誰がために翼は鳴く
少女は自宅の屋根の上に仰向けに寝そべっていた。時刻は0時を超えた真夜中。10月終わりの秋の冷たい風が少女の白く透き通ったような頬を撫で、淡い月の光すらも余すことなく反射するかのような金色の髪を揺らす。
「敵わないなぁ~」と少女は誰に対してでもなく空に向かってぼやいた。
少女の碧い目は泣いていなかった。
少女はつい先程までパソコンのインターネットで友達とチャットをしていた。相手は年下の女の子だ。彼女と「今までとこれから」に関する重要な話が終わった後に、こうして屋根の上に昇っているのだ。
少女は彼女に負けるつもりはなかった。でも一ヶ月前と同じように、負けを悟った。彼女の意志はとても固く、広く、会話術に長けた少女でも切り崩すことは出来なかった。「彼女の方が向いている」と負けを悟った。そう感じたことが嬉しくもあり、寂しくもあった。
彼女と話してる間、若いっていいなーと少女は思った。少女は自分が何歳なのか、もう分からなかった。200を超えた辺りから年を数えることを辞めていた。虚しくなるだけだからだ。
少女は起き上がり、庭に足の爪先から飛び降りた。その様子はまるでスローモーションで再生しているかのように優雅で、足先から綺麗にゆったりと着地した。
そして少女はどこから出したのか古ぼけた紙の束を捲っていき、途中のある一枚に目を留めた。
今夜は本来「翔ぶ」つもりではなかった。疲れてもいたし、明日は学校がある。
が。
「転移、地獄門開錠、シャドークロイツ前」
少女は囁くように唱える。
すると、目の前の地面にマンホールの蓋を開けたかのような綺麗な円ができた。人が一人通れるほどの大きさだ。円の中は、黒と赤と紫色が渦巻いている、禍々しい光景だった。
少女はその円に向かって歩みを進め、足を入れた。
少女の背中には、いつの間にか純白の両翼が生えていた。
目の前には古びた城があった。そこには、「悪魔百十使徒」の一人、シャドークロイツとその配下が棲んでいる。今も連中の存在が外まで感じられた。
少女は城を見上げる。その表情は、先程までの憂いを感じさせた表情とは違い、むしろ城の悪趣味なセンスに呆れた色を浮かべていた。
少女の溜息と同時に、少女の純白だった両翼が姿を変えていく。右側の翼は元の白い翼に墨汁をたっぷりと垂らしたかのような黒翼、左側の翼は元の白い翼に所々に解れや破損が見られ、その箇所を埋めるかのような様々な機械チックな器具やテープのようなもので補強されている、一見「ボロボロ」と捉えることも出来る翼へと変わった。
「おじゃましまーす」
少女は中に届かない小さな声で言った。
姿を変えた両翼が少女の正面の城の方へ、わずか2センチ程度というほんの少しだけ、羽ばたいた。
その瞬間、台風を超えるかのような突風が起き、城の周りの枯木ともども城を「床だけ」残し丸ごとバラバラにしながら遠くまで吹き飛ばした。
少女の静かな羽ばたきが止まる。
床だけ残し丸裸にされた城の中では、悪魔たちが動揺しながら悪魔語で喚いていた。
「クェイレ! ビーワットム!」
一際野太い声をした彼がここの主、シャドークロイツ。いかにもSランク悪魔といった感じの、筋肉隆々で頑丈そうな身体をしていた。
「フィートァラァッ! ワフーイッルーカットゥア!」
シャドークロイツが前方40メートル付近に佇む少女を認める。「悪魔の目」は暗闇であるほど視力が上昇する仕組みだ。常に薄紫色の分厚い雷雲に覆われたこの地獄ならたとえ40メートルだろうが400メートルだろうが、悪魔にとって問題にはならない。
「ダァ……ゴルトロイド! ツァ!! ハビトゥッタァネモアシア!!」
右手を大きく払ってシャドークロイツは配下に命令を下す。
キェーという耳をつんざく不快な雄叫びとともに、配下の下級悪魔たちは様々な武器を手に少女に向かっていく。
少女は特に動こうともせず、向こうから来る下級悪魔たちを待っている。
「私は今とてもムシャクシャしている」
何に苛ついているのかは少女自身にも分からなかった。友達のことか、自分のことか、この悪魔連中のことか、それとも……。
そんなことをしている間に一番早く少女のもとに辿り着いた下級悪魔が、手に持った武器で攻撃を仕掛ける。その武器が少女の表面に触れた瞬間、砂のような白いサラサラの灰になって地に落ちた。その攻撃に全身の体重をかけていた下級悪魔はその勢いで少女の表面に触れてしまい、やはり灰となった。
それを見た後続の下級悪魔たちは一瞬怯んで動きを止めるも、悪魔の本能たる昇格要求なのかやはり少女に攻撃を加える者が大多数。そしてそれらの下級悪魔たちは例外なく灰となった。
途中攻撃を加えずに逃げる下級悪魔もいたが、少女はそれらを追いかけなかった。というか少女は本当に「立っているだけ」だった。もともと下級悪魔退治が今回の目的ではない。目的はただ一人、指名手配悪魔シャドークロイツ。
そして、下級悪魔は少女の周りから全て居なくなった。残るは……。
少女は足元に転がっていた石ころを爪先でチョンと少しだけ蹴り飛ばす。するとその石は、まるで弾丸のように地面スレスレを40メートル飛び続け、シャドークロイツの足元に達する直前、急に顔面に向かって急上昇しシャドークロイツの頭から生えている左角を撃ち貫いて角をへし折った。シャドークロイツは悲痛の叫びを上げる。
少女は慣れていない拙い悪魔語で呟く。
「マ、ショア、レウ」
少女はいつの間に出したのか、腰の鞘から柄が水色の宝石で刀身が純銀で出来たレイピアを抜き、まるで疾風のごとく40メートルの距離を1秒ともせず完全に詰め、シャドークロイツの喉元に右手で持ったレイピアの先端をあと1ミリメートルという所まで突きつけた。
角を折られた痛みを何とか堪えるシャドークロイツの目を、少女は「狙った獲物は絶対に逃さない」とでも言いそうな狼みたいな目で見据える。
「ヤイプォ……グァ、」
少女はシャドークロイツの言葉を遮るように左手をシャドークロイツの顔に近づけ、目を閉じるほどの満面の笑みを浮かべながら、口をニヤリと横に大きく開いた。まるで吸血鬼のような大きな白い八重歯がのぞく。シャドークロイツの身に緊迫と恐怖の汗が垂れる。
少女の口から出た言葉は、「敢えての」人の言語、日本語だった。
「ねぇ、鬼ごっこシヨウ?」
戦いが趣味であり生きがいな、
少女の碧い翼は泣いていた。
~END~
※訳
「悪魔語」
「日本語」
「クェイレ! ビーワットム!」
「静まれ!何事だ!」
「フィートァラァッ! ワフーイッルーカットゥア!」
「前方から襲撃! 何者かは不明です!」
「ダァ……ゴルトロイド! ツァ!! ハビトゥッタァネモアシア!!」
「あれは……金色堕天使! テメエら!! 討ち取って名を上げろ!!」
「マ、ショア、レウ」
「私、サッカー、好き」
「ヤイプォ……グァ、」
「貴様のその力……まさか、」