Lv.88 過去の友
十八階層の中をひたすらに走る。ただなんの邪魔もなく、誰も喋ることはない。
そんな無言の中、足音だけがただ響く。ここには水も植物も、動物すらいない。生命の気配のあった十七階層から、逆戻りだ。
数分もしないうちに階段は見つかった。
いや、正確には階段らしきものが見つかった、だ。
「悪夢が階段になってる……」
吟遊詩人は狼狽えながら、ゆっくりと近づく。すると悪夢は目を覚ましたように動き出し、途端に人の形を取り始めた。
ぐちゃぐちゃと階段から滑り落ち、ぐわらぐわらと人の形へと成っていく。
悪夢は、ゆっくりと俺達の方へと近づいてくる。後ろに下がろうとするが、背後にもいつの間にか大量の悪夢が出現していた。
「挟み撃ち……」
「なんとかならないのか!」
俺の言葉に、吟遊詩人は顔を曇らせる。あれだけのことを言っていたくせに、ここで打つ手無し。
冗談じゃあない。
「強引に突破するぞ! アル! コーネリア!」
「わかった!」
「了解!」
コーネリアが魔導書を展開し、包囲の外側から魔術で悪夢を攻撃する。
それに驚いたのか、一匹の背の小さな人型の悪夢が飛びかかってくる。
「シルヴァ! この悪夢達手練れだよ!」
そう言いながらアルが悪夢を迎え撃つが、悪夢はそれを空中でひらりと避けた。
「【地形変化】!」
相手の足元を崩し、着地した時のバランスを失わせる。
悪夢は転びそうになり、地面に手をつく。その隙にアルが悪夢の首を切ろうと、剣を振り下ろす。
「待って!」
アルの剣を止めたのは、他の誰でもない吟遊詩人だった。
吟遊詩人がリュートの弦を伸ばし、アルの剣を止めていたのだ。
「邪魔、しないで」
「ダメ……この人を……よく見て」
少し怒ったような声のアルに対して、吟遊詩人は声を振るわせながら応える。
アルは剣を持つ手を緩めずに、その悪夢を観察する。
俺も見てみるが、背の小さな人型であること以外何も感想が浮かばない。
しかしアルは何かに気づいたようで、剣を引いた。
「ちょっと、あんたらが話してる時間を稼いでるのは誰だと思ってるのよ!」
「ごめんコーネリア。少し、待って」
アルはそう言って、周りを見渡す。悪夢達一人一人の顔を見て、悲しそうな顔をする。
「……どうしたんだ、アル」
「見覚え、ない? この人に」
「……真っ黒でよくわからない」
「シルヴァにわかるように言うね……この人、十五階層で最初に自爆した人だよ……」
「それだけじゃない、ここにいる悪夢……全部サイフォン魔物討伐隊の人達なんだよ……」
俺は周りを見渡す。確かに背格好は似ているかもしれない。だが真っ黒な影だからどれもこれも判断がつかない。
だからこそ。魔物討伐隊のアルと吟遊詩人はそれに気づいたのだろう。だが
「もしかして、だから。ここじゃない他の道を探そうとか言い出さないわよね」
「「…………」」
「嘘でしょ? 今あたしが何やってるのかわかる? 近づいてきた奴を魔術で弾き飛ばしてるのよ?! あんたらの仲間だって言うならなんで攻撃してきてるのよ」
コーネリアは指揮するように魔導書を操りながら、二人に訴えかける。
二人の表情は重い。
「どうしてそんな奴らがここに……」
「悪夢は……死者なんだ」
吟遊詩人がポツリと呟いた。アルはその言葉に反応し、また悪夢達の顔を見回す。
「みんな……もう?」
「うん……他の町で、他の国で、人を悪夢から守る任務。黄金卿が動き出した時にその任務に当たっていた奴らも……みんな死んだってことだよ」
「……そう」
アルは悲しそうな顔をしながら、俺の顔を見る。
アルの悲しみはわからない。俺にはその人達と面識がないからだ。
だからこそだ。
「アル、退いてろ」
「シルヴァ……ごめんね」
「いい。いつでも階段を登れるように準備しておけよ」
俺は拳を鳴らしながら、ゆっくりと前に進み出る。
「コーネリア。やるぞ」
「はいはい。しょうがないわね」
俺は【水属性魔術】を放ち、周囲を水浸しにする。悪夢達は鬱陶しそうに俺を睨みつける。
「凍りつきなさい」
コーネリアが一冊の魔導書を取り出し、魔術を発動させる。
次の瞬間、俺達の周囲を極氷に包み込む。悪夢達は全て凍りつき、その場に止まったままになった。
「これで殺さなくて済むな」
「シルヴァ、どうして?」
「いつか治す方法が見つかるかもしれないだろ? それに、昔の仲間が目の前で死ぬのなんて見たくないだろうしな」
「……ごめん、本当にありがとう……」
氷の間を抜けて、階段を登る。
十九階層。もう頂上は目の前だった。
「ま、そう簡単にはいきませんよ」
「まぁ、そうだよな。ファイ」
十九階層。そこは今までの迷路のような階層ではなく、だだっ広い空間が広がっていた。一番奥には上に行くための階段があり、その中心にはファイが五人。立っていた。
「最後の五体。正真正銘これで最後です」
「そうかよ。ならとっとと倒せばいいってことか」
「そう簡単にはいきません。僕はそう簡単には負けない」
俺はファイの方向に、手のひらを向ける。
【鎖罠】を放とうとするが、出てこない。
「……?」
俺の指先が、チラチラとブレる。
伸ばしたはずの指先は、いつの間にか下を向いていた。
手を引っ込め、指先を見る。すると、デロリと指先が地面に落ちた。第一関節から先が、地面に落ちた。
痛みはない。しかし。
すぐに断面を見る。俺の指の断面は、黒く変色していた。いや、影になっていた。
「悪夢に……なっているのか?」
「そう。黄金卿の計画は順調。もうすぐ世界は悪夢に沈む」
「……なんで、そんなことするんだ」
「本人に直接どうぞ。悪夢になってから自我があるかどうかはわかりませんが」
ファイ達は各々武器を取り出す。斧、大鎌、短刀、バリスタ、直剣。
「ならばこれまで」
吟遊詩人はリュートを片手に俺達の前に進み出る。
「僕が全て引き受けよう」
「いいのか?」
「任せて。どうせ僕も雑魚処理兼荷物持ち。この戦いに必要なのは、君たちだけなんだから」
「……どう言うことだ?」
「これ、しっかり持っててね」
吟遊詩人は小さな石を俺に手渡した。表面に小さな魔法陣が描かれている。少しあったかい。
「さ、先に行って」
「一人で大丈夫なのか」
「もちろん。シルヴァのためならってね」
「……? どう言うことだ?」
「ま、きっといつかわかる日が来るよ」
吟遊詩人は寂しそうな顔をして、俺の背中を押した。
「そんな簡単に行かせるわけないでしょう」
ファイ達が一斉に俺達に飛びかかってくる。
しかし、ファイ達は空中に縫い付けられたように動かなくなった。
よく見ると、細い糸が何本も空中に張り巡らされていた。
「僕を無視するとは解せないな。僕はサイフォン魔物討伐隊副首領、死にゆくものに名乗る名は無し!」
階段に向かって走る俺達の背中から、吟遊詩人の声が聞こえる。
「僕の全てが知りたければ、生きて帰ってきて見せよ! なんてね」
最後に聞こえたその声は、少し茶けたような声だった。
・感想
・いいね
・ブックマーク
・評価等
よろしくお願いします。




