ならば、それを獣人だと決めつけたユウメは人を殺すときと同じように、躊躇するはずだ。なのに、彼女は動物を屠殺するように殺す。
奇妙な違和感。推理小説のトリックに気づいたような違和感だった。
皇女の耳に夕立ちが届く。跳ねる雨粒の音と、ホテルの窓を叩く音。従業員がホテルの硝子扉を開けると黒ずくめの紳士が現れた、黒傘を畳みながら。雨の音は鮮明に聞こえ、扉が再び閉じられると叩く音に変わった。最高級の濁らぬ硝子は外にいることを錯覚させる。透明な障壁で、外は見える。雨雫が瓦斯灯の光の粒子を広げ、虹彩を作る。外は美しいと知った気になれる。だが、雨音は絶対に濁っていた。




