僥倖
散らかった街を茜色に染めながら、太陽が西の山裾へと沈んでいく。雲一つない空は同調して美しい夕陽色をしているが、街の方々から立ち昇る黒煙が無粋な縞模様を作っていた。
荒廃した街の残骸に、一人の傭兵が腰掛けている。黒尽くめの制服が砂礫に汚れるのも構わず、圧倒的な暴力の象徴を片腕に携え、一仕事終えた後の一服を楽しんでいるようだ。吊り上がった瞳がゴーグル越しに夕陽を捉え、複雑な様子で歪んだ。
彼の視線の先には、年端もいかぬ少女が佇んでいる。自身の純真無垢なる様を具現化したような白を身に纏い、倒壊したビルの死骸を足蹴にして、一瞬のうちに死した街の様子を静かに眺めていた。その姿は日暮れの中で煌々と輝き、凄惨な周囲の様子から切り離されて見える。立ち込める硝煙の臭いに混じって、彼女の清らかな香りが傭兵のいる場所まで漂っていた。
未だ街の片隅から僅かに鳴り響く銃声、夕空を旋回する空襲機の轟音の中、誰かの足音が近づいてくる。傭兵は少女から視線を外し、接近者を探した。何もかもが崩れ去った風景を、自分と同じ制服の男が闊歩してくる。最早、姿を隠す必要もない。敵は全て殲滅したのだから。男の表情と姿勢が、そう語っているようだ。
「お疲れさん」
「おう」
軽い調子で挨拶を交わした男は、同じ部隊の同僚である。謂わば、背中を預ける事のできる仲間、信頼に足る人物であった。
「無事で良かった。どこに行っていたんだ?」
「別に、どこってわけでもねえよ」
「お前ね、そうやって目的もなく戦場を彷徨うの止めなさいよ。部隊長が怒り狂ってるぜ」
「問題起こした訳でもねえのに、喧しいオヤジだな」
「問題どうのこうのじゃなくて、連携しようって話でしょ。まったく、フォローする俺の身にもなってくれ」
傭兵はばつが悪くなって、新しい煙草に火をつける動作で、それを誤魔化した。この友人に対して、悪いと思わないわけではない。奔放に戦場を駆け回る自分を支援してくれる、数少ない理解者の一人である。
「それで、あれはなんだ?」
「拾った」
「おいおい、犬猫とは違うんだぞ?」
「似たようなもんだろ」
「馬鹿言うなよ! ありゃ、どう見ても……」
とぼけた調子で躱す男の返答に、友人は少々憤慨した様子であった。それでも、傭兵は同じ事を繰り返す。
「似たようなもんだろ、化物のガキなんて」
今、正に自分達が殲滅した生き物の子供。彼女は、それなのである。
「万一の事があってみろよ。犬や猫に手を噛まれるのとは、大違いだぜ?」
「人間様は、猛獣だって手懐けられるんだ。ガキの頃から躾けりゃ、それなりになるだろ」
「躾けるって、誰が?」
「俺が」
「本気で言っているのか?」
友人が驚きに目を見張る様は、目の玉が零れ落ちそうな程である。それがどうにも可笑しく、傭兵は喉を鳴らして笑った。
「笑い事じゃないぞ。お前が躾けるって? 俺が、お前を躾けているようなもんなのに?」
「おい」
「それに、どうするんだ、俺達が死んだら。この生業じゃ、いつ死んでもおかしくない。この子の世話は誰がするんだ?」
「今ここで捨てて行ったって、同じ事だろ。それなら、責任持って連れ帰るべきだ。違うか?」
何故か彼女の世話を共に行う体で話を進める友人には、敢えて指摘をしなかった。このまま、なし崩しに世話係を共助させてしまえばよい。そうすれば、自分もある程度の自由を得られるだろう。
自分の今後が話されているとも露知らず、少女は遂に大敗した故郷から視線を外した。そこには何という感慨もなく、ただ見飽きたという風である。
傭兵は沈みゆく紅に染まる少女の姿を、再び眺めた。
そうして、彼女と出会った時の事を思い返した。
血の雨に降られた教会で、ただ一つ真白に残る乙女の姿は、彼の瞼の裏に残酷に焼きついている。