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優勝前日譚

「わたしのおとうさん」

 四年二組 作倉 あゆ


 わたしのおとうさんは“秘書”というお仕事をしています。

 とてもいそがしいお仕事だそうです。

 わたしがおとうさんと直接話をするのは月に一度あるかないかぐらいです。


 そんなおとうさんとのいちばんの思い出は三年生のときの、夏休みの最後。

 学年別柔道大会の前の日のことです。

 この日はめずらしく、平日なのにおとうさんが朝から家にいました。

 わたしは練習があったので早めに朝ご飯を食べてしまって出かけてしまいました。

 なので、朝は不思議には思ってもお話しすることはありませんでした。

 練習が終わったのは夕方です。

 いつもはおかあさんがむかえに来てくれます。

 けれどもあの日はおとうさんが来てくれました。

 おとうさんが来るのははじめてのことで、これまで大会を見に来ることすらなかったので、先生たちがとてもおどろいていました。


「おつかれさまです」


 おとうさんはサングラスにかくれた目をほそめてわたしに言いました。

 スーツ姿のその後ろには、黒ぬりの車が停まっています。

 先生たちにあいさつすると、おとうさんは車に乗り込みました。

 わたしはおとうさんのあとについていって、車の助手席にすわりました。

 ふかふかのシートです。

 つかれていたわたしはそのままねてしまいそうになりました。


「何か食べたいものはありますかねえ?」


 シートベルトをしめながら、おとうさんが聞いてきました。

 明日は大会。

 そんなときはいつもおかあさんがトンカツを買ってきてくれていました。


「トンカツが食べたいです」


 わたしはまよいなく答えました。

 まもなく車が発進しました。

 まどの外の景色はびゅんびゅんと後ろに流れていってやがてウエノという町に着きました。

 遠足で動物園に来たことがあります。

 大きな通りからちょっと行ったところで車が停まりました。


「さて、ここからは歩きましょう」


 おとうさんが手をにぎってわたしを車からおろしてくれました。持って行こうとしたにもつは、「置いといていいですよ」と言われたのでそのままにしました。

 ひとがたくさんいて、手をつないでいないとはぐれてしまいそうでした。

 しばらく歩いて、ちょっと路地に入ったところに目的のトンカツ屋さんがありました。

 おとうさんが、「こんばんは」と言いながら店に入っていきます。

 わたしもあとに続きました。


「食べ物に頼らなくても、あなたは優勝できますよ」


 カウンター席にならんですわります。

 からからから。

 油がはねる音がします。

 おなかが空いてきました。

 お昼ご飯は練習の途中に、おかあさんが作ってくれたおにぎりを食べたきりです。


「そうかなあ?」


 わたしは衣がきつね色に変わっていく様子をながめながら言いました。

 練習は学校が終わってからすぐ。

 長い休みのあいだは今日みたいにおべんとうを持ってきて、夕方まで練習が続きます。

 わたしは去年、大会を準優勝しています。

 決勝戦ではオリンピックに行けるかもと言われている子とあたってしまって、なすすべなくこてんぱんにやられてしまいました。

 だから、今年もまたその子に負けてしまうのではないかと不安でした。


「わたしにはあゆが勝つ姿しか見えていませんけどねえ?」


 おとうさんはわたしを勇気づけてくれたのかもしれません。

 練習なんて見に来たこともないし、大会の結果を知っているかどうかもわかりません。

 ただ、わたしはおかあさんから聞いたことがあります。

 おとうさんには『未来が視える』能力があるという話でした。

 このときははげましてくれたんだろな、ぐらいに思いました。


「うん、がんばります」


 トンカツはこれまで食べたことがないぐらいおいしかったです。

 そして次の日、去年負けた相手は準決勝でケガをしてしまい、決勝戦でわたしはストレート勝ちを決めました。

 おとうさんは大会を見に来てはくれませんでした。

 というのも、トンカツをいっしょに食べたあとに家までわたしを送って、その車で仕事に行ってしまい、大会のころに遠く遠くへ向かう飛行機のなかだったそうです。

 優勝メダルをもらいながら、わたしはきのうのおとうさんのことばを思い出していました。






【そんな勝利を見届けない】

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