インターバル
「お前はどうしてそんなに不出来なんだ」
記憶に残る父は、いつもそう言っていた。
「ごめんなさい、父さん」
子供の頃の俺は、いつもそう言っていた。
俺には兄が二人と、姉が一人いた。四人兄弟の末っ子、それが俺だった。
長兄は家の跡取りとして、早くから帝王学を学んでいたらしい。
次兄は家を盤石たらしめるべく、弁護士への道を用意されたらしい。
長女は家に有益な男性に嫁ぐために、花嫁修業に明け暮れているらしい。
――六歳から二十二歳まで、兄にも姉にも顔を合わせた記憶はない。
母は知らない。
物心ついた時すでに家にいなかった。
俺の中に、家族団らんの思い出はない。家族が全員で食卓を囲むなど、俺には御伽噺よりもずっとありえない話だった。温かな家族の時間だなんて、ただの絵空事に過ぎない。
父は政治家だったと思う。家にいる時間は短く、親子の時間は更に短く。顔を合わせれば、失望と諦念を込めた冷たい目で俺を見おろしていた。俺の幼少期の記憶は、殆どが父によって構成されているが、そこに思い出はなかった。
父ははじめ、俺を政治家にしたかったらしい。
二人の兄のサポート役として、ひいては息子に相応しい一人前の男に育てたかったのだと思う。だが、父の野望は簡単に打ち砕かれた。
俺には、壊滅的なまでに人の上に立つ素質がなかったのだ。
幼少期の俺は、控えめな性格だった覚えている。人の前に立つのが苦手で、目立つのが嫌いだった。限りなく引っ込み思案で、病的なほどに内向的で、大人しいというよりも暗い性格だった。
失敗を成功への糧には出来なかった。失敗は失敗。経験ではなく、ただの苦い屈辱。ありふれた挫折に過ぎなかった。次こそは、と奮い立つ心の強さなど俺にはなかったのだ。
だから、気付いた時には気付いてしまっていた。
力を得るという事は、誰かを傷つける事なのだと。
人の上に立つという事は、誰かに傷つけられる事なのだと。
俺にはその生き方が、この世の何よりも醜悪なものに思えた。
力などいらない。地位も、権力も、有り余るほどの財力も欲しくはない。誰も傷つけずに生きていけるのならば、それが本望。物言わぬ貝のようにひっそりと生きていけたならば、それが理想だった。
父に求められた生き方は、俺の望む将来とは真逆のもので、到底叶えられるものではなかった。
大それた目標などない。怠慢なまでに緩やかな人生を送られれば、それだけで良い。死なない程度にひもじく、生きられる程度に穏やかな日々を。いずれ訪れるであろう命の終わりを、静かに待っているだけの人生で良かったのだ。そういう風に、生きたかった。
しかし、父は俺のそんな《夢》を許してはくれなかった。
大学を卒業して、父に命じられるがままに軍人になった。軍隊に入れば、俺の軟弱な精神もマシになるだろうという、父の期待は明け透けだった。反対は――しなかった。したところで無意味だと理解していたからだ。
……いや、違う。
俺はただ、自分の意思で選ぶことを放棄しただけだ。
自分の事さえ自分で決められず、何もかも他人任せ。敷かれたレールの上を歩くのは楽だから、自分で決断するのは面倒だから。そんな言い訳ばかり重ねてきた。父が不出来だと嘆きのも当然だ。
結婚を決めたのも父だった。結婚願望はなかったが、しかし結婚が嫌だった訳ではない。いずれは誰かと共に歩んでいければという思いは少なからずあった。ただし恋愛経験はなかった。他人を好きになるという心理が良く分からなかったし、他人に合わせるのが煩わしく思えたからだ。
だから、父が用意した見合いに俺はすんなりと頷いた。曖昧な意思は流される事を選んだ。優柔不断な俺は、与えられた選択権の中に拒否権がある事すら知ろうとはしなかった。
妻――シンシア・L・マッケンジーという名の女に「愛している」と言った事はない。愛しているのか、俺には分からなかったからだ。妻に「愛している」言われた事もない。今となっては、彼女は本当に妻だったのかさえ分からない。もしかしたら彼女はただの同居人で、赤の他人だったのかもしれない。
同じ家に住みながら、滅多に顔を合わせる事はない俺と妻だったが、たった一度だけ、彼女は俺に満面の笑みを見せてくれたことがある。
――俺が、この宇宙船に乗船するという辞令が下った事を伝えた時だ。
二度と帰らないだろう、と伝えた俺に彼女は笑った。
お国の為に頑張ってくださいね、と優しい声色でとびきり嬉しそうに。
地球を出発する日、妻が俺を見送りに来ることはなかった。
代わりなのか、父は兄二人を連れて見送りに来た。――兄たちとは十年ぶり以上の再会だった。俺と父の仲は、最悪だったと言えるだろう。俺にとって父はひたすらに厳しく怖い人だった。暴力的なまでに独裁者で、独善的な暴君であった。そして父にとって俺は、息子と名乗る事さえ烏滸がましく思うほどの出来損ないだっただろう。価値観の相違は決して埋められず、年を経るごとに分かたれる一方だった。
存在を忘れかけていた二人の兄は、憐れんだ目で俺を見ていた。
この時俺は、兄たちはそんな顔をしていたのか、などと的外れな事を考えていたのを覚えている。同情も、憐憫の眼差しも、飽きる程に向けられてきたものだ。……それが本当に《飽き》だったのかは、今でも分からない。
俺の前に立った父は、真っ直ぐに俺を見据え、はっきりと断言した。
「後の事は何も心配するな。お前は安心して――死ぬといい」
何の感慨も湧かなかった。
むしろ、あまりにも月並みなその台詞に、失望感を覚えたぐらいだ。
返事など求めていないと言わんばかりに、父は俺の背を強く押す。俺は何も言わずに、宇宙船へ向かう。足を留めさせるような心残りは、一つもなかった。
ただ一つだけ謎なのは。
この時、俺はどんな言葉が欲しかったのだろうか。
俺は何故、父の言葉に失望感を覚えたのだろうか。
それだけが謎だった。




