第4章(7)
ぐるぐると回る螺旋階段だけに、間隔的におかしくなったのかもしれないと思ってもみたが、それにしても、いいかげん上についてもいいのではないかと、疑問が頭をもたげ出した。
「おい。いいかげん、まだなのか」
フィルは怒ったように、皆に怒鳴った。しかし三人とも、後ろのフィルには見向きもしない。
「おまえら、聞こえないのか」
もう一回怒鳴ったが、何の返答もない。フィルは素早く駆け上ると、前を行くクリスティーナの肩に手をかけた。
「おい」
強引に肩をつかまれたクリスティーナは、くるりと振り返った。見るとクリスティーナの顔には目も鼻も口もなく、卵のようにつるりとした輪郭だけが浮いていた。これにはさすがのフィルも驚き、怯えた声をあげた。
「あっ」
声にならない声が思わず出た瞬間、フィルの足下がぐらりと揺れ、硬い階段がいとも簡単に崩れさった。慌ててまだかろうじて残っている上の階段の端をつかんだが、フィルの体は真っ暗な空間の中で、宙ぶらりんになり、下には、空虚な闇が待ち構えていた。
「何も見えない。畜生、何も見えないぞ」
支えている腕のしびれを感じながら、意味もなくフィルの口からそんな声が漏れた。と、突然別の声がささやいた。
『目的を』
「もっ、目的…」
腕のしびれで苦痛に顔をゆがめながらも、ここに来た理由が脳裏を駆け巡った。
「う、うわあっ」
絶叫が辺りに響き渡ったが、それはフィルの声ではない誰かの声だった。その声は、フィルの中で眠っている恐怖を呼び覚ました。のっぺらぼうのクリスティーナを見たよりも、もっとおぞましい恐怖が彼の背中に稲光りのように走った。今ここで叫ぶのは自分ではないのか、その自分ではない誰かが叫んだ。しかも、その声はどこかで聞いたことのある声だった。誰だ。そう思った瞬間、彼の腕は限界を越え、今度こそ本当にその暗闇の穴へと落ちて行った。
「フィル、しっかりしろ」
「フィル、大丈夫?」
暗闇に閉ざされたと思った間もなく、フィルの意識は、また普通の現実世界へと戻って来た。そこには心配そうに覗き込むルイスと、クリスティーナの顔があった。その上には、興味深そうに見つめているラティアスの顔もあった。
「大丈夫なの? 起きることできる」
階段の上り切ったところで倒れこんでいるフィルに、二人は青ざめた表情で聞いてきた。
「俺、おまえらに何かしたのか」
心配しているというよりかは、どちらかというと、恐怖でおののいてる二人に、フィルは弱々しく呟いた。
「私達には何もしてないけど。あなた急に私達を追い抜いて、そりゃあもう、すごい勢いで階段を駆け上って、ここまで来ると泡を吹いて倒れたのよ。てっきり気でも狂ったのかと思ったわ」
全く記憶のないフィルにとっては、今の話は信じられなかった。
「あなたは人の言うことを聞かないのですか。あれほど目的を常に考え、そして私の姿を見失わないようにと言ったのに。しかたのない人ですね」
ラティアスは困ったように頭をかいた。
「それにしても。あなたがいったい何を見たのか、気になるところです。私としては」
フィルは思わずラティアスの言葉にぎょっとした。一瞬、彼の顔には不敵な笑みが浮かんだような気がした。しかしたちまち、その表情は消え去り、親切そうないつもの穏やかな表情へと変わっていった。
「まあ、何はともあれ、皆無事にここの階段を上りきってよかったですよ。ヌアクル様は、もうすぐそこですよ。あそこの赤い扉の向こうにいらっしゃいます。とにかく粗相のないようお願いしますね」
立ち上がったフィルをじっと見ながら、ラティアスは奥まった廊下の突き当たりの扉を指差した。
重そうな大きな扉が四人の前にあった。クリスティーナは心を落ち着かせようと、深呼吸を一つした。いったいどんな人なのだろか。大魔法使いという者は。三人とも少なからず緊張しながらも、ラティアスの開け放ったその扉の向こうへと、恐る恐る足を踏み入れた。
三人が部屋の中に入って一番驚いたことは、部屋の中に夜空があったことだった。外はまだ朝のはずなのに、この空間には夜が満ち満ちていた。しかも本当の星がまばゆく輝いている。それではここは外なのだろか。いや、そんなことはなかった。天井とおぼしき部分から、確かにその天井はとてつもなく高かったが、群青色の布地が吊るされ、それはちょうどテントのようになっており、その中に銀色に輝く、まるで玉座のような立派な造りの椅子が置いてあった。そしてその椅子に座っているのは紛れもなく大魔法使いヌアクルであった。長い髪に長いひげ。どちらも雪のように白く、ラティアスと似たようなローブを身につけていたが、その色合いもまた白だった。鋭い目つきのその老人は、色濃く刻まれた思慮深いしわを少しだけ緩ませた。
「ずいぶんとかわいい訪問者だね。私に用があるというのは、君達かね」
三人は思わず顔を見合わせた。そうしてヌアクルを奇妙な目で見つめた。なぜかというと、彼のしゃべる声が予想に反して快活な声だったからだ。もっとしゃがれた、重みのある声が響くのではないかと思っていたのだが、働き盛りの男がそれ相応に発しそうなはっきりとした活舌であった。クリスティーナは少し躊躇していたが、一歩前へと足を進めた。




