水上流弁当士2級(その1)
最初に見た時、美少女という言葉はこの子のためにあると思ったわ。
金曜日の夜に時々会社にやってくるのは、霧島課長の一人娘、どこかの私立中学の制服を着ている。学校帰りにピアノのレッスンに行き、課長が忙しくないときは、会社まで来て一緒に帰っていく。一緒に晩御飯を外食するそうだ。何ともほほえましい父娘だわ。ところが、その日はいつもと違っていた。いつもなら、課長の席に直行するのだけど、その日は、総合課の部屋の入り口でたたずんでいた。何かを探しているようだったわ。課長補佐のゆきさん(本名:十和田幸雄)が声をかける。
「あれ、早由美ちゃんじゃないか。今日は、課長は出張だよ。聞いてなかったの?」
かわいらしい声で
「え、そうなの。パパは何も言っていなかったわ。携帯も通じないし、変だなと思ったんだけど。今晩は、遅いのかしら?」
と少女が答える。課長補佐が説明する。
「う~ん。そうだな、昼から浜松の近くの舘山寺へ出かけたから、今頃、クライアントと打ち合わせの最中じゃないかな」
少女は、残念そうな表情をしたものの、まだ帰るつもりはないようだ。総合課の男どもは、仕事を中断して、美少女に注目している。あたしは、全く関心がない。努力して美少女になれるような歳ではないし。それより眼の前のコードのバグ取りの方が大事。計算時間を半分に縮められる画期的な方法を編み出したと思ったのだけど、バグを作ってしまったみたい。ここは、慎重にじっくり考えて…… やっぱり、紙に書かないと駄目ね。複雑すぎるわ。
少女は声を落として課長補佐と話している。
「…………」
「2番目と言われても。私には何とも答えようがありません。うちには3人しか女性がいないし、ご自分で判断されてはどでしょう」
「…………」
いつの間にか少女が私の背後に立っていた。あれ、まだいたの? 少女が話しかけてきた。
「水上さん、ちょっと、お話があるんですけど、すこしつき合っていただけませんか?」
丁寧だけど、少しとげを含んでいるような雰囲気。あたし、今忙しいんだけど。『美少女は、なんでも自分の思い通りになると思っているのかしら』とイライラする。(あれ、このセリフどこかで言われたような……)
「悪いけど、あたしは、今、取り込み中なの、10分ぐらい待っていてくれないかしら、下の階に自動販売機と椅子があるから、そこで」
少女は素直に
「わかったわ」
と答えた。何とか12分で片をつけた。さて、で、話って何だろう? 課長補佐は何か知っているのかしら。
「ゆきさん。あの子があたしに用があるって、何か聞いた?」
「いや」
「2番目がどうとか言っていなかった」
「あー あれは、うちの課で2番目にかわいい女の子はだれかって聞いてきたんだよ」
「はあ、2番目にかわいい? で、あたしが2番目なの?」
「そうらしい。僕は3人ともそれぞれにかわいいと思っていますが」
ゆきさんの意見は聞いていないって。あたしは、自販機のある階下に向かった。一体、2番目ってどういうこと? あたしが2番目だとすると、1番は桃子ね。椅子に座って携帯をいじっている少女に声をかけた。
「あたしに、話って、何?」
「水上さんって、パパの浮気相手なの?」
い、いきなり、何てこと言うの!
「それとも、恋人? それとも単なるお友達?」
一瞬、面くらってしまったけど、深呼吸をしてあたしは答えた。
「浮気相手でも、恋人でも、友達でもないわ。あたしは、課長の部下よ」
「それじゃー どうして、私のお弁当にミニトマトを入れるように入れ知恵したの? 私、トマトは苦手なの。それに、この間なんか、箸がすべって、ミニトマトが床をころころ転がっていったのよ。もう、男子にも笑われるし、恥ずかしくて、穴があったら、入りたかったぐらいよ」
と、顔を赤らめた。
「あはは、そりゃー 災難だったわね」
美少女が転がっていくミニトマトを追いかける姿は、想像するだけでも可笑しいわ。
「もう、責任を取ってください!」
おっと、『責任』と来たか。あたしの左脳が、ポンと、作戦を出してきた。
「ところで、早由美ちゃん、だったっけ。課長さん、パパは帰ってきそうにもないけど、今晩はあたしと晩御飯を食べない? あたしの方はもう帰ってもいい時間だし」
「えー 水上さんと?」
まずい、警戒されている。このままだと折角の作戦が……
「パパに電話して、ちゃんと断れば大丈夫よ。それに、あなたのパパと私の秘密をこっそり教えてもいいわよ」
美少女は、心配そうな顔をしながら、興味深々という眼をしている。やった、引っかかった!
久しぶりに神様の視線を感じる。
「これこれ、純粋無垢な少女をかどわかしてはいかんよ」
あたしは、
「ばか言わないで。うちに連れ帰ったりはしないわよ」
と答えた。