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肉ジャガ  作者: 那由多
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第五話

 「・・・君、ねえ、起きてってば!!」

 体を激しく揺すぶられ、僕が目を開けると、目の前に美智子の顔があった。その瞬間、僕は迂闊にも眠ってしまったのだということに気がついた。美智子の視線が、僕を非難しているようで、激しい後悔が胸の中を渦巻く。妙にすっきりした頭が、逆に腹立たしい。

「あ、ごめん・・・」

「ううん、待たせちゃったから、ごめんね」

 そう言ってくれる彼女の優しさが、かえって痛い。黙っているのも限界だった。

「違うんだよ、実は・・・」

 僕は自分が寝不足であることとその理由を美智子に話して聞かせた。聞き終わった後の美智子の複雑な表情は、多分一生忘れられないだろう。例えるなら、悲しみと迷いと多少の怒りが入り混じったような。プラスの要素は入っていなかったと思う。

「そうなんだ・・・頑張って・・・るんだね」

 迷うような、言葉を捜すような。それが彼女の言いたいことではないと、僕が気付いていればあるいは・・・。

「もうすぐだしね。頑張ってね」

「ありがとう、ごめんね、寝ちゃって」

「ううん、いいの。頑張っているんだから、仕方ない・・・よね」

 そういいながら、彼女は話を打ち切るように立ち上がった。

「ご飯、やっと出来たからさ、食べて。ね?」

「うん、そうするよ」

 僕の言葉に、彼女はにっこりと笑って、それから鍋をコタツの上にどんと置いた。

「はい、肉ジャガ」

 僕の目の前に彼女の言う「肉ジャガ」が現れた。それを見た僕は、思わず二度見してしまった。

 たっぷりと張られた濁った出汁の中で、細かく切られた牛肉が泳いでいる。そのわりに玉ねぎだけは妙に大降りに切られ、その鍋の中で一番の存在感を見せていた。そしてその表面に浮かんでいる白葱。ジャガイモは?おそらく火にかけられ泳いでいるうちにどんどん砕けていったのだろう。そう言われれば見えなくも無い、と言うレベルの欠片がちらほらと見受けられる。

 美智子の得意げな表情と、鍋の中の完成品を何度か見比べ、僕はしばし言葉を失った。僕も肉ジャガを作ったことは無かったけど、定食屋やテレビなんかで肉ジャガと呼ばれているものとは明らかに別物だ。どうして美智子はこんなに自信満々なのだろうか。

「はい、どうぞ」

 美智子が器によそって手渡してくれたそれを、僕は若干恐々とした面持ちで口に運んだ。美智子はそれをじっと見つめていた。

味は思っていたほど悪くなかった。

「美味いね」

 僕は素直にそういった。美智子の顔は、味に自信があったからなのだろうか。それとも、比較的美味くできた部類に入っていたのだろうか。・・・想像していた「肉ジャガ」とは少し違っていたが、ご飯にもよく合ったし、上出来だったと思う。ちゃんとお代わりもして、鍋を空にした。それを見た美智子の嬉しそうな表情は今も忘れられない。


 キッチンで片づけをする水音を聞きながら、僕は食事の余韻を味わっていた。そうしているうちに、ある思いがむくむくと頭をもたげてきた。

「俺も料理しようかな」

 僕はふとそんなことを呟いた。うちの設備でも、材料さえそろえれば出来ることがわかったし、インスタントラーメンよりも美味しい。もちろん、最初から上手くはできないだろうけど、いろいろと作れるようになるのは面白そうに思えた。

「なぁに?私の仕事を取っちゃう気?」

 キッチンでの片づけを終え、コタツに入りながら美智子は僕にそういった。

「いや、これからの生活で、ずっとインスタントってのも芸が無いからさ」

 彼女の言葉の意味がよくわからず、僕は考えていることを素直に口にした。

「・・・じゃあ、上手に作れるようになったら食べさせてね」

 その声は、きっと酷く寂しげだったことだろう。けれど、そのときの僕は初めての料理で何を作るか、そればっかり考えていたから、何も気がつかず能天気に返事をしていた。

「おう、びっくりさせるぜ」

 僕がおどけてそういい、それから二人で笑った。それが、彼女がうちへ来た最初で最後の夜になった。


 翌朝、彼女は来たときと同じ駅から帰っていった。

「卒論、頑張ってよね」

 彼女はそう言いながら、改札の向こうへと歩いていった。何度か後ろを振り向いていたのは、ひょっとしたら僕が引き止めるのを待っていたのだろうか。残念ながら、僕はそれに気付かず、彼女に向かって手を振っていたわけだが。

 それからは、僕の忙しさも本格化した。卒論のためにあちこちの図書館を駆け回り、合間で授業に出る。後輩だろうと先輩だろうと、使えるものは端から使い、卒業に向けて僕は必死だった。彼女からの連絡が途絶えていることにも気付かないまま、やがて何ヶ月かが過ぎていった。


 十二月も末が近づき、僕は卒論の提出を無事に一番で終えた。満足のいく出来ではなかったが、大学院でも引き続き同じテーマを扱うつもりだったから、とにかく提出を優先した。口頭試問では叩かれるだろうけど、それはまあ自業自得ってことで。 

 卒論が終わると、あっという間に気が楽になった。卒業が決まったわけではないのだけど、卒論に比べたら十枚そこらのレポートや、講義内容そのままのペーパーテストなんて怖くも何ともない。資料を求めて東奔西走することもなくなり、自動的に再び時間が戻ってきた。

 試験の合間やレポートを書く骨休めに、僕はこれから始める料理のことを考えていた。はじめに何を作ろう、彼女に何を食べて貰おう。そんなことばっかり考え続けて、卒業に向けての作業も片手間に、本屋で料理本を立ち読みしたりしてみた。この手の本が意外と高いと知ったのはこのときだ。

 結局、初めて食べてもらう料理を僕は肉ジャガに決めた。当て付けに近いが、どんな本を見ても彼女の料理は「肉ジャガ」では無かった。我流と言っていたし、僕がうまく作って見せて、コツなんかを教えたら、びっくりしてくれるかもしれない。虫のいい考え方だったけど、とにかく僕はそうすることにした。


 年が明けて、卒論の締め切りが過ぎ、試験も全日程を終わらせた。後は口頭試問を待つばかりだったある日のこと、彼女からの封書が届いた。

 細かい彼女の字でびっしりと埋め尽くされた便箋。それには、端的に言えば別れの言葉が書かれてあった。

 僕のことは好きだったし、好いて貰っているのも分かっていたから、できればずっと一緒に居たかったと書かれていた。僕が卒論と格闘している間、彼女は随分と寂しい思いをした。だから無理矢理会いにいったけど、あなたはあんまり寂しかったようには見えなかったと書かれてあった。それどころか、勉強に打ち込むあなたはとても充実しているようにすら見えたと書かれていた。

 このまま来年になれば、今度はこっちが卒論で忙しくなるし、あなたも大学院に進めば今以上に勉強に割く時間が多くなるでしょう。来年はそれでよくても、私が働き出せば会う機会はもっと減るでしょうと書かれていた。

 初めてあなたに会ったとき、いろいろと共通の話題もあったし、考え方も似ているように感じた。理想の人かもしれないと思ったと書かれていた。

 だけど、今回のことで一人でいる間に価値観のズレを感じさせられた。だから、二人の価値観にどれぐらいのズレがあるのか、それを確かめたかったと書かれていた。

 結果として、僕と彼女の間にある隔たりは、彼女にとって耐えうるものではなかったということなのだろう。眠っていたことについては、それ自体よりも理由のほうでショックを受けたと書かれていた。時期的なものもあるだろうけれど、あなたの中での勉強、あるいは研究と言うものに負けた気がしたと書かれていた。

「あなたと私では、目指す道に違いがありすぎたように感じました。これからは、それぞれの道を歩いていきましょう。こんな手紙を書いている私が言うのもなんですが、あなたはいい人だから、きっと幸せになれると思います。それでは、さようなら」

 最後は、こう締め括られていた。

 その文面に目を通したとき、僕の頭の中にはあの日のことが色々と流れていった。間抜けな話だが、彼女に答えを突きつけられるまで、僕は問題を解かされていたという実感すらなかったのだ。

 結局僕は届いた手紙に長い返事は出さなかった。ただ、葉書に「分かりました、ありがとう」とだけ書いて送った。何を言っても嘘くさくなるのは明白だった。事実、あの頃僕は研究が楽しかった。それに、彼女はすでに結論を出したのだから、それに口を挟んだ所で、今更どうなるものでもないとこのときの僕は思ったのだ。



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