夜の散歩
コポポル国の夜空は窓からだけでは勿体無い。
私は部屋を抜け出すと、星がよく見えそうな屋根へと壁をよじ登っていた。
ダグドのツナギを持ってきてよかったと思いながら。
私はダグドの下着を手に入れようと頑張り、手に入れられないとあきらめたことがあるが、実は物凄く簡単であった。
洗濯室にも荷物専用エレベーターがあったのだ。
彼はそこに汚れた作業着を落とし込み、エレノーラが、そう、彼女だけが彼の服を洗っていたとそういう事だ。
その事実を知った私達は洗い終わった服をこっそりと盗みあうようになり、そして、ダグドは服が戻って来ないと自分で洗濯するようになった。
エレノーラはだから私達に教えたくなかったと私達を叱り、しかし、彼女も隙を見てダグドの砂色のツナギを盗んでいたのだから目くそ鼻くそだ。
だが、服を手に入れて気が付いた事は、当時の私達にはエレノーラのように札魔法が使えないという事だった。
やっぱりエレノーラはダグドにとって特別であったのであると、その時は酷く落ち込んだものである。
さて、魔法を使えなくとも、ダグドの作業着はとっても役に立つ。
とっても動きやすいのだ。
まさに、作業着。
私は過去を思い出しながら、作業着のツナギ姿で屋根を目指して他所の家の壁をはしたなくも登っていた。
空を見上げるのだ。
ダグド領では見られなかった星々の洪水が、このコポポルの夜空では瞬いているのである。
あともう少しで天辺だと、私は大きく右手を上げて屋根のヘリを掴んだ。
「よいしょ。」
「このばか。」
「え?」
私の手はグイっと引っ張り上げられ、ついでに私の身体にも腕が回され、その腕によって上へと引っ張り上げられた。
「カイユー。」
屋根の上で私を抱きしめている格好になっているのは、私の弟を止めたらしいカイユーだった。
影になって表情が見えないが、とりあえず怒っていそうなことは感じられた。
「ええと、あなたも星空が見たかったの、かな?」
「バカ。何をやっているの。ここは平屋でも屋根が高いよ。二階建て以上に屋根が高いよ。落ちたら死んじゃうんだよ。どうしてこんな馬鹿なことをするかな。」
私は彼の腕から逃れると、私を馬鹿と罵った男に言い返してやった。
「あなただって登っているじゃない。」
「お、れ、は、あ、ん、た、が、の、ぼっ、た、から、の、ぼっ、た、の。」
私を見つけた後に登ったとは、それで私よりも先に上にいたとはと、私は少し彼にカチンと来てしまったかもしれない。
「悪かったわね。のろまで。で、こんなに早く登れるあなたは、どうやってここまで私より早く登ったのかしら。」
「木に登ってここまで飛んだ。」
「え?」
カイユーが指を差すと確かに大きな木のシルエットが、彼が指さした屋根の端から生えている。
「そうか、次はあそこを登ればいいのね。って、きゃあ!」
私はカイユーに引き倒され、そして屋根に貼り付けられたのだ。
またもや影になって彼の細かな表情は見えないが、でも、私が見たことのない表情をしているのに違いない。
だって、カイユーが私にこんな乱暴なことをしたことは無いのだ。
そして、こんなにカイユーを怖いと感じたことが無いのだ。
いやだ、私ったら。
カイユーにスカートに手を入れられて、嫌って、どうしてあの時感じなかったのだろう。
冷たいナイフの感触に、彼が私を戦友扱いしたのだと、嬉しいばっかりだった。
それなのに、今は少し、怖い。
カイユー、あなたはどうしたの?
「ノーラは考え無しだ。」
けれど、それであっけなく終わった。
屋根に私を貼り付けていた男は、今度は私を屋根から引き剥がすと私を抱きしめ、そして、なんてこと、せっかくここまで登ったというのに、私を自分の体に縄で縛ると、有無を言わさずに私を連れて屋根から降りたのだ。
「もう!せっかく屋根に上ったのに!」
「ここからでも見える!」
確かに庭から見上げても十分に美しく見えるが、私は空に少しでも近づきたかったのだ。
「邪魔をするなんて、バカ、カイユーの馬鹿!私は少しでも空の近くに行きたいの。私だって星が欲しい。ダグド様に欲しいものがあるかって聞かれて、答えなきゃいけない気がして真珠って答えたけど、私は真珠なんて欲しくない。私だって、モニークみたいに空を飛びたかったの。」
十六歳の誕生日。
その誕生日は特別だからとプレゼントを聞かれ、私は彼に真珠と答え、でも、その時に何も欲しがらなかったモニークは、ダグドが最初に作った飛行機を与えられたのである。
私は二度と欲しいものを尋ねられないかもしれないという不安から、とにかくその時は、何かをダグドから貰えるようにと浅ましくも答えていたのだ。
大事な思いでの品ともなったけれど、それほど大事ではない思い出の品。
「あぁ、時間を取り戻したい。本当に欲しいものが欲しいと言えるように、何もいらないって言える強さが欲しい。」
私は抱きしめられていた。
「カイユー。」
「ノーラ、飛行機に乗ろう。領地に戻ったら、俺が操縦するから、二人乗りの飛行機に乗ろう。夜だっていつだって、ノーラが飛びたいと言えば俺は空を飛んでみせる。」
「ありがとう。でも、違う。違うの。私が言っているのは違う。飛行機に乗りたいんじゃない。私もモニークみたいな特別が欲しいの。」
「はは、そっか。俺は特別でもないしね。そこらにいる小石で、単なる孤児だ。」
「カイユー?」
カイユーは私から離れると、彼はそのまま庭の暗がりに消えた。
私を取り残して。
本当に欲しいものがわからない私には、何もかもが消えてなくなってしまっているかのように。




