MYMIMI:2015 – 誰も知らない物語
※この作品は志室幸太郎様主宰のシェアード・ワールド小説企画「コロンシリーズ」参加作品です。
風はまだ冷たいものの、日中は日の光を暖かく感じられる様になってきた。もっとも、一日中空調の効いた屋内にこもっている彼にとっては外が暖かろうが寒かろうがどちらでもいいのだが。先ほどから外を歩く人達の中にちらほらと子供の姿を見かける。彼が今ここにいる事もそうなのだから、何も不自然な事ではない。時は年度末。千代田区神田神保町。書物に染み込んだ歴史の匂いが漂ってくるこの町にも、春が訪れかけていた。
神保町すずらん通りから道を一本入った所にひっそりとそれは建っている。古詠堂書館。新学期を控えて春休みに入ったばかりの彼は今日もここで、出かけている祖父の代わりに店番をしていた。
客が三人いる店内に突如来客を告げる鈴が鳴った。彼は慣れた様子で適当にさほど抑揚の無い声を出す。
「いらっしゃいませー」
「よっ、シドッシー!」
「……ああ……?」
ミミミだった。相変わらず底抜けに明るい声と共にやってくる奴だ。めんどくさいのが来たな、とシドは顔をしかめた。
「何? あからさまに渋面作って。私が来た事がそんなに嬉しいの?」
「お前渋面って言葉の意味知ってるか?」
と返しながら、ああ今日は「私」の日なのね……と彼はひとり合点する。ミミミの一人称は気分や状況によってころころ変わるのである。
「何の用だよ」
「聞いて驚け。ハントの依頼だ」
「いつもの事じゃねーか、全く新鮮さのかけらも無いわ」
「依頼人さんには今外で待ってもらってるんだ。さっさと机と椅子とそれからコーヒーを用意してくんない?」
「うおい! 何で毎回人の店に連れてくんだよ! ウチは喫茶店じゃねーっての!」
「さあさあこれから大事なハントの話だから部外者は出てった出てった」
苦情を述べるシドを無視し彼女は客を無理矢理店から追いやる。
「人の客を……! 営業妨害で訴えるぞ! 毎回毎回!」
「黒崎さーん、どうぞどうぞ~」
「だから勝手に……!」
彼女の合図で入店してきたのは眼鏡をかけた黒髪の女性だった。まだ若い。彼らとそれほど歳が変わらない様に見える。
はっきり言ってめちゃくちゃ綺麗だった。
「すみませんね、インスタントしか出せませんが」
光の速さでシドはミミミに指示された物を準備した。
「では自己紹介を改めてお願いします。あとついでに年齢もぜひ」
狭い通路に幅いっぱいの細長い小さな机を出し、ふたりと依頼人は向かい合って座っていた。ミミミとシドはひとつの椅子を共有して座っているため、決してくつろげる体勢ではなかった。
「はい。黒崎詩織です。19歳……来月で20歳になります。よろしくお願いします」
「ほう、19ですか……僕はシドです。よろしくお願いします……では、早速依頼の内容を……」
「何でお前が仕切ってんだよ」
話を進めていたシドの横からミミミがツッコむ。
「僕はいっつもハントの記録を残してるだろ? だからしっかり聞いておかないといけないじゃないか」
キリッとした表情で彼は言った。が、本音は「綺麗な人と話したい」ただそれだけだった。
「……ふーん、あっそ」
彼女はなぜか不機嫌な顔を作り瞬時に彼の股間に拳を打ち込む。
「いいいいいいいたああああああっ!! 何すんだよ!」
「べーつーにー……まあ黒崎さん、汚い店だけど緊張しないでリラックスして話して下さい」
「実際小汚いけどお前に言われると腹立つわ……!」
「……はい」
詩織は詳細を話し始める。
「小説を探して欲しいんです」
「何て小説?」
「それが……」
急に彼女は俯いた。
「タイトルを覚えてなくて……」
「あらら」
ミミミは腕組みをして体勢を崩す様に斜めの方向に脚ごと向け、背もたれ代わりにシドに寄りかかる。
「作者名は?」
「はい、作者名は覚えてます。シロアトメグリ……という人です」
「……ピンとは来ないな」
「どんな字を書くんです?」
「お城の跡……城跡と書いて『メグリ』は平仮名です。もしかしたらジョウセキメグリさんかもしれませんが」
「城跡めぐり……か」
「ネットで調べはしなかったんですか」
「もちろん調べました。何回も。でも、全く情報が見付からなくて……」
「じゃあ、内容はどんなのなんです? どんなお話か、とか」
「はい……すみません、これも凄く曖昧なんですけど……確か、女の子が主人公なんです」
「……どうやら結構昔に読んだみたいですね」
「はい……10才になる直前だったから……10年前のちょうど今の時期ですね」
「っていうと2006年か……」
「それで、その女の子がどんな事をするんです?」
顎に手を当てて考える仕草をするミミミを一瞥し、シドが話の続きを促した。
「ファンタジーでした。その子が色々な町を旅するんです。当時の私と同じくらいの年齢で、読んでいて凄く親近感を覚えたんです。それもあって、ああ、面白いなあって思ってて……その行く先々でどんな事をするのかっていうのは覚えてないんですけど……」
「いや、メインの設定だけでもわかればだいぶ探しやすいですよ……なあミミミ」
「ん? まあ、そうだね……表紙はどんな感じだったかとか覚えてます?」
「今言った女の子の絵でした。赤い髪の。とっても可愛い絵で……漫画のイラストみたいな。あ、そうだ、本の中に所々そういうイラストが挟まってました」
「じゃあ文庫本だった訳だ」
ミミミがすぐに問いかけた。
「はい。確かそうでした」
「背表紙は? 覚えてる? 色だけでもいい」
「色は……無かった気がします。あ、無かったというか、白というか……」
「白地に黒の印字?」
「……そこまでは覚えてませんが、おそらく……」
「……ふ~ん……」
彼女は得心のいった様に首を縦に揺らしていた。
「ちなみに、どこで読んだとか、そういうのは?」
今度はシドが尋ねる。
「家の父の部屋です。本棚に入ってるのを見付けて、こっそり読んでたんです……途中まででしたけど」
「じゃあ、お父さんが売ったり、捨てたりしちゃったんですね」
「父は……死にました。10年前に」
「え……」
「馬鹿野郎」
隣でミミミが彼にトゲを刺す様にぼそりと声を漏らした。
「……すいません」
表情を改めてシドは謝る。
「いえ、いいんです。ある時私がこっそり読んでたのが父にバレそうになっちゃって……それで、慌てて近くにあった父のバッグの中に隠したんです。父は本が好きで、私が勝手に本棚から本を抜き取った事が一度あったんですけど、その時に注意された事があって……部屋に入ってきた父はそのバッグを持ってそのまま仕事に行っちゃったんですけど」
ふたりは黙って話を聞いていた。
「出張か何かで飛行機に乗ったみたいなんです。でも、その飛行機が……」
詩織の話に彼女らには聞き覚えがあった。確か十年前、羽田から北九州に向かった旅客機がエンジントラブルにより太平洋に墜落するという衝撃的な事故が起こった。詩織の父はその事故によって命を落としていたのだ。
「……そうだったんですね……」
「父子家庭だった私はそれから叔母の所で育てられました。今もそこから大学に通ってます」
彼女はコーヒーを一口啜った。
「……ひとりで大変だったんでしょうけど、今思うと一生懸命私を育ててくれてました。8才の誕生日だったかな、おっきなケーキを食べたいって駄々をこねたら、ケーキ作りなんてろくにやった事が無かったのに作ってくれて。でもろうそくの数を間違えてたり……あと、お風呂場で足を滑らせて浴槽で頭を打った時は……! あ、すみません」
ミミミ達の視線に気付いて詩織は慌てて口をつぐんだ。
「ぺらぺらと思い出を喋ってました」
「……好きだったんですね、お父さんの事」
「……」
黙ったまま彼女は微笑んで、静かに頷く。
「幼い頃に途中まで読んだ、父の思い出が残る小説……か」
ミミミはうん、と首肯してから言った。
「いいよ、引き受けた」
詩織を帰したふたりはシドの部屋に上がり早速情報を集めていた。いつもの事だが、店は緊急閉店である。
「城跡めぐり……しろあとめぐり……じょうせきめぐり……やっぱ引っかからねーな」
シドはノートパソコンで詩織が探している小説の作者、城跡めぐりについて検索をかけていた。彼女が言っていた様に、どれだけページを見ていっても該当する人物の情報が全く出てこない。表示されるのは城巡りをテーマに更新されている個人のブログや、どこかしらの城や城跡の観光案内ばかりである。
「本を世に出してんのにこうも全く情報が見付からないもんかねえ……」
「活動期間が短かったのかもね」
言いながらミミミも持参した自分のパソコンを起動していた。
「ああいう人達はデビューがゴールじゃないからね。そこがスタートな訳。そこから生き残れるかはほんの一握りだけなんだろうね。今の時代だと『小説家になろう』みたいな誰でも投稿出来るサイトとかもあるから、昔に比べるとかなり日の目を見る確率は上がったんだろうけど」
「その分埋もれやすくなるってか」
「あーあー全く、いつもなら店に目星を付けてぱぱぱっと電話をかけまくるんだけど、今回は本の特定からやんないといけないよ」
「手間がかかる分しっかり割高に請求してただろ」
「そりゃあね。ま、場合によっちゃあタイトルさえ特定できれば終わるかもだけど。ネットに回ってるかもしれないし」
ブックハントは情報が全てである。インターネットが発達した昨今、誰でも手軽に、簡単に欲しい本を探し出し、入手する事が出来る様になった。しかしそれでも見付からない時、どうしてもその本が欲しい時に、最後の頼みの綱として人々はブックハンターを頼ってくるのである。インターネットでは入手出来ない情報が彼らの武器だ。それはつまりどれだけ古書店に足を運んだかに尽きる。世の中にほとんど出回る事が無くなった本が、そこには眠っている。訪れた店が多ければ多いほど情報も多くなる。加えて人脈も広がる。ミミミもかれこれ七年は定期的に日本各地の古書店を訪ねて情報を仕入れている。持っている情報量の差がすなわちブックハンターの力の差なのである。そこで腕が立つハンターとそうでないハンターとに分かれるのだ。
「でも、さっきの感じじゃ粗方の予想は立ってんじゃねーのか」
シドは先ほどのミミミと詩織とのやり取りを思い出していた。
「まあ……お前も少しは予想ついてんだろ?」
「……ライトノベル、か」
「ご名答。おそらくね」
表紙に加えて、所々に挟まれる漫画調の可愛らしいイラスト。これだけで一般小説ではなくライトノベルである可能性が高い、というのがふたりの結論である。実際詩織が見た本の大きさがそのほとんどに採用されている判型であるA6判、俗に言う文庫本サイズであった事からもこれは確定的だろう。
そして、もうひとつの情報。
「今日本に存在してるライトノベルのレーベル52の内、白地デザインの背表紙はたったのふたつ。これだけでかなりふるいにかかった」
彼女はパソコンを操作し、とあるファイルを開くとシドに見せる。そこにはライトノベルの各レーベルの情報がまとめられていた。それらが実際にどの様な装幀をしているのか一目でわかる様に写真も添えられている。
「ひとつは『@文庫』。これは至ってシンプル。真っ白に黒の印字。それだけ」
彼も写真を確認する。確かにその通りだ。彼女はスクロールをしていく。
「んでもうひとつは……これだ。『ステップアウト文庫』。これはタイトル部分が白地に黒印字。で下の著者名の所は白黒反転してる。あとついで言うと頭にレーベルのロゴマークもある」
「@文庫の気がするが……」
「どっちも調べといた方がいいかな。記憶は曖昧みたいだし」
「だな」
「創刊は@文庫が96年、ステップアウトは2001年」
「黒崎さんが本を読んだのが2006年だったな」
「それまでにこのふたつのレーベルから刊行された作品の作者の中に『城跡めぐり』がいないかを調べればいい訳だ」
「骨が折れそうだな……」
彼ははあ、と溜め息をついた。
「まあまあ、困った時の情報屋よ」
ミミミは今度はバッグから書類を引っ張り出しぺらぺらと捲り始めた。様々なジャンルの本に精通している人物達の連絡先がリストアップされているのだ。これもまた、ブックハンターの力を測る上での目安である。
「えーとラノベに強いのは……っと」
連絡をする相手を決めた彼女は早速電話をかけ始めた。
「あーもしもし? 私私。ミミミだよ。ちょっと頼みたい事があるんだけど……え? わかってるって。お金はすぐに払うよ」
それから要件を伝えるとミミミは電話を切った。
「よし、ひとまずは情報屋の返事待ち……と」
「3日でやれって言ってたな」
「これでも時間やった方だよ……それまではやる事無いし……よし」
ミミミは立ち上がった。
「ゲームしようぜ!」
三日後の夜、シドの携帯に彼女からの連絡がきた。
『さっきパソコンにメールで情報屋からもらったデータを送っといたから』
「……はあ……?」
不審に思った彼はすぐに返事を打つ。
『城跡めぐりの本を特定出来たらそっから先はいつも通りのハントだろ? 所在を調べるのに何で僕にその情報屋のデータを送る必要があるんだよ』
『城跡めぐりの名前が見付からないんだよ』
「……見付からない……?」
ミミミ曰く、彼女の依頼内容に即したデータが情報屋から送られてきたらしい。ファイルは表計算ソフトにより作られた物で、中には@文庫の1996年の創刊時から2006年3月まで、及びステップアウト文庫の2001年創刊時から同じく2006年3月までの刊行作品とその著者が表紙のデザイン画像と共に網羅されていた。彼女は早速ファイル内に「城跡めぐり」で検索をかけたのだが、一致する事が無かったという。平仮名や片仮名でやってみても駄目だったらしい。しかし念のために目視で確認しようというのだった。
『ボクはステップアウト文庫を調べるからお前は@文庫をよろしく』
『もうさ、それもこないだの情報屋に調べてもらえばいいじゃん』
『駄目だね。あいつらに頼むのは必要最小限。基本的に情報は直接自分の目と耳で手に入れるもんなんだよ』
『金もかかるしな』
『わかってるんなら2日でお願い♡』
『可愛くねえよ』
もうブックハントに巻き込まれる事にはすっかり慣れている。断っておくが、彼は決してブックハンターではない。ミミミへの依頼の記録やその保管、契約の事務処理なども行っているが、報酬の一部が彼の懐へ入ってくる事はこれまでにただの一度も無かった。たまーーーーーーーーーーーーーーに彼女がジュースをおごってくれるくらいである。
「……ていうかあいつ、さらっと僕に数が多い方を押し付けやがった」
そして二日後。
「やっぱり城跡めぐりなんていなかったぞ」
「おう、お疲れ」
ふたりはファミリーレストランで落ち合っていた。
「こうなってくると『城跡めぐり』ってのは黒崎さんの記憶違いの可能性が高いねげっぷ」
ミミミがコーラをストローで一口飲んで口を開いた。最後のげっぷをシドは聞かなかった事にする。
「でも『城跡めぐり』だぞ? 田中何とかとか、佐藤何たらとかならわかるけど城跡めぐりだ。目立つ名前だし間違えるとは思わねーんだけど」
「時間が経ってく内に他の色んなもんと混ざっちゃったんじゃない?」
ちなみに両レーベルを刊行している出版社への問い合わせもしたが、やはり「城跡めぐり」に関する記録は見付からなかった。
そこで今度は名前が似ている作者と詩織が言っていた「赤い髪の女の子が表紙」である物を情報屋のファイルから抜き出す事にしたのである。総数およそ1200。この中には続刊も含まれているが、それを初めから除外する事は出来ないので全てに目を通していかなければならない。何とも気の遠くなる作業である。今日は、いや明日か明後日も一日中このファミレスに缶詰め状態である。
「……始めるか」
そして今回もシドは刊行点数の多い@文庫を担当するのであった。
更に七日が経った。ミミミ達はハントの成果を報告するためにとある喫茶店に詩織を呼び出していた。
「なかなか時間をもらってすいませんねえ」
「いえ、大変でしょうから……見付かったんですか?」
詩織は不安半分、期待半分といった表情だった。ミミミは勘違いをさせない様に態度を選びながらバッグに手を突っ込んだ。
「該当すると思われる本が見付かりました……5冊あります」
「はい」
「一番可能性が高い奴をさっさと見せますね。これです」
そう言って彼女が机に置いた文庫本にはファンタジーチックな服装の赤い髪の少女が表紙に描かれていた。これまた可愛い顔つきにデフォルメされた小さなドラゴンを抱えている。
「@文庫の『西方の竜使い』。作者は城里拓斗。全6巻。これはその1巻目です」
「……」
詩織は無言で本を見つめていた。
「黒崎さんが言ってた様に、白地に黒印字の背表紙。赤い髪の女の子が表紙で主人公。でこの女の子が世界中を旅するという流れも同じです。ただ、作者の名前は少し違いますけど……」
「……城跡めぐりさんはやっぱり見付からなかったんですか……?」
彼女は落胆していた。
「……はい。もしかしたら、黒崎さんの記憶違いの可能性もあると思って」
「そう言われると……でも、確かに作者は城跡めぐりさんだったと思うんです。それに」
もう一度本へと視線を落としてから詩織は続ける。
「このちっちゃい竜も、表紙にはいなかった気がします……」
「……これが一番当てはまると思ったんですけどね」
ミミミは小さく吐息を漏らす。
「一応、他の4冊も見せておきますね」
それから彼女が取り出した物は全て作者名は全く似ていないのだがいずれも表紙に赤い髪の少女が載っている物だった。なおあらすじは聞いていた物とはどれも全く違う。
「全部貸すから、念のため目を通してくれませんか? 読んでったらやっぱりこれかもって思うかもですし」
「……はい、そうですね……」
読み終えたら連絡を入れる様に頼み、何とも言えない空気のままこの日は解散した。時間という物は脳に蓄えた知識や経験を歪めてしまう事が往々にしてある。詩織に渡した五冊の中に彼女が欲しがっていた思い出の本があればいいのだが……そう思いながらミミミとシドは彼女からの返事を待つのだった。
しかし一週間後、詩織からはどれも違ったという答えが返ってくるのであった。
「本当に違ったんですか」
気付けば新学期が始まってしまっていた。四月のとある週末、再び古詠堂書館を訪ねてきた詩織にミミミは問いかける。彼女は申し訳無さそうな顔で頭を下げるのであった。
「……すみません。やっぱりいくら目を通してもあの小説ではない気がするんです」
「あ、いや、そんな謝られても……」
狼狽えるミミミ。
「……初めっから間違ってたんだろうな、多分」
シドが言った。
「レーベルを絞っただろ? そっから間違えてたんだよ。黒崎さんを責める訳じゃないけど、そもそもの背表紙の記憶さえもしかしたら……って事だよな」
「……でも、強情かもしれませんが、確かに真っ白でした……真っ白だったはず……です」
自分の記憶に間違いは無い、と詩織は確信しているはずなのだが、十年前である。やはり言われた通り……と自信を無くしてきている様子が言葉から窺えた。
沈黙が三人の間に流れていた。
「……もう、いいです」
波紋を起こす様に詩織が言葉を落とす。
「……いいって……?」
ミミミが疑問を返した。
「ミミミさん達にはたくさん情報を集めてもらいました。大体私の記憶が曖昧なのがいけないんです。こんなあやふやな手がかりなら見付かる物も見付からなくて当然です……お金はきちんと、成功したとしてお支払いします」
「諦めるの? 本当に、心の底から欲しかったんじゃないの?」
「……それは……」
詩織は口籠った。
「……って言いつつ、ボクももうほとんどお手上げなんだけどね……」
溜め息混じりにミミミは唸り、目を閉じて一旦俯くとすぐにまた顔を上げた。
「けど、あと少しだけ出来る事はあるよ」
「……?」
「黒崎さんの記憶を信じる。それが正しいと仮定するなら、やっぱり黒崎さんが読んだのはライトノベルで、しかも@文庫かステップアウト文庫のどっちかである可能性が高い。個人的には@文庫だと思うけど」
「けど、どっちも調べ尽くしただろ?」
シドが口を挟んだ。直後ミミミは付け足す様に言った。
「……その小説が、出版社から出版されたっていう前提なら、だけどね」
「……は……!?」
「……!?」
シドも詩織も言葉を失う。少しの間彼は思考を巡らせ、彼女が言わんとしている事を理解した。
「まさか……」
「うん」
彼の言葉をミミミが引き継ぐ。
「何も、出版社だけが本を出版出来る訳じゃない。やろうと思えば個人でだって出来るよ」
「じ……自主制作!? マジで言ってんのか!?」
「だって他に考えられないじゃん」
「そっ、それなら確かにネットでいくら調べても全く情報が出てこないのも納得だけど……自主制作ならなおさら見付けられねーだろ! 出版社に記録が残る商業作家じゃなくて、そこら辺のどこにでもいる一般人が作ったって事だろ!? どうやって見付けんだよ!」
「一般人だって人前に出て本を売る場所があるだろ」
「……そ、即売会……か……!?」
「そ」
「……あの……どういう事ですか?」
会話に付いていけていなかった詩織が尋ねる。ミミミが答えた。
「同人誌即売会の事。最近はニュースでも取り上げられたりして知名度は上がってんじゃないかな。個人とか団体が自主制作した本を直接販売するイベントの事です」
「ああ、聞いた事はあります。じゃあ父はそのイベントであの小説を買ったって事ですか……?」
「多分」
「って事は黒崎さんのお父さんが行ったイベントが何なのかがわかれば、城跡めぐりに近付けるかもしれないって事か……!」
「記録があればね。結果によっては本人に接触出来るかも」
「だったら……」
「うん。黒崎さん」
「は、はい」
ミミミは詩織に向き直る。
「お父さんの物って保管したりしてます?」
「はい。まだ踏ん切りがつかなくて、いくらかは叔母の家に移してずっと保管してます」
「よかった! ……なら、詳しく調べさせてもらえないかな? 何か手がかりが掴めるかもしれない」
「は、はい! ぜひお願いします!」
翌日、ミミミ達は詩織が現在暮らしている彼女の叔母の家を訪ねていた。今の時間帯は叔母も叔父も留守らしく、夜になるまでふたりとも帰ってこないらしい。
「ここが叔母達の寝室です」
彼女に案内されたのは二階にある個室だった。彼女の父の遺品はこの部屋の押し入れに仕舞い込んでいるそうだ。
「よく着てたジャケットとか、デスクライトとか……父の思い入れが強かった物をまだとってるんです。もちろん本棚に入ってた本も」
全部で六つの段ボール箱に片付けられていた。全てを一度押し入れから出すと、ふたりは白い手袋を着用し、十秒ほど合掌をし黙祷を捧げてから調べ始めた。死者に対する気遣いだった。
「……残念だったねシド」
二箱を調べ終え、三箱目に取りかかる時にミミミが彼に話しかける。
「どうやらエロ本は無いみたいだよ」
「誰も探してねえよ」
あってもこんな所で堂々と読めるか、と彼は思った。
「父は、そういうのは多分あんまり……」
「いや黒崎さんもいちいち補足しないでいいから」
「気を付けてね黒崎さん。こいつの好みは痴漢系だから」
「うわあああお前何言ってんだよっ!」
「はあ……そうなんですか」
「黒崎さんも触られない様に気を付けて」
「ばっ! お前! 触りたいんじゃなくて触られてる時の表情を……って何言わせてんだよっ!」
「引くわ」
「引きますね」
そうこう言いながらも手を動かしていると、ミミミの調べていた物の中から突如大きな封筒が現れる。不審に思った彼女はすぐに中身を確認した。
「……! これって……」
入っていたのは色紙だった。可愛らしい少女の絵が描かれている。
「……イラスト?」
「あっ!」
上から覗き込んでいた詩織が驚いた様に声を上げる。
「こっ! この娘かもしれません! 私が見た表紙の女の子!」
「!? あっ! そうだ赤い髪……!」
そう、このイラストの少女は赤い髪をしている。という事は……。
「これって、例の小説の主人公か!?」
「本を買った時にもらった特典の色紙、とかかな」
詩織を疑っていた訳ではなかったが、そこに描かれていた少女は確かに、先日ミミミが候補として彼女に差し出した五冊の本の表紙に載っていたどのキャラクターとも違っていた。
「他に何か無いのか……? ……!?」
一方、今度はファイリングされた観光地のパンフレットの中に一枚、異色な物をシドが発見する。
「おい、これ……」
それは同人誌即売イベントのパンフレットだった。ミミミに見せるとすぐに彼女は食い付く。
「そこに『城跡めぐり』の名前は!?」
「えーっとちょっと待てよ………………」
「……」
「……無い、な……」
参加団体名を上からゆっくりと確認していくが「城跡めぐり」の字はどこにも無かった。
「……貸して」
ミミミも確かめる。しかし数秒後、嘆息が漏れた。
「何だ、せっかく手がかりが掴めたかもと思ったのに」
がっかりした様に床にぺたりと座り込んで両膝を立てた。開かれた太ももに挟まれて見える今日の彼女のパンツはチェック柄だった。
「……」
シドは戻ってきたパンフレットに視線を戻し、もう一度じっくりと見てみる事にした。
「なあ、絵とかキャラデザを担当したイラストレーターなら、城跡めぐりに一度は会ってるはずだよな?」
「……そうだね。って事は、この絵を描いたイラストレーターを特定出来たら城跡めぐりに1歩……いや、だいぶ近付けるのかもしれないね」
彼女は再び色紙を手に取る。引き続きパンフレットを見ていたシドはページの角に載っている三頭身の女の子のイラストにふと目を留めた。イベントのマスコットキャラだろうか。
「……なあ」
何かに気付いた様に再度ミミミに声をかける。
「なーに?」
「このキャラ、見てみろよ」
マスコットと思しき絵を指差して彼女に見せる。
「……はいはい見た見た。可愛いねー……それが?」
「……で、こっち」
今度はミミミの持っている色紙を指した。
「……はいはいこの赤髪っ娘も可愛いねー」
「タッチ、似てないか」
「……!」
マスコットキャラと色紙の赤髪の少女の絵の画風―――特に顔のタッチ―――に似た物を感じるのだ。同一人物が描いたのかもしれない。
「イベントのマスコットって事は、運営と接触したはずだ……もしくは運営の関係者なのかもしれない。このイベントまだ続いてるのかな」
彼女に尋ねられシドはすぐに携帯を使いイベント名で検索してみた。ページの一番上にウェブサイトへのリンクが表示されたのでタップする。
「今年もやる予定みたいだぞ……おいミミミ、このマスコットまだばっちり使われてる。サイトのトップに載ってるぞ」
「それだ! 問い合わせ先が載ってるはずだよ。何とかそのマスコットの作者の事を聞き出そう! その人に直接連絡出来たら、もしかしたら……!」
この時、ふたりのやり取りに感心していた詩織の胸に、希望の光が微かに煌めき始めていた。
そして幾日か経った後、先日も集まった喫茶店でミミミのブックハントの最終報告がなされていた。
「黒崎さん……あなたが10年前に読んだ小説は、ずばりこれです。間違いありません」
「……っ!! あっ……!」
彼女がテーブルの上に静かに置いた本に詩織には確かに見覚えがあった。表紙の中でこちらに向かってにこりと微笑んでいる赤い髪の少女。間違い無い。これだ。そう確信した。
「『イリスの道程』1巻。この赤髪の女の子が主人公のイリスです」
「み、見せてもらっていいですか……!」
「はい、もちろん」
興奮気味に言うと詩織はすぐに本を手に取りまじまじと装幀を見つめた。背表紙も彼女の記憶通り白地に黒の印字という、シンプルなデザインであった。出版社やレーベル名は書かれていない。
続いてぱらぱらとページを捲ってみる。時折目に入る可愛らしいイラストに既視感を覚える。やっぱり、間違い無い。
「こ、これです……これです!」
詩織は晴れ晴れとした表情で顔を上げた。
「会えたんですか……!? 城跡さんに」
「いや、あの色紙のイラストとイベントのマスコットの作者の江口……おっと、ペンネーム『田所つかさ』さんの連絡先を何とか教えてもらって、直接会ってきました」
「そうなんですね……! じゃあ、この本は田所さんから?」
「はい。貰ってきました……あ、無理にせがんだ訳じゃないですよ? ……ひとつ、伝えたい事があります」
「? はい、何でしょう」
ミミミは少し言葉を溜めた後、続けた。
「城跡めぐりさんは亡くなってます」
「……! え……!?」
詩織の顔が突然崩れた。十年間常に頭の片隅にあったほど気になっていた小説の作者がすでに死亡している……その事実にショックを受けるのも無理は無いだろう。
「けど、黒崎さんは城跡さんに会った事があるんですよ。何回も」
「……? 何回も……?」
どういう事かさっぱりわからず、彼女は首を傾げた。
「城跡めぐりの本名は黒崎行雄。黒崎さんのお父さんです」
「!? ……っ!?」
不意に告げられた真実にさらに動揺し、詩織は思わず開口した。
「ボクが勝手にバラすのはどうかと思うんですけど、きっとこの事を知ってた方が黒崎さんにとって幸せな事だと思って。この小説は黒崎さんのために書かれたんです。黒崎さんの10才の誕生日プレゼントだったんです」
「……! ち、父がこっそり書いてた……!?」
田所つかさこと江口章造の元を訪れた時、ミミミもシドも彼からこの本が出来上がるまでの話を一通り聞く事が出来た。
江口と詩織の父、行雄はある日、居酒屋で偶然出会い意気投合したという。この日行雄は妹から気分転換を勧められ詩織を彼女に預け立ち飲みの店でひとり酒を嗜んでいた。江口も同じくひとりで来店し合席になったらしい。ほろ酔い状態になっていた行雄はこの時勢いでもうすぐ十才になる娘のためのプレゼントとして小説を書いている事を江口に話したそうだ。仕事をするかたわら趣味でイラストを描いていた彼は自らが挿し絵と表紙を描く事を提案、行雄はこれを大変喜んだという。「せっかくの一人娘の十才という節目の誕生日なんだ、心の底から一緒に祝ってあげたかった」当時の事を思い返していた江口は懐かしそうに話していた。印刷所も彼の知り合いの小さな会社を紹介してあげたらしい。懇意にしているから自分が頼めばたとえたった一部だけでも刷ってくれると思う。そう言った。「まさか自分も頂けるとは思っていなかったけど」彼は笑っていた。行雄は感謝の印として詩織の分ともう一部、江口へのプレゼントとしても刷ってもらっていたのである。あの色紙はそれに対して江口がさらなるお礼として描いた物だった。また行雄はそれだけでなく、江口のイラスト集を買う改めての恩返しのために、彼が運営に関わり出展もしていた小さなイベントに足を運んでくれたりもしたそうだ。あのパンフレットはその即売会の物だった。あの後江口のイラスト集が箱の中から出てきたのだった。余談だが、イベントはその後定期的に開催される事になり、今現在は江口は運営に関わっていないらしい。
「それで、事情を話したら田所さんが持っていたもう1冊をくれたんです。黒崎さんが持っておくべきの本を持ってないのに自分が持ってるのはおかしいって。巻数が振られてる事からわかると思いますけど、お父さんは続刊を執筆するつもりだったみたいですよ。15才の誕生日に2巻を、20歳の誕生日に最終巻の3巻をプレゼントするつもりだ、って話してたみたいです」
行雄の死を告げると、江口は残念そうに眉を落としていた。「あれからずっと全く連絡が来ないから、てっきり仕事の都合で引っ越したのかとでも思ってたんだけど、まさか事故でねえ……」そう言って悲しんでいた。
「……ありがとうございます」
全てを理解した詩織は深々と頭を下げた。探し求めていた本が、ようやく手元に届いた。それだけでも嬉しい事だが、それを書いていたのは実の父だったのである。これほど彼女にとっての父との思い出があるだろうか。
「悪いんだけど、その本先に読ませてもらいました……ああ、読んだっていってもページは捲ってないから大丈夫です。破れたりはしてないと思います」
「……? はあ……」
「……これから読む人に内容に触れる事を話すのは主義に反するんですけど……どうしても黒崎さんに読んでもらう前に知っておいて欲しくて」
「? 何を……?」
「あくまでもボクの推測なんですけど……その小説の主人公のモデルは多分、黒崎さんです」
「えっ……?」
「イリスには一緒に旅をする小人がいるんです。まだ10才のイリスは当然子供っぽくて、突然ケーキを食べたいって駄々をこねたり、宿の風呂場で足を滑らせたり……これ、こないだ黒崎さんが言ってたお父さんとの思い出……ですよね」
「……!」
「黒崎さんのお父さんは自分の娘の体験をそのまま話に持ち込んでるんです。きっとそうやって、黒崎さんの成長記録を物語として綴っていったんだと思います」
「……っ! うっ……!」
思わず詩織は口を押さえた。その瞳からは涙がこぼれ、滴がぽつぽつとテーブルを濡らした。言葉にし得ない思いが胸の内から止めどなく溢れ出ていた。
「……私、この小説の続きを書きます」
やがて泣きやんだ彼女は涙を拭うと力強い眼差しでふたりにそう告げた。
「誰も知らない、私さえも知らないこれからの物語を、生涯をかけて紡いでいきます」
「……うん。もし出版する様な事があったら教えて下さいね。買いますから」
「……はい」
彼女は顔を綻ばせた。
「いやーしっかしハントの間に新学期始まるとはな」
詩織と別れた後の喫茶店からの帰り道、疲れた様にシドが言った。
「まあその分金も入ってくるし! うひゃひゃひゃ!」
上機嫌にミミミが笑う。何とも下品な笑い声である。
「……あの本は、黒崎さんの人生で一番大切な本だろうね」
「そりゃあ父親が書いたんだからな。それも自分をモデルに」
「……ボクの能力は文字通り読書。そこに書かれてる事を読めるだけで、行間とか、書いた人の思いとかは読む事が出来ない。自分で考えなくちゃいけない」
「『本には筆者の心が宿っている』……か」
その心を導き、他の誰かの心と繋ぐのが、ブックハンター―――。
「あの本に込められた心は、黒崎さんが誰よりも深く読み取って、理解出来るんだろうね」
この時シドは、幼い頃に亡くした、ほとんど記憶の無い両親の事を考えていた。そしてふとこう思った。ミミミも今、自分の両親に少しは思いを馳せているのだろうか。
ミミミの母親も、ミミミと同じ……。
「さあて! ハントも終わったし飯でも食べに行こう!」
「おう。肉食いてえ」
「シドのおごりな!」
「何でだよ! 報酬入ってくるんだからお前がおごれよ! てか僕に給料払えよ!」
「何言ってるんだい。ボクがこうしてそばにいる事が何よりのお給料じゃ……」
「うるせえ」
ふたりの間に春の風が吹いた。
「いらっしゃい」
入店してきた男は早足でシドの元へとやってくる。
「こっ、ここに来れば本探し屋に会えるって聞いたんだけど……」
「え? ああ、会えますね」
「! たっ、頼みがあるんだ! どうしても探して欲しい本が……!」
男は彼に懇願し始める。
「ちょ、ちょっと待って下さい。僕じゃないです」
「へ? じゃあ誰が……」
シドは隣に座って店のパソコンでブラウザゲームをしている少女を親指で指した。
「こ、この娘が……!?」
信じられないといった顔の男を見兼ねて彼女は声を出す。
「……何だいその顔は。どうせおじさん、奥さんに隠してたエロ本でも捨てられたんだろ?」
「!? なっ! なぜそれを!」
「ふふ~ん。長年やってるとわかるもんなのさ」
「わっ、悪かった! あんたが噂に聞いた本探し屋だって事はわかった! ぜひ依頼を……!」
「まあまあ、詳しい話はこれから聞きますよ。シドリアン? クライアントに椅子を。あとコーヒー」
「ごめん、今回ばかりはそのあだ名はマジでやめてくんない?」
「それからおじさん、ひとつ大事な事を言っておこう。ボクは本探し屋なんてダサい名前で商売した事なんてただの一度も無いよ。ブックハンター」
「ブ……ブックサンタ……?」
にい、と少女は得意気な笑みを浮かべる。
「ちーがーう。ブックハンター。覚えときな? ブックハンター……ミミミだよ」
ブックハンターミミミ。彼女の活躍はまだまだ続くのだが、いかんせん紙幅の都合上その全てをここに記す事が出来ない。年度も変わった事であるし、ここで一旦物語を結び、改題した上で彼女の暦史を再び綴っていこうと思う。
To be continued on MIMIMI:2016.
今回をもちまして「MYMIMI:2015」は(一旦は)お終いです。しかし、ご覧になった通りシリーズはもう少しだけ続きます。この辺りは明日にでも活動報告にてこのシリーズに対する僕の思いと一緒に語ろうかと思います。