1-6 血濡れの少女
五十嵐が完全に去ったのを確認してから、秋人はほっと息をつく。
そこへ、竜人と吾郎がやってきた。
2人とも動き回っていたためか、服がはりつくほど汗をかいている。
「災難だったな秋人。けどまぁ、あんま気にすんなって! 」
そう言うと竜人が励ますように肩を叩いてくる。
「お前が頑張ってるのは私もよく知っている。だからあの女の言う事など気にするな」
「お前ら聞いてたのか」
「そりゃ、あの四帝が鍛錬中に絡みに行くとなれば誰だって気になるだろ? 皆、鍛錬しながらお前の方をちらちら見ていたぞ」
竜人に言われ、秋人は周囲に目を配る。皆普通に鍛錬しているみたいだが、中にはこちらと目が合うなり慌ててそらす者もいた。
聞き耳を立てていたとは人が悪い。とはいえ、注目してしまうのも無理はないか。
タオルで汗をふき、水を飲んだ後、竜人が言った。
「でもさ、あの五十嵐さんが急用とはいえ、鍛錬の途中で抜け出すのは珍しくね?」
「ああ。まあ……緊急の用があったんだろ。『私が行くまで絶対に逃がすんじゃないぞ』とか言ってたしな」
「ふむ……敵でも出たのだろうか」
「その可能性は高いけどさ。五十嵐さんが出るってよっぽどじゃね?」
竜人がいう事ももっともだった。
基本的に、状況が切羽詰まっている時でない限り四帝が出ることはほとんどない。
敵が現れたとしてもそれを処理するのは基本的に中、下位ナンバーの人達だ。だが、五十嵐の電話のやりとりから察するに、敵を捕らえるといった旨のものであることは想像がつく。
四帝を出さないとまずいほどの敵が出たのだろうか。
「ま、五十嵐ならすぐに敵も降伏させるだろ」
楽観的な秋人の発言に、竜人も頷く。
「それもそうだな。というかむしろ、相手がかわいそうなぐらいだぜ」
「あの女、敵には容赦しないからな。全く、何故居眠りしただけで斬らればならんのだ……」
吾郎が悪態をつく。元々快く思っていなかったらしいが、どうやら今朝の一件以降、五十嵐の事をますます嫌いになったようだ。
その後、五十嵐が行った事で地獄の鍛錬にならずに済んだ秋人達は、各自鍛錬に没頭するのだった……。
◇◇◇
鍛錬を終えると、時刻は20時を回ろうかというところだった。
皆へとへとになりながら、道場を後にしていく。
「じゃあまた明日な!」
「では」
寮が同じなので、普段は3人で帰ることも多いのだが、この日竜人は女友達と食事、吾郎はギャルゲーを買いに行くだとかでそれぞれ帰路を別にした。
PECの基地を抜け、街道を1人でぽつぽつと歩いていく。
周囲は子供連れの親子やカップル、老夫婦や学園帰りの学生など、様々な人達で賑わっていたが、その楽しそうな空気とは裏腹に、秋人の表情はどこか暗い。
「今日も駄目だったか……」
物憂げにそうつぶやいた秋人の言葉には、2重の意味が含まれていた。1つは投影体を倒せなかった事、そしてもう1つは夜叉髑髏が反応しなかったことだ。
PECに入ってから2年間ずっとこんな調子だ。成長の兆しはほとんど見られない。だからこそ先程五十嵐に言われた言葉は、ほぼ全て的を射ている。
自分にはPECとしての素質はおろか、実力もない。せめて神力を解放することができればまた状況は変わったのだろうが、たらればの話をしたところでただの言い訳に過ぎないと一蹴されるだけだろう。
しかし、それでもやめるわけにはいかない。
「……あいつ何してっかな」
思わずそんな言葉がこぼれ出た。そう言った秋人が頭の中に思い浮かべた人物はただ1人。
――吉良 莉子。
最愛の妹にして、たった1人の肉親。
元々病弱な彼女は、2年前のある事件によって治療を続けなければ死んでしまう程にまで衰弱してしまった。そんな彼女の治療費を稼ぐため、秋人は危険とわかっていながらもPECで働いている。
しかしその事実を莉子本人は知らない。
それはなぜか?
2年前の事件によって莉子から恨まれているからだ。恨んでいる相手から経済的援助を受けていると知れば、本人は猛烈に嫌がるはずだ。なのでその事実は莉子にふせ、彼女が現在身を寄せている親戚の家の人達が援助をしているということになっている。
治療の甲斐あってか、学園に通えるほどにまでは回復した。今はそれだけが救いだろう。
「っと、こっちか」
街道を抜けた秋人は、いつものようにスーパーの中へと入った。
給与のほとんどは妹の治療費にあてているため、秋人が使えるお金はたかがしれている。その為、20時からやってる特売セールにはいつも行っているのだ。自炊する方が安いのはわかっているものの、料理が全くできない秋人は、割高とわかりつつも総菜を買わざるを得ないのだ。
夜ご飯を買った後、暗い夜道を歩いていく。
寮の近くにまでくると徐々に街灯が少なくなり始めた。もう6月とはいえ、流石にこの時間帯ともなると辺りは真っ暗だ。
そして、寮まで目と鼻の先というところで、ふと、秋人は異変に気付いた。
「血痕……?」
街灯に照らされた地面には、血の跡が点々と続いていた。乾いているものもあったが、まだ生温いものもある。その事から察するに、この血の主はここを通って間もないだろう。
点々と続く血痕を追っていくと、徐々に血の量が増えていく。
相手に近付いていることを確信した秋人は、腰に差した夜叉髑髏に手をかけ、いつでも戦えるように態勢を整えた。
そして角を曲がり、路地裏にたどり着いたところで、秋人はその光景に思わず目を見開いた。
「おいおい……まじかよ」
目の前に横たわる血だらけの少女。
地面にはべっとりと血の池を作っており、生きているのかどうかすら危うい状態。
そんな状態の少女を見た秋人は携帯電話を取り出すと、とっさに救急車を呼ぼうとする。
だが、ボタンに手を掛けようとした瞬間、突如足首にぬるりとした感触があった。
「ッ!?」
驚いた秋人が足元を見れば、少女の手が彼の足首を掴んでいた。
「よ……ダ……メ……」
「え?」
「よん……で……は……ダ……メ……」
それだけを言うと少女はそのまま力尽き、意識を闇へと沈ませていった。
「呼んでは駄目……ということか」
まだ少女が生きていた事にも驚きだったが、それよりもどうして救急車を呼ぶことを拒んだのか。
これだけの重傷を負っているのならば、まずは病院へ連れていくことが少女にとって最も良いはず。
しかし、それを断ってまで行きたくない理由があったのだろうか。
「…………」
秋人は目を瞑り、悩んだ。
とはいえ一刻を争う事態だ。あまり考えてはいられないだろう。
早々に決断すると携帯電話を閉じ、意識を失った少女を抱きかかえる。
「とりあえず……俺の部屋に連れて行くか」
部屋の中に救急セットがあるため多少の応急処置ぐらいはできる。鎮痛薬を塗れば傷口の治りも早くなるだろう。
とはいえ、ここまで傷が深いと焼石に水かもしれないが……。
「誰もいないよな……?」
ここは秋人の寮の近くにある路地裏だが、いつ人が来るとも限らない。
なるべく少女に衝撃を与えないようにしながらも、秋人は足早に寮へと向かったのだった。