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ストラトス・シーク  作者: 宇城 紫
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/5 逃走

 明るい廊下というのは、それだけで歩きやすいものだ。


 やはり、ナツメ球に青緑色を起用するのは、絶対に間違っていると思う。せめて温もりのあるオレンジ色を選ぶべきだ。俺は廊下を進みながら、改めて光の大切さを実感していた。


 昼白色の光に照らされた、真っ白の壁紙が眩しい。ドアは一つもなく、ただ一本道の廊下が奥まで続いている。現実味のない白い廊下は、閉塞感が漂っていた。


 俺は背後を気にしながら廊下を進む。


 二人が追いかけてくる気配はない。監視を任されていたと言っていた癖に、あっさりと見逃してくれるあたり、あれはあれで総統と同じくらい酔狂な男だと思う。俺の手には、作務衣の男から奪い、返しそこねたナイフが握られている。全長は約三十センチ、刃渡りは約十五センチ。よく見れば、刃の部分に薄っすらと《S》の印が入っている。何かのロゴだろうか? 抜きのナイフをポケットにしまう訳にもいかず、潔く左手に持って歩くことにした。


 セバスィクプの親衛隊とやらが追いかけてくる気配も、今のところはない。


 いや、俺にはセバスィクプの親衛隊の顔も姿も分からないため、誰かが追いかけてくる気配はない、と言うのが正確な表現になる。作務衣の男と迷彩服の男は運よく制することが出来たが、それはあの二人に俺を殺す気がなかったからだ。二人が俺を殺す気だったならば、俺は間違いなく死体になっていただろう。全力で手加減されていたから、生き延びられただけだ。


 その二人が、面倒だという相手。

 そんなもの逃げるしかない。


 俺はほんの少しだけ足どりを速めた。


 廊下の先、左手側に大きな穴が見え始める。どうやら階段らしい。

 覗き込んでみれば、二メートル程の小さな階段だった。ホテルと言うよりも、工事現場にあるような機能的なデザインに近い。中段から下は根こそぎ崩落しており、残っている部分もひどくぐらついている。下の階に散らばる瓦礫は所々黒く焦げ、まるで爆発に巻き込まれたかのようだった。


 背後を振り返り、ドアを見る。そして前を向き、廊下を見る。


 セバスィクプの親衛隊は、背後から追いかけてくるだろうか。だとすれば、下の階に逃げれば多少なりと時間を稼ぐことが出来る。廊下に遮蔽物や身を隠せる脇道がない以上、悪くはない手だと思うが、どうする?


 俺はもう一度だけ後ろを振り返り、意を決して階段から飛び降りた。

 上の階とよく似た、昼白色の光に照らされた真っ白い廊下が続いている。この回にもドアは見当たらない。勿論、窓もだ。一抹の不安を覚えながら、俺は立ち上がった。


 左右を見比べて、俺は左側へ進むことを選んだ。右側に進めば、あの視聴覚室の真下の部屋に行くと思ったからだ。出来る限り足早に、俺は廊下を突き進む。――一刻も早く、ここを離れたかった。


 初めは、小さな違和感。着地した瞬間から感じた、舐めるような不快な視線。


 しかし辺りを見回しても誰もいない。人が隠れられるような隙間もない。一度は気のせいだろうと判断した。だが、振り払おうとしても奇妙な視線は無くならず、どころか()()()()()()()。まるで四方の壁に監視されているような、嫌悪感が俺の全身に纏わりついていた。


 人間ではない。幽霊でもない。とてもじゃないが、言葉では言い表せない。今までに遭遇したあらゆる恐怖よりも恐ろしい。全くの未知なる恐怖が、俺に迫ろうとしている。胸騒ぎがする。最悪な事態に直面してしまうような、嫌な予感が。筆舌に尽くしがたい不安がわき上がった。――逃げなければ!


 俺は、廊下を進んでいく。


 奥に辿り着いた。俺は角から頭を突き出す。廊下はまだ続いている。廊下のつきあたりには、ドアが見える。ドアにはめ込まれたすりガラスからは、光が漏れていた。


 恐怖から逃れたい一心で、俺は中へと滑り込んだ。


 中はパーティー会場のようだった。華やかな造花の飾りが立ち並び、豪奢なシャンデリアが天井から吊り下げられ、壁一面に広がるモザイクタイルに目を奪われる。会場を埋め尽くす円形テーブルには、一つ残らず白いテーブルクロスが敷かれていた。


 はっ、と俺はドアを振り返る。ドアが開く様子はない。後退るようにドアから離れ、俺は近くにあったソファーに座り込んだ。


 心臓が早鐘を打ち、身体が微かに震えている。――怖い。ただただ怖い。記憶を失っているという現状よりも、遥かに。目を覚ました時、記憶を失っている事に不安を覚えはしたが、ここまでの恐怖を感じはしなかった。


 一体何が怖いのか、自分にも分からない。漠然とした恐怖が忍び寄ってきている、としか説明できない。

 何も分からないという事が、恐怖を一段と強くしていた。


 これは実際に体験した者にしか理解出来ないタイプの恐怖だと、俺は思う。


 あれは何だったのだ。これがセバスィクプの親衛隊か……? しかし、記憶の中の俺はこれほどの恐怖を感じてはいなかった。記憶の有無でこれほどに変わるのか?


 それとも――もっとほかの()()()()()()()か。


 荒野の砂塵に似た、乾いた砂の匂いが鼻先をかすめる。


 少しづつ、呼吸が整ってきた。まだ少し指先が震えているが、この程度ならば行動するのに支障はない。何よりも、一歩でもドアから離れたい。俺は立ち上がると、辺りを見回した。


 部屋の広さは――あまり自信はないが――奥行きが約四十メートル、幅が約五十メートル程だろう。中央には小さなステージがあり、白いグランドピアノが設置されている。譜面台に置かれている楽譜を見つけ、俺はピアノへと近付いた。


――《フレデリック・ショパン『ワルツ第13番 変ニ長調』》。……ピンと来ない。好奇心からつい手を伸ばしてしまったが、どうやら、俺には音楽の造詣とやらが全くないらしい。俺は楽譜をもとの位置に戻した。


 でも、ならば何故俺はピアノに惹きつけられたのだ。


 俺はピアノが弾けたのか? 音楽が好きだったのか? 失くした記憶の中に、音楽に関する情報があるのかもしれない。今はまだ何も分からない。それでもピアノに惹きつけられたという事実は、自分自身を知る為のささやかな前進であると思いたい。

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