クラーケン
私は足が竦んでいた。
真っ黒な海が山のように盛り上がり、船は横転するほどに揺らぎ、海水だって甲板に流れ込んできて私はびしょ濡れのびちゃびちゃだ。
そして、私が波と一緒に船の上を洗い流されなかったのは、私に腕を回して私をこの世につなぎとめていたカイユーがいたからだ。
「うわぁ、本気で大きなタコイカさんだ。」
彼は私に片腕を回して私を彼に貼り付かせているというのに、彼の目は私など一目も寄越さず、キラキラとした視線は敵だけに向けている。
「カイユー。」
「しっ。船の揺らぎが収まったら、船長室に投げ込むからね。ノーラはそこで大人しくしているんだ。」
「わかったわ。」
「りゅみえーる!」
頭上でシロロの声がしたかと思うと、ぱあっと大きくて明るいオレンジ色の閃光が世界を覆った。
クラーケンはぎょおおおうとその光に身を捩った。
「うわ!目が潰れちゃうよ!シロロちゃんてば!」
「あ、そうか。深海の人だから光に弱いのか。」
「うわぁ、姐さんの冷静さはさすがだね。ここは、きゃあ怖いって俺に抱きついて邪魔になって欲しいのに。」
「邪魔になったほうがいいの?」
「縋りつく美女を残して戦いに赴くってところがいいでしょう。」
「きゃああ。カイユー、こわい!」
彼は大きく溜息を吐くと私を抱きしめ直して私を船長室へと運び、そのままぽんとその中に投げ込んだ。
「ちょっと、扱いが雑じゃない。」
「だって、演技力が足りないんだもん。もっと手放したくなくなる女の色気って奴を磨いてよ。」
彼はバタンと扉を閉めた。
「あ、むかつく!もう!すっごくムカつく!」
「嬢さん。これから船が出ますからね。スピードも出ますから、どこかに捕まって下さいよ。」
「え?」
船長が操縦桿を握った途端、船はぎゅいいいんという恐ろしい音を立てて、動き始めたのである。
「素晴らしいですよ。ダグド様は。魔法で動く船を作って下さった。」
モニークが言うには船に駆動モーターを付けただけらしいが、その駆動モーターがこの世には無かった物なのだから、凄いでいいだろう。
ダグドはフェレッカと仲が良くなると、この村にバイオエタノールという液体と小型の小屋のような箱を売り、それで駆動モーター用のバッテリーを充電できるようにしたのである。
しかし、このことにより、フェレッカはダグドから定期的にバイオエタノールを購入しなければならなくなったが、駆動モーター付きの小型船が欲しいという通商云たらにダグドは駆動モーターを何個か売りつけたので、通称がフェレッカにバッテリー充電のために金を落とす事になった。
つまり、フェレッカは錆びれた寒村から裕福な村へと変化し、彼等はいつの間にか教会よりもダグドを信奉する村となっていた。
いや、もともと海の村であったので、教会の教えよりも海にまつわる神話を大事にしていた村だ。
だからこそ、こんな夜釣りにも快く協力してくれたのだろう。
そんなことを考えながら船長室から外を眺めると、なんと、船はカイユー達からどんどんと離れていくでは無いか。
っていうか、カイユーもフェールも黒い翼が生えているってどういうことだ?
あれがダグドが彼らに贈ったルシファーって偽の翼なのか?
「待って!カイユー達から離れて行ってますけれど、ええと。これから船首を回して向かうのですよね。」
「いいえ。これが約束です。クラーケンの出現予想地点に彼等を連れていく、だけが私の頼まれごとです。彼等には小舟は置いてあります。朝日が昇ったら、彼等を回収に向かう約束です。私も心配ですけどね、ダグド様の騎士が言う事ですから、大丈夫を信じるしか無いですね。」
「で、私を一人船に残すのも計画内なのね。」
「えぇ。」
「そう。では、私は彼等に攻撃補助魔法を贈るわ。憎らしいけれど、彼等の安全を第一に考えなければ。甲板に出てもいいですね。」
「落ちないでいてくれましたら。」
「落ちないわよ。彼らの足をひっぱってなるものですか。救いの女神と足元に跪かせてやるわ!」
「すごい。彼らが言っていた通りのおっかない姐さんだ。」
私は彼らが戻ってきたら跪かせるどころか殴ってもやろうと考えながら扉を開けて甲板にでた。
そして船が港に着くまでに、彼らに向けて魔女の歌を何度も何度も歌い続けた。
ぜったいに帰ってこい。
帰って来なければ、殺してやるぞと、物凄い念を込めて、だ。




