連鎖教室
「えー、かわいそうー」
机の上に突っ伏して深い眠りにつこうとしていた僕は、斜め後ろの席から聞こえてきた猫を撫でるような声に起こされた。
今は五時間目の生物の授業中。生物という教科に限らず、給食を食べた後の授業はとても眠たくて集中できない。眠気に耐えながら教師の呪文のような言葉を聞き続けなければならないのは学生にとって苦行である。
しかし教師もたまには手を抜きたくなったのか、この日の授業の内容はDVD鑑賞だった。蛍光灯の灯りを消し暗幕を閉めた暗い教室で、備え付けのテレビを使って教育番組が流されている。
当然ながら真面目に番組を見ている生徒はほとんどいない。薄暗いのをいいことに手紙の交換をして遊んだり、テレビの音量を上回らない声でおしゃべりしたりとみんな自由に過ごしている。教師も特に注意はしない。
普段は必死に授業を聞いているフリをしながら船を漕いでいる僕も、今日は暗闇に紛れて堂々と眠ってしまおうとしていた――というところであの猫撫で声だ。何が可哀想なのかとテレビを見ると、鹿っぽい草食動物がライオンに捕食されている映像が映し出されていた。手抜きとはいえ一応生物の授業なので、流れている番組は食物連鎖をテーマにした動物ドキュメンタリーだ。
周りのおしゃべりの声はそう気にならなかったが、今の声は際立って大きく聞こえた。僕の前の席に座っている岸本が驚いて一瞬振り返ったくらいだ。
聞こえてきた方向と声色から察するに、声の主はおそらく水城という女子だ。なるほど、わざと聞こえるように声を出したのか、と僕は察した。
水城が岸本のことを好きだという噂はクラス内で有名だ。つまり今のは「ちゃんと授業に取り組んでいる私って真面目な子でしょ」あるいは「食べられる動物に同情する私って純粋で優しい子でしょ」というアピール。
いや、可哀想って。お前さっき給食のから揚げうまそうに食ってたじゃん。
ライオンにとっての鹿が僕らにとってのから揚げだってだけの話じゃないか。天然にしろ狙っているにしろ「可哀想」なんて言葉が出てくること自体が馬鹿馬鹿しい。そんな言葉が出てくるということは、食物連鎖とか弱肉強食だとか当たり前のことが中学生にもなって理解できてないってことだ。
画面の中の出来事だからそう思ってるワケじゃない。きっと目の前で捕食シーンを見せられたって、可哀想だなんて感情は湧いてこない。
はたしてから揚げを可哀想と言うような女子を好きになる男なんているのかというのは甚だ疑問だが、少なくとも物理的に岸本を振り向かせることには成功しているのだから、水城としては大成功なのかもしれない。
僕は机に再び突っ伏した。ドキュメンタリーの内容もクラスメイトの恋の行方も興味がないので、今度こそ本格的に寝た。
食後の昼寝に費やした五時間目の授業が終わり、休み時間の間に教室を移動して国語の授業の時間。僕は掃除用具入れの中でさっき見たライオンが鹿を捕食するシーンを思い出していた。
水城は食べられる鹿を可哀想だと言ったけど、僕はやっぱりそんなことは思わない。
画面の中の話だからじゃない、目の前で捕食シーンを見ても僕はそんなことを思わなかった。
水城は目の前で食べられる岸本を見てやっぱり「可哀想」と思ったのだろうか。そうだったとしたらやっぱり馬鹿だと思う。
授業が始まってからしばらくして、教室の窓ガラスを突き破って見たこともない生物が飛び込んできた。
窓際の席に座っていた岸本はその生物が飛び込んできたと同時に床に押し倒されて、真っ先に首を食い千切られた。
みんな何が起きたのか解らずに一瞬動きが止まったが、すぐにパニックが拡がって我先にと教室から逃げ出そうとした。最初に教室を出たのは国語教師だったが、すぐに廊下から先生の悲鳴らしき声が聞こえた。それで僕は教室から出るのをやめて、咄嗟に教室の隅の掃除用具入れに身を隠した。
耳を塞いでも聞こえてくる悲鳴は防ぎ切れない。
恐る恐るロッカーの隙間から様子を伺うと、水城が腹から内臓を引きずり出されて食われていた。
ドキュメンタリーの鹿も、こんな風に腹から食われていた。
目の前でクラスメイトが食われても、僕は彼らが可哀想だなんて思えなかった。
弱い生物が強い生物に食われるのは当たり前。そんな自然の摂理を可哀想と思うなんて馬鹿げてる。
僕は可哀想なんて思わないけれど、から揚げにはなりたくないと思った。




