医師になりたくない男、世を知らぬ男、幸せになりたい男
努力に裏切られた男の話をしよう。
努力に裏切られる。これはとても恐ろしいことだ。
そも努力とは自身の利益のための行動だ。それに裏切られる、不利益が生じる。その努力が大きければ大きいほど、その不利益は二次関数的に増える。
とはいえ私はまだそこまで絶望していない。少なくともこうして文字に起こす余裕があるのだから。
私は今年で18だ。大学受験なんて馬鹿げたシステムに翻弄されている中の1人だ。努力に裏切られた、などと思ったのは私の家庭環境に起因する。
私の成績は中の中か、そのくらいだ。天才などと呼ばれる筋合いは全く持ってないのだ。そんなことはわかっている、分かっているのに、周りがそれを許さなかった。特別に生きることを強制された。
中の中と言ったが、具体的に述べるとすると医学部に、「地域枠」なら受かる可能性があると言われている。地域枠というのはまあ噛み砕いて言うと、成績が足りなくてもいいから、地域に残ってくれるなら医学部進学を認めようというものだ。
本来9割を要求されるセンター試験を8割に、代わりに医学部卒業後は地域に9年残れというものだ。
9年だ。馬鹿げている。医学部の6年を含めると15年だ。なぜそんな選択を18歳にさせるのだ。人の気持ちが理解できないのか。
そんな風に思うのはおかしいことじゃない。
そう思っていた。
私の周囲はおかしかった。
私の親と、それを取り巻く親戚一同、私が医師になることを望み、私の意思を無視した。
否、無視よりも質が悪い。私が医師になれば幸せになれると信じて疑わないのだ。私とてこの三年間何もしなかったわけではない。医大生に話を聞く機会も、病院に教わりに行くこともあった。その上でだ。その上で結論を出した。私がしたいのは創造的な仕事。命に関わるという方への責任、言い方は悪いが地域枠としての医師には勤務医になるという道しか残されていない。私は医師に魅力を感じない。それが全てだ。しかし、誰も私がAIプログラマーになることなど望んではいない。自分の親に進路を決める権利はない。わかっている。分かっていてもどうしようもないのだ。私は母が好きだった。
自分の進路を決めるのは自分だ。そのはずだ。なぜそんなことも許されない。私は私の周囲が好きだった。
もう抵抗する気力が削がれてしまった。泣き喚いたし、夜中に飛び出したりもした。何も変わらなかった。
泣かれるのだ。親戚で私の塾代を分けている勘定の紙を提示してくるのだ。
何より問題なのは、私が空っぽなことだ。
医師になろうとした。医師になりたくなるだろうと信じていた。でも自分に嘘はつけなかった。
医師に興味を持つと思っていたから。私は私の中身をそれで埋めようとしていたから。当てが外れた私は空っぽだ。
AIプログラマーになりたいと言ったが、どちらかというと医師になりたくないの方が正しい。
それを提示したのはこれからの時代で成長しそうな分野であること、周りの友達に引っ張られたのもあるだろう。合理的な理由なら用意できた。だが本心は?結局肝心な部分はなんとなくだ。
医師という進路は最低だ。入れば社会的地位の高い医師になれることが確約されているから。空っぽな私が捻り出した道なんて、不安定だ、ビジョンがないと一蹴される。
なぜだ、なぜ医師よりも私が優れた人材になる予定で話が進むのだ。
周りの友達が羨ましかった。明確な意思を持って医師を目指す奴、なんとなくで学部を選べる奴、そのどちらもが私には羨ましかった。
普通の生き方を望んだ上で、特別になることを求められた。そんな私はどっちつかずで中途半端で空っぽだ。
これが私が努力に裏切られたとそう思ったきっかけだ。私の努力は勉強だ。その勉強に苦しめられている。頭が足りなければ医師になれと言われることもなかったろう。中途半端につけてしまった分質が悪い。
自分の興味で周囲を納得させるには学力が足りない。東大京大へ入る力があれば良かったが、中途半端な私にはそんな力はない。才能がないなら足掻くな。苦しくなるだけだ。私は努力に苦しめられている。
と、いう塩梅だ。努力に苦しめられる、自分の意思を持てない愚かな男だ。とはいえ受験まではまだ少しあるし、結局点数が出なければ医師になどなれない。
もはや私が医師を避けるためにできるのは欺くことだけだ。説得は無理だと分かってしまった。
私は空っぽだ。何回目だろう。こんな生き方をするのだろうか私は。望まれる生き方をしなくてはならないのだろうか。わからない、わからない。
こんな愚かな私は仮に医師となり深く後悔した暁には
親のせいだと言い張るのだろう。私は私が弱いことを知っているから容易に想像できる。
仮に医師となるなら眼科を選択しよう。人の命に関わる覚悟は私にはない。九年間もできるだけ過疎地域の場所を選ぼう。主体性のない化け物の完成だ。
どうするのだろうどうなるのだろう。この独白が黒歴史だと一笑いに付せる未来は来るだろうか。
努力よもう一度裏切ってくれ。