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よくある話。【付録】  作者: 唐子
【ありふれた話。】
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一、ありふれた縁談。

【あらすじ】……美貌の侯爵令嬢、富貴子は、伯爵家継嗣である春芳との縁談を受ける。義務として受けた縁談。ぎこちないながらも歩み寄る結婚生活。しかし畜妾をすすめた日、それは崩れた。「焚火にはちょっと早い季節だけど。焼き芋でもする?」「あああ、釣り書きが……もえていく……」結婚を介した、不器用な富貴子の成長物語。(になるはず。)


※『よくある話。』の派生作品ですが、単品でもお楽しみいただけるかと思います。

※『よくある話。』より過去になります。

※ 旦那様の両親、伯爵様とその夫人の出会いです。





 目の前で燃やされる紙束を、富貴子は呆然と眺めた。

 涼しさを感じ始める晩夏の夕闇に、てらてら燃え盛る炎。


「ああ、綺麗だねえ」

「だ、旦那様……?」

「焚火にはちょっと早い季節だけど。焼き芋でもする?」

「あああ、釣り書きが……もえていく……」


 居間で、夫と歓談していたところに、話があると改まったのは富貴子だ。


 ほうぼうから寄せられた妾の釣り書きを並べてみせて、好きな人を選べと迫った。別段、おかしいことではない。

 富貴子が嫁して五年。子は男子一人。三つになった。

 叶うなら、子どもは多い方がいい。後継となる男児を早々産めたのは幸運だったが、いつ何が起こるともわからない世の中だ。一人では心もとない。


 妾の話は、息子が生まれた直後から持ち上がっていた。

 富貴子の嫁いだ橘伯爵家は、元は幕臣の、寄合に名を連ねる大身旗本で、幕末に現当主である伯爵の働きによって勲功を得た、抜擢の家である。

 義父である伯爵は、今は内務省に勤め、政治家としても有能で先の明るい家でもある。しかし、伯爵には、継嗣である富貴子の夫、春芳はるよし以外に子がいなかった。橘家は直系、とりわけ男子が少ない。

 ゆえに、春芳には多くの子を望まれた。

 妻である富貴子もそれを容認し、努力は惜しまなかった。だが、子宝は天の采配である。

 結局、長子誕生より兆しのない現状に焦れた周囲に迎合し、富貴子は夫に蓄妾を自ら勧めた。


 結果、焚火である。

 おもむろに卓の上に並べられた釣り書きをかき集めた夫、春芳は、広縁から庭に出、池の傍まで来るとどこからか取り出したマッチで火をつけた。一連の流れはあまりに自然で、止める暇などなく。

 そして、てらてら燃え上がる炎を、追いかけてきた富貴子は呆然と見たのだ。


「あのね、必要ないから」


 にっこり笑って、春芳が断言する。

 富貴子は、二の句が継げなかった。





 * * *


 時は少しさかのぼる。


「富貴子さん、ちょっと会ってもらいたい男さんがおりますのやけど」


 白水富貴子の縁談は、父親のそんな一言から始まった。当歳十五。春のことだった。




 富貴子が、級友の中で一等なかよしの弓子に持ちかかった縁談を打ち明けたのは、相手に一度接見する算段が付いてからのことだった。


 女学校の誰もいなくなった教室の隅っこに、少女が二人。

 一人は、庇髪にぬばたまのくしを腰まで流し、白皙にちょんぼりとした紅唇、涼やかな目元が印象的な、玲瓏たる少女。白水はくすい富貴子。

 もう一人は、何もせずとも微笑んで見える口元に、柔和に垂れた目尻が小動物を思わせる、清楚な少女。帚木ははきぎ弓子。

 二人は、女学校の同級生となって三年、今では無二の友人であると言っていい仲である。


 さて。富貴子がひっそりうち明けたところ、弓子は手を打って友人の縁談を喜んだ。


「それで富貴子さん、お受けになるの?」

「断る理由がないわ」


 弓子がが朗らかにたずねるのを、富貴子はつれなく言い返す。

 しかし、言葉が足らないと気付き、言い足した。


「これでも、孝女を志す身として、おもう様の御意に反する気はサラサラないのですけれど」


 父に逆らう気はない、そう言えば、弓子はしかりとうなずいたが、もう少し言いたげな顔を隠さなかった。

 言及したいのは、縁談の是非ではないらしい。


「縁談は家のものですもの。お父上がもたらされるのはわかるのですけど、私が言いたいのはそうではなくて。事前に婚約者となる方にお会いするのが、お珍しいなと思いまして」

「そうなのですか?」

「私、上の姉が嫁ぐ際は、結納までにお相手と逢引したなど、聞いておりません」


 首を振る弓子の発した言葉に、富貴子はぎょっと目を剥いた。


「逢引などではありません。正式な顔合わせです。誤解させたのならごめんなさい」

「あら? 私ったら、先走ったのね。失礼しました。では、れっきとしたお見合いなのですね」


 見合いにれっきも何もあるものかと、内心小首をかしげる。富貴子はこういった世知に疎かった。


「縁談は初めてなので、なにが当たり前なのか、判断がつかないのですけれど」

「まあ、もちろんです。縁談なんて、そう何度も持ちかけられてたまるものですか」


 叶うなら一度で決めたいところです、と、ころころ笑う弓子。彼女には姉が二人在って、こういった情報は自然耳に入るらしい。

 それでなくても、弓子は普段から話題や噂に敏く、拾い上手であるため、人付き合いの苦手な富貴子はよく助けられていた。

 弓子が、どのような形式で会うのか、突っついて聞いてくる。好奇心だけでなく、その眼は真剣である。


 良妻賢母教育を主旨とした女学校で、最高学年の三年生にもなれば、縁談で中退する者もちらほら出てくる。級友の縁談は、女学生にとって関心の高い話題だった。

 弓子は朗らかで弁も軽いが、口の堅い娘だった。大勢にひけらかすのは性格が許さない富貴子でも、弓子一人になら、口も滑る。


「芝居でも観て来いと、歌舞伎座に出向く予定だったのですが。私が人目に付きたくなかったので、我が家においでくださることに」

「ああ、武家の見合いに、そのようなものが。芝居小屋のあちらとこちらで、垣間見て、といった風な」

「お相手は、元は旗本のお家柄だとか。なるほど、そちらの定石だったのですか」


 白水の家は、平安の御世より続く公家の血筋である。

 殿上を許された家格の貴族だったが、代々振るわず、時代が下るにつれ生活に喘ぐほどに困窮するようになり、暮らしぶりは市井の町人農民より貧しいくらいだった。時節そんな公家は珍しくもなく、よくある中庸の家だった。

 時代の変わり目に、富貴子の父がどうやったのか手柄を立てて、新時代白水家は侯爵位を戴き、一躍名門となりあがった。


 対する見合い相手の家は、古くから幕臣として仕える武家の家柄と、富貴子は聞き及んでいる。当時石高五千石に上がるというから、貧乏公家には正反対の御大尽である。

 富貴子に役職のことはよくわからないが、今は政に深く関わる立場だというから、現在に至るまで財力はもちろん、権威も申し分ない。


 富貴子の見合い相手は、その伯爵家の継嗣である。


 良縁である。

 父から話を聞いた時、富貴子は正直、びっくりした。隣に座る兄も仰天していた。

 風に舞う木の葉か蝶よりもふわふわ軽佻な父親が、娘の縁談を、それもしっかりとした筋の良縁を持ち帰ったきたことに、兄共々驚かされたのだ。


「一度もあいまみえぬまま嫁ぐ例もございます。お見合いは、まあ良心的な縁談ではありますね」

「そうですね。いつかはこんなことがあると、覚悟はしていました」


 ふむ、とあごをひとなでする弓子に、富貴子もうなずいてみせる。


 白水家は、帝の東下に随行し、西の京から今の帝都にやってきた。


 東下した当初、公家時代の貧乏の名残で、家にはかなりの借財が残っていたことを、富貴子は知っている。

 現在は完済し、それなりに裕福になり、余裕のある暮らしとなった。だが、貧乏は富貴子の心身を、より現実に向けさせた。

 富貴子の性格の根源には、忘れがたい貧乏時代の日々の暮らしがある。いざとなれば、家族のために身売りもいとわない覚悟が、物心ついた齢四つにならん富貴子にはあった。

 今も昔も、借金のカタに廓入り、なんてよく聞く話で。金策にあえぐ公家の姫が、島原や吉原に流れるなど、珍しくもない話。

 明日は我が身だったそれじゃないだけマダよいと、富貴子は内心胸をなでおろすのだ。白水は随分堅気の家になった。


「富貴子さん、もしかしてこの縁談、嬉しくはないのですか?」


 ふと、弓子が富貴子の顔をのぞきこむ。その心配げな眼差しに、富貴子の心はぽっとあたたかくなった。


「嬉しくない……というより、不安の方がまだ強いのです。あの父が勧める人です。一筋縄の人ではないと邪推します」

「問題ない人だったら、そのまま受ける?」

「その決定権は、私には無いでしょう?」


 顔を見合わせ、思わずほろ苦く笑い合う。

 生まれも育ちもまったく違う二人だが、ただひとつ『娘』という立場において、そこに差異はほとんどない。


 当世、よほどのことがない限り、婚姻は家の領分である。

 男であれ女であれ、家長の思惑が最優先で、当人の意思が反映されることは、まずほとんどない。

 それが通例であるがゆえ、富貴子も弓子も、思うところはあれど、疑問には思わない。

 まだまだ、女大学、お家意識の強い時代である。家長の言は、絶対であった。

 子は異を唱えることなど許されず、親の言うなりにかたづくしかないのだ。

 であるなら、娘たちはせめて、良い条件、相手が好い御仁であることを願う。


 富貴子は、そういう意味では、良い条件の相手と引き合ったと言える。相手は財力も権勢もある伯爵家で、その継嗣。

 父親が見合いを勧めるということは、父の意に適った、白水家にとっても申し分のない相手ということでもある。

 相手と幸せになれるかどうかは、富貴子の努力次第となる。無論、惜しむつもりはない。


「新時代といっても、まだまだ窮屈な世の中よね。結局、深層では男主導の意識がぬぐい切れていない。政なんて特に。世の中の半分は女なのにね」

「弓子さん、それ以上は……」

「わかっています。不敬ですわ。でも、ねえ、富貴子さん。この限られた自由の中で、私たち女だって、新時代を目一杯楽しんで……幸せになってやろうじゃないですか」


 柔和な面に、意思の強さを孕んだ光が宿り、それが弓子を鮮烈な印象にする。

 富貴子は、弓子の柔和さに閃くように現れる、生命力と意志にあふれた鮮やかさが、たまらなく好きだった。


「でも、せめて富貴子さんのお相手がまともな人であるよう、お参りに行くわ。どこがいいかしら? 天神様?」

「ありがとう、弓子さん。天神様はやめてちょうだいね。学問の神様に良縁など祈ったら、雷公の天罰が下りそう」

「じゃあ八幡様? うちのご鎮守様でも平気かしら? ついでに自分の良縁もお祈りしておこうっと」

「まあ、そちらが本命でしょう?」

「あら」


 おどけたように舌を出して茶化して見せる弓子に、小さく笑う。弓子はこういう、人の憂いを散らす慮りをさりげなくできる人だった。

 その気遣いに、不安が少しまぎれる。人に打ち明けたことで、多少なりとも心が定まったのを富貴子は実感した。


 弓子に話してよかった。


 深い感謝と共に、改めて友人を尊敬しなおす富貴子なのであった。








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