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ストラトス・シーク  作者: 宇城 紫
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/1 目覚め


 目を覚ましたら薄暗い闇の中だった。


 俺は柔らかな――おそらくはベッドに、横たわらせられている。弱々しいベッドライトに照らされて、天蓋の布が中途半端に垂れ下がっているのがぼんやりと見えた。


「……は」


 垂れ下がった布の隙間から覗く、シンプルだが高級感の漂う室内の情景。薄暗い中でもはっきりと分かる豪華な内装。金持ちの豪邸か、一流ホテルのスイートルームを彷彿とさせる。


「ここは……どこだ……?」


 俺は恐る恐る身を起こす。ぎこちなかったが、身体は自由に動かせる。怪我はしていないようだ。垂れ下がった布を乱暴に払いのけ、俺はベッドから立ち上がった。


 俺は何故こんな場所に?

 誰かに連れてこられたのか?


 得体の知れない不安が、胸の中でじりじりと広がっていく。訳が分からない。とにかく、一刻も早くここから離れよう。俺は周囲を油断なく見回した。


 固く閉ざされたドアの隙間から、微かに光が漏れているのが見える。ドアの向こう側に、誰かいるのかもしれない。期待と恐れが交互に押し寄せ、心を掻き乱す。俺は足音を殺して、ドアに近付いた。


 ドアの前で息を潜めて、耳を澄ます。十秒――二十秒経っても、何も聞こえてこない。


 もしや……誰もいないのか?


 僅かな逡巡のあと、俺は意を決してドアの取っ手を握り回した。


「う……」


 ドアを開けた瞬間、強烈な異臭が鼻をつく。これは、血の匂いだ。充満する澱んだ空気に、思わず袖で鼻を覆う。一体ここは何だ?


 そこそこ広い部屋のようだが、テレビは罅割れているし、ソファーは引き裂かれて綿が零れている。そのうえ、床には大量のガラス片が散乱している。薄汚れて頼りないナツメ球に照らされた室内は、まるで強盗に襲われたかのような惨状だった。


 しかし、これ以上なく荒れてはいるが、内装自体はどことなくリビングルームを思わせるような気がしないでもない。ならば、目を覚ました先の部屋は寝室という事になるのか? これでは本当にホテルのようだ。


 室内に人の気配はない。この場所について何か手掛かりはないかと、俺は辺りを歩き回る。一歩踏み出す度に、ガラス片と靴底が擦れて凶悪な音を鳴らしている。心持ち慎重に、ガラス片の少なそうな所を選んで歩いてみるが、無駄な努力なのか結果は変わらなかった。


 部屋の真ん中には痛んだ机があり、机の上には割れたマグカップが転がっている。中身は乾いており、最後に使用されてから随分と時間が経っているようだった。机にはマグカップを文鎮代わりにして、小さな紙切れも置かれていた。俺は紙切れを手に取る。暗くてよく見えないが、ただの白紙だろうか? ……いや、紙を持っている指の下に、微かな凹みがある。何か書かれている? 判別を試みるが、さっぱり分からない。だが、何かの手掛かりになるかもしれないと、俺は紙切れをポケットにしまった。


 もう一度辺りを見回すが、他に目ぼしい物は見当たらない。たち込めていた血臭さの原因も、分からないままだ。


 ここで何があったのか。そして、俺は何故連れてこられたのか。俺なんかをこんな目に遭わせて、一体何が目的なのか。手掛かりは全くない。


 更に言えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――それすらも分からない。


 ()()()()()()()()()


 名前だけじゃない。家族も職業も自分自身について何一つ思い出せないのだ。考えれば考える程に、なけなしの記憶が霧散しているような気さえする。


「……はっ」


 自嘲が零れる。何も分からない状態なのに、冷静でいられるのは何故だ? 生来こんな性格だったのか。それとも見当もつかない職業が関係しているのか。


 考えた所で答えはないか、と俺は思考を打ち切る。どちらにせよ、この状況下で冷静な思考が出来るというのは、ここから脱出する強みになる。それだけ分かれば十分だ。


 俺は足元を見おろし、適当なサイズのガラス片を二枚拾う。手に取ってみると、ガラス片は思っていたよりも分厚かった。これなら、いざと言う時の武器として使えるだろう。気休めでも何も無いよりはマシだ。紙切れをしまったポケットとは逆のポケットに、ガラス片をしまい込む。


 狭い廊下の先からは青緑色の光が漏れている。寝室、リビングルームと来て、次は何処に通じているんだ? バスルームか? それとも、出口か。いくら冷静だとは言え、俺にも恐怖はある。しかし、こんな場所で足踏みしていたくはない。俺に進む以外の選択肢などなかった。


 三メートルもない短い廊下を、一足飛びに通り抜ける。室内に負けず劣らず薄暗い廊下が、左右どちらにも続いていた。不気味な青緑色の光の正体は、廊下のナツメ球だったらしい。実に悪趣味な事だ。


 出口かもしれないという淡い期待は裏切られる結果となったが、一応部屋からの脱出には成功した。開けっ放しだったドアから出る事を、はたして脱出と呼んでいいものか些か疑問が残るが、そこは良しとしよう。


 幅の狭い廊下の向こう側に、重厚そうな洒落た雰囲気のドアがあった。ここがもし本当にホテルなのだとしたら、あれは客室のドアという事になるが、さて、調べるべきだろうか?


 だが、人が出てきたらどうする。無関係の宿泊客か、はたまた俺をここに連れてきた犯人の一味か、俺には判断のしようがない。それに、ここで騒ぎを起こして犯人に見つかっては本末転倒になってしまう。


 俺はノックをせずに、代わりに左右の廊下を見比べた。  


 右と左、どちらに進むかが俺の命運を分ける、のだろう。右も左も、とにかく遠くまで続いている。情景はほぼ同じと言っていい。


 暫く悩んだのち、俺は右へと進み始めた。


 道に迷った時はとりあえず右に進み続ければ何とかなる、とかつて誰かに言われた気がする。根拠もなく、それでいて随分と自信満々に、主張する人の影が朧気な記憶の中に残っているのだ。その主張に信憑性があるとは思えないが、朧気といえど自分の記憶だ。()()()()()()()()()()()()()()


 真っ直ぐに、それこそ永遠に続くのではないかと錯覚を抱くほどに長い廊下を、俺はじりじりと進んでいく。階段も曲がり角も、まだ見えない。青緑色の不気味な光だけが、廊下を照らしている。


 ……はたして、俺は一体どこを目指せばいいんだ……?

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