神の掌(GOD-HAND)
神澤掌は大学を中退した。
神の手を手に入れる為に。
日本に神の掌、別名ゴッドハンドを持つと言われる手技の達人が7人いた。
彼らはそれぞれに特徴的な技巧を駆使した。
その神技は時に生死を彷徨う病人を死の淵より引き戻したと言われる。
神澤は噂でそれを聞いた。
そして病気の父親を治す為にその神技を学びたいと願ったのだ。
しかし7人の達人はもはや伝説となり、実在の人物かどうかさえ怪しまれるようになっていた。
神澤は新宿にある神の掌を名乗る男が学長を務める学院に入門した。
見学で見たそれは神澤にはまさに神の掌と思われた。
だが学院は神技を獲得するには金がかかった。
神澤はバイトを掛け持ちした。
学院長は「金がなければ体で奉仕しろ」とのたまわった。
男は無給で奉仕しろ。
すなわち学院併設の治療院でのタダ働きの強要。
神澤は次第に不安になってきた。
同期の甘井染奈にそれを吐露すると染奈は答えて言った。
「うーん。あたしも思ってる。なんかちょっとやばいっしょ」
同じく同期の矢場伊助は「でも逃げられなくないか?」と不安げに呟いた。
「噂で聞いたんだけどさ」
さらに同期の割込刷代が割って入ってきた。
「講師の助兵乙哉先生さあ・・。訴えられてるらしいんだよね」
「訴えられてるって誰に?」
神澤がおそるおそる聞くと、「もちろん患者さんだよお」と割込は答えた。
「なんかさあ。女性の患者さんの肛門に指突っ込んだんだって」
「なんでまた」
「肛門から尾骨にアプローチするって説明したらしいよ」
なんでそんな事を知っているんだ。
そんな疑問も首をもたげた。
しかし矢場が言うように一度入門するとなかなかに辞めづらい学院でもあった。
「うちら陰で金づるって言われてるらしいよ」
甘井が苦虫を嚙みつぶしたような顔で言った。
まずい。このままではまずい。
もんもんとした日を過ごす中、神澤はバイト先のおばちゃんにこんな事を言われた。
「いやー、神澤君神の掌を目指してるんだったよね?あたしさあ、もしかすると出会っちゃったかもしれないよ」
何故か少し顔を赤らめて言うおばちゃんだった。
「出会ったって・・。まさかゴッドハンドにですか?」
「そうよお。伝説のゴッドハンドよお。もうあの手に触られただけでぶるっときたわよお」
何故か腰をくねくねさせながらおばちゃんは身をよじりながら身振り手振りで話を聞かせてくれた。
何か怪しい気配はあるが、毒を食らわば皿まで。
神澤はおばちゃんの言うゴッドハンドに会うために東横線に乗り込んだ。
時間だけが過ぎていく。
神澤は焦っていた。
大学の講師がよく言っていた言葉を思い出す。
「いいかあ。時は金なりだぞ。時間がなきゃ金も生み出せない。いや違った。時間は金よりも大事だってことだぞ」
時間、時間だ。
病状が悪化していく父親を黙って見ているしかない神澤だった。
神澤はアポなしで訪問した。
当たって砕けろだ。
砕けて散るか。散る散るみちるか。
くだらないことでも考えていないと挫けそうだった。
昨日も「技を教えてほしければバイトなんかしないでうちでインターンとして勤務しろ」と言われたばかりだった。
父親が元気であれば「騙されてるんだお前は」とどやされるところだ。
この世にゴッドハンドなんているのか。
もはや半信半疑になりつつあった。
「見学だと」
おばちゃんにゴッドハンド(仮)と呼ばれたおっさんは混みあった診察室でじろっと一瞥をくれるやそう言った。
「なんでうちを見学したいんだ」
「あなたがゴッドハンドかもしれないと聞いたからです」
ゴッドハンド(仮)のおっさんは「俺がそうならどうするつもりだ」と聞いてきた。
「俺を弟子にしてほしい」
ゴッドハンド(仮)のおっさんはぷっと噴き出した。
「あめえなお前は。水あめかまったく。自分で確かめもせずに俺がそうだと言ったら信じるのか」
「いやだから見学を」
「断る!金にならんことは俺は一切やらん」
「え?じゃあ俺腰が痛くて」
「じゃあ一千万払え」
「は?」
「お前の覚悟を聞いている」
「いや払えるわけないっしょ」
混みあった診察室に沈黙がおとずれた。
「ぷははは」
沈黙を破ったのはバイト先のおばちゃんに歳が近そうな化粧の濃いおばちゃんだった。
よく見ると患者は女性ばかりだ。
「冗談だよ。お兄ちゃん。ここの先生はすぐブラックジャックを気取りたがるんだよ」
「あんちゃん。仮に俺がゴッドハンドで神業の持ち主だとしてよ。またもし仮にあんちゃんが俺の弟子になれたとしてよ。そんな簡単に神技を身に着けられると思うかい?」
神澤は打ちのめされて診察室をでた。
そうだ。
俺は馬鹿だ。大馬鹿だ。
このおっさんがゴッドハンドである確証もない。
俺がゴッドハンドになれる確証もない。
ああ。
でも俺はゴッドハンドにならなければならないんだ。
既に日が暮れていた。
とぼとぼと駅に向かう神澤を呼び止める声があった。
「そこの君。思いつめた感じで歩いている君」
神澤は速足になる自分を感じた。
いかん。
騙される。
町で声かけられる9割は詐欺だ。
「やあねえ。インチキじゃないわよお」
神澤は驚いて飛び上がった。
「な、何故前にいるんだ」
「追い抜いたからに決まってるじゃない。あたし足速いのよお」
屈託なく笑うその顔はよく見ると美人だった。
ショートカットの映える目鼻立ち。
そしてモデルかと思うスタイルの良さ。
「あたしは占い師。今日は気分がいいからただで占ったげようと思ってさあ」
怪しい。怪しすぎる。
脳内に警戒警報が鳴り響き始めた。
「えい」
その警戒警報を無視して美人は神澤を抱きしめた。
「こうするとその人のいろんなものが見えるの」
血液が下に下りすぎて貧血になりかけた。
「やだ。若いって素敵」
美人はまたけらけらと笑った。
もしかして結構なお年の方か。
やや頭に血が戻ってきた。
「あなた、明日江ノ島に行きなさい。多分お目当ての何かが見つかるわよ」
そういうと「やっぱりお駄賃もらっとくわ」と言って神澤にぶちゅっと口づけして去っていった。
後には呆然と立ち尽くす神澤だけが残された。
翌日。
神澤は早朝の品出しのバイトが終わるや電車に飛び乗った。
信じる者は救われるのか。
電車に揺られながら神澤は考えていた。
伝説はしょせん伝説なのか。
俺はツチノコハンターみたいなもんなのか。
良く晴れた日だった。
トンビが飛び交っていた。
あてもなく歩道を渡っているとトンビが急速降下してきた。
「ひいっ」
神澤はあられもない声を上げて走り出した。
何故だ。
「何故俺を追いかけてくるんだ」
気が付くと声に出して叫んでいた。
くすくす笑う声が聞こえてくる。
笑うな。お前らだってトンビに追われたらこうなるぞ。
必死に走っているうちに見知らぬ街の中に入り込んでいた。
「あ、お客様ですか」
ジャージ姿の少女がそんな神澤に声をかけてきた。
それどこじゃない。
そう思いながら「あ、そうです」と反射的に答えてしまった。
その瞬間、少女は何かを遠くに放り投げた。
神澤を追っていたトンビはその何かを追いかけて去っていった。
助かった。
でも帰りはどうするんだ、俺?
「あ、お客様。こちらへどうぞ」
神澤は今更お客じゃないですとは言えずに少女についていく羽目になった。
困ったことになったぞ。どこかで逃げるか。でもここはどこだ。
「着きましたよ」
少女は一軒家を指してにっこり笑った。
大丈夫か、俺。神澤は限りない不安を隠しながら案内されるがままにその家に上がり込んだ。
「やあよく来たね」
背が低いのを除けばもてそうな好青年がのそっと現れた。
好青年・・。いやもちょっと年配か。
「じゃあこちらへどうぞ。あ、真知子ちゃんも一緒にね」
ドキドキしながら好青年の後を追いかける。
「あ、どもコンチハ」
階段を下りてきた見るからに外国の青年に声をかけられる。
「あ、ども。どもです」
つられておかしな挨拶を返してしまった。
「さて、神の技を見たいのだったね」
「は?」
「違うの?」
「いえ、違わないですけど」
「じゃ、始めようか」
好青年がそう言うや真知子ちゃんが左わきに回り込んできた。
いきなり密着して体中を触り始める。
「あの?何を?」
「緊張を解いているんだよ。緊張していると神技が通りにくくなるからね」
「いや」
これじゃ余計に緊張する・・とは言いだしずらく、神澤はされるがままになった。
「真知子ちゃん、代わるよ」
真知子ちゃんにいじられて魂が抜けかけていた神澤は現実に呼び戻された。
「真知子ちゃんうまいでしょ。さて神技だけどね」
まず神技を使うには神の目を養わなければいけないよ。
好青年はさらりとそう言った。
「神の目?」
「そう。神の目。つまり人を見た時に体の中が透けて見える」
いや、まさか。
「内臓、骨、神経、血管。それらの配置や流れが見えなければいけない」
「そして」
好青年はすっと右手を上にかざした。
「神の手」
「触れただけで骨の位置を知り、神経を探り当て、正確なツボを突く」
こんな風に、と言って好青年が神澤の背中に触れる。
体中の力が抜けた。
一気に脱力。
なんだ、これは。
「うーん、君はあちこちがたがただね。ここもここも」
好青年は次から次へとソフトタッチを繰り返す。
「よっと。これで終わり」
どうだいと好青年がにっこり笑った。
「体が・・軽い。これ、俺の体ですよね?」
「当り前じゃないか」と言って好青年が笑う。
神澤は恐る恐る切り出した。
「あの、料金は・・」
「ああ、前払いでもらっているから気にしないで」
前払い。誰に。というか俺は誰かと間違われている?
「あの。この神の技を習うことはできませんか?もしくは少し遠いですが出張で診察していただくことは・・・」
「ああ。できなくはないね。でも僕から習うのは無理かな。だって僕は明日から中国に行くからね」
「中国?」
「そう。僕もまだ修行中の身でね。まだまだ免許皆伝には至らないのさ」
神澤はがっかりした。
俺は何をしにここまで来たのだろう。
「今日の僕の手技を身に着けたいなら、しばらくの間自動販売機の釣銭をあさるといいよ」
「?」
「いや、とある小説にもあるのさ。指先だけで釣銭がいくらかわかるくらいになればって奴がさ」
「それエロいやつです」
真知子ちゃんが横から指摘した。
「いやいや、真知子ちゃん何言っちゃってるの?駄目だよ変な事言っちゃ。お客さん困っちゃうでしょ」
「でもエロい奴です。あたしその小説読みましたもん」
神澤はお礼もそこそこに家を出た。
帰り道はトンビが教えてくれる。
真知子ちゃんがそう教えてくれた。
トンビがどう教えるんだよ。
そう思ったらトンビが上空で沢山飛び交っているところが駅だった。
いったい俺は誰と間違えられたんだろう。
考えるほどに怖くなってくる。
でも体はやたらと軽かった。
これならインドまで泳げそうだ。泳がないけど。泳げないけど。
翌日から神澤は自動販売機を見るたびに釣銭BOXに指を突っ込むようになった。
それから数か月。
「ちょっと神澤君、その手やばいって」
手技の練習相手をしていた甘井が顔を真っ赤にしてそう言った。
次の瞬間、神澤の目には甘井の服が透けて見え始めた。
か、覚醒か。これが覚醒というものなのか。
「見える。見えるぞ」
そういうなり、「エッチ」と返された。
理不尽な世の中だ。
進んで練習相手をかってくれるようになった甘井に対して、神澤はつかみかけた感覚を実験し続けた。
「もうダメ。神澤君なしは考えられない」
ついに甘井にそこまで言われるようになった神澤は次に男で試すことにした。
「神澤・・。やばい。やばいよそれは」
矢場が身もだえた。
「あ、ダメそんな」
矢場がおかしな言葉を吐いた。
「わかるわかるわ、矢場君。でももう神澤君は私だけのものだからね。今は実験だから我慢しているのよ」
甘井がそんな事を言う。
いけるかもしれない。
神澤は感じた。
神技は習うものじゃないんだ。きっとそうなんだ。
そして。
父親に試した。
効いた。
父親が身もだえした。
「いや、そんな。ダメ。いやん」
おかしな言葉を口走った。
効いた。
死の淵の病人を蘇らせた。(ほぼ別人として)
まあいい。多少の副作用は大目に見てくれ。
だって死にかけてたんだぜ。
人格は変わってしまったけど、まあアリと言えばありだろ。
これはきっとあれだ。昔懐かしきバックトゥザ何とか的な。
過去に行っちゃって戻ってきたら未来代わってた的な。
彼女もできたし万々歳だ。
神澤は甘井と手をつなぎながら表参道を歩いていた。
そこにいつぞやの好青年が現れた。
「大変だ。一緒に来てくれ」
そう言って神澤をどこぞに連れて行こうとする。
「ちょっと待ってください。一体何が大変なんですか?」
「人類の危機だ。君の力が必要なんだ」
「人類の危機?何を言っているんですか?」
「知らないのか?大いなる力には大いなる責任が伴うんだ」
「え?それって漫画の中だけの話じゃ?」
「とにかく行こう。人類を救うんだ。そこの女の子も来てくれ。彼女にだって無関係じゃない」
そんなわけで神澤と甘井は好青年に連れ去られていった。
これまたバックトゥザ何とか的な終わり方。
続きはまたの機会に
(もしもあれば的な)