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少女がいるんでパンツが脱げん

作者: 中川京人

 家族で市民プールに行き、泳ぎ終わった後のシャワー室で、男はぎこちなくなった。

 体中に付いた消毒薬を洗い流そうと、いつものように息子とすっぽんぽんになろうとしたとき、仕切りのない隣の洗い場に、小学四年生くらいの女の子が、父親の手を引かれてやってきたのだ。

 女児は水着のままで父親に寄り添い、なんとなくシャワーを浴びている容子だった。

 いっしゅん躊躇した。いい年をした中年男が女児の前で海水パンツを脱ぐのをためらっているのだ。男はそんな自分を笑った。

 しかし躊躇する意味がわからない。ここは問答無用徹頭徹尾、シャワー室なのだ。

 女の子はちっちゃいけど異性だ。背も男の肩ぐらいまである。シャワー室にそんな異性と認識できる者が混入してくるほうがおかしいではないか。

 でもさあ……。

 ──こらてめえ。娘の前でなんという恰好をしやがるんだ。

 ──おとうさん。あの人、変態?

 ──あんたもさ、いい年なんだから時と場合を考えなきゃいかんだろうが。

 そんな言葉がぐるぐる回って男を責め立て、パンツを脱ぐ手を止めるのだった。

 そうやって一分半ほど逡巡しているうち、やがて親子はシャワーを切り上げた。女の子は濡れた前髪をうしろに回し父親を見上げる。ふたりはまた手をつないで出口に向かった。

 途端に、気難しい上司を見送ったあとのような安堵感に見舞われた。

「おとうさん、なにやってんの」

 八歳になる息子が、前髪から雫を垂らしながら男を見上げる。

 ほんとに俺、何やってんだろうと、男は蛇口をひねり、熱いお湯を口で受けた。


 シャワー室が鈍い天然色を取り戻す。男は同じ九十秒だけ体を濡らしながら考える。

 あの心のざわつきが、おとなになってから獲得したどの感情とも異なっていたこと。

 幼い手にもてあましたトマトの色は今より赤く、見上げた空は今より青かったこと。


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