第一話
日曜の朝、コトコトと鍋が音を立てている。蓋の隙間から鰹出汁の香ばしい香りと白い湯気が、音に合わせて立ち上っている。火を止めて蓋をあけ、鼻歌混じりに味噌を溶き入れていると、調度炊飯器が炊き上がりを知らせるアラーム音を鳴らした。
一人暮らしもいよいよ十年目の大台に乗った。始めたての頃は、不安だらけで眠れぬ夜もあったりしたが、もうすっかり僕の肌に馴染んでいる。逆に、誰かと一緒に暮らすのが窮屈に感じるぐらいだ。あまり良い傾向じゃないかもしれないけど。
毎朝五時半に起床して、軽い散歩。それから身支度を整えて出勤。平日は朝食を作る余裕が無いので、大抵はコンビニでサンドイッチとコーヒーを買う。味気が無いのであまり好きではないけど、このあたりは致し方なしと諦めた。何事にも、一人でやるには限界があるものだ。
完璧とはいえないが、学生の頃を考えればあまりにも規則正しい生活サイクルは、さほどの苦労もなく身についた。正直、遅刻を連発したらどうしようと心配していたのだが、その点は杞憂に終わってくれてほっとしている。その代償として、こうして休日ですら体が勝手に目覚めるのはたまらないものがあったりもするけど。
出来上がった料理をコタツの上に並べていく。そろそろ冬も近づいてきたから、とかではなくうちは年中コタツは出しっぱなしで、テーブル代わりになっている。さすがに布団は出していないけど。
最後に冷蔵庫から、昨日のおかずの残りを取り出し、ラップをかけてレンジに放り込む。ヴーンという低い音と共に、レンジが回り始めた。中に入っているのは肉ジャガだ。
「おーす」
そう言いながら、柳沢の奴が部屋に入ってきたのは、まさに僕が朝食を取ろうとした瞬間だった。見計らったかのようなタイミング。同じアパートに住んでいるとはいえ、あまりにも不自然。そういえば、こいつは今のところフリーターだったな・・・。
「おお、美味そうなもの食べてるじゃないか」
わざとらしい台詞と共に、平然と部屋の中に上がりこんできた柳沢は、僕の向かい側に腰を下ろした。
「なんだ、また肉ジャガかよ。お前はそればっかり食べてるな」
そう言いながら、無造作に芋を一つつかんで口に放り込む柳沢。文句があるなら食うなってんだ。こいつの言うとおり、確かに頻繁には作っているけれども。
「んー、美味いね。さすがにしょっちゅう作っているだけのことはある。これなら、金を払っても良いな」
「じゃ、払え」
僕のつっけんどんな言葉に、柳沢は苦笑を浮かべた。払う気もないくせに、偉そうなことを言う。この十年の一人暮らしで、いろいろと料理は作ってきた。その中において、初めて作った料理であり、そして僕がもっとも得意とするのがこの肉ジャガだから、味のほうにはある程度自信があった。
「それにしても、何でそんなしょっちゅう作るんだ?」
「定期的に作っておかないと、腕が鈍るからな」
「どうせ食べさせる相手もいないんだし、別に鈍ったって良いだろうに。他の料理は結構適当にやっているように見えるけどな」
ふざけているようで、嫌なところは見ている奴だ。今度は僕が苦笑を浮かべる番だった。
「意外と難しいんだよ。コツとかあるしな。忘れたら、もったいないだろう」
「ふうん・・・、まあそういうことにしておくか」
あからさまに信じていない柳沢。でも、意外と難しいのは本当のことだ。僕も料理を始めてから知ったのだが、おふくろの味なんて言われる料理に限って、気をつけなきゃいけないことが多いのだ。
「そういやさ、服部の奴、結婚するらしいぜ」
さらに芋を一つ口に放り込みながら、柳沢が懐かしい名前を口にした。服部は大学時代の同期だ。まだまだだと思っていたが、いよいよ周りも結婚し始める年になってしまったか・・・。
「へえ。めでたいな」
三十より前には結婚したいと、学生の頃から言っていた彼だから、そういう意味では夢が叶ったといえよう。末永くお幸せにやって欲しいが、その前におすそ分けも欲しい。結婚したいと強烈に思うわけではないが、両親の希望とか長男と言うことを考えると、結婚したほうがいいのかなと思ったりもする。
「式は身内だけでやるらしいから、参加させてもらえないらしいけどな」
・・・それは正直ありがたいかもしれない。働いていても、貧乏には違いない。支出が抑えられるのは、願ったりだ。
「まあ、金が出て行かないのは良いことだよな」
柳沢も同じことを考えていたらしい。堂々と口にするのが彼の凄いところだ。
「んで、そろそろ白いご飯と味噌汁が出てきても良いと思うんだけど」
待っていたらしい。なんてずうずうしい奴。
「はいはい。ちょっと待っていやがれ。正座でな」
ため息をついたところで、罰は当たるまい。僕は腰を上げてキッチンへと向かった。
「そういえばさ、服部の奴一つだけ不満があるんだと」
「ほう、贅沢な奴だな」
結婚できただけでも、ありがたいと思いやがれ。しゃもじを握る手に力が篭る。
「料理が下手なんだってさ」
「何だよ、それぐらい。自分で作れば良い」
やや乱暴に味噌汁を注ぎながら、つい、吐き捨てるような物言いになる。
「そりゃ、おまえ、できる奴の台詞だろう」
柳沢は半ば笑い飛ばすようにそういった。そんな奴はなかなかいないとでも言いたいのだろうか。
「僕だって、ついぞ六年ぐらい前までは料理なんてしたことなかったよ。別にコックになろうって分けじゃないんだから。普通に食べられるものを作るぐらい、ちょっと練習すりゃできるよ」
そういいながら、僕は柳沢の前に飯と味噌汁の入った器を置いてやった。ついでに割り箸も渡す。本当に正座している。意外と律儀なところもあるんだな。箸を渡した途端に崩したけど。
「お、悪いね。そんじゃ頂きます」
柳沢は早速箸を肉ジャガの入った器に突っ込んだ。牛肉、玉ねぎ、糸こんにゃくにジャガイモ。特別なことは何もしていない、面取りとか、アク取りとか、まあ細かいコツに気をつけるだけで、味は随分変わってくる。
「美味いなぁ。飯が進むわ」
遠慮なく箸を動かす柳沢。まあ長い付き合いなので、特に気にもならないし、美味いといってもらえるのは単純に嬉しいものがある。
しばらく食べるのに集中していた柳沢だったが、ふと思い出したように再び服部の話を始めた。
「服部の嫁だけどな、例えばこんな肉ジャガ一つとってもだ、芋は崩れる、肉は細切れ。玉ねぎは無駄にでかいし。見た目からして、食欲が湧かないって言うんだな。まあ、嫁さんの方も努力はしているらしいんだが・・・」
柳沢の説明に、僕はふと懐かしい記憶を呼び起こされた。
「・・・そういうのって、意外と食べてみると旨いよ。具材の味が汁に出てるし」
そういいながら、僕も自分で作った肉ジャガを一口。うむ、我ながら良いできだ。ほっくりと煮えたジャガイモ、味の染みた牛肉。そして味付けの甘辛具合まで、大変納得のいく味だ。
「意外にって・・・。まるで食べたことがあるみたいに」
「うん、まあ・・・昔ね」
そう、もう遠い昔のことのように感じる。僕が料理をするきっかけになったのも、やっぱり肉ジャガだった。あれをそう呼んで良いかどうかはともかくとして、それは同時にとても大切な思い出でもある。




