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ぜんまい仕掛けのキツネさん(その2)

 少し歩くと言われたので、ジョギングシューズに麦わら帽子。赤いポシェットに必要最低限の装備を詰め込む。飾り気のない白いワンピースと合わせると、良く言えば、少女って所かしら。でもこの年でこの格好だとコスプレにしか見えない? 気にしない、気にしない。

 それにしても、待ち合わせ時にトランプをしているってどういうこと? トランプ占いでもやってくれるのかしら、それともあたしとトランプで勝負するつもりかしら? 悪いけど、スピードなら、あたしに敵う人はいないわよ。 地下鉄を降りたころから、緊張が高まっていく。最初になんて声をかければいいかしら。『有馬さんでいらっしゃいますか。初めまして、塩原(あたしの本名は塩原、通称は水上)です。よろしくお願いします』と言えばいいの? う~ん。仕事なら、『黒川電子工房の水上と申します』と挨拶すれば済むんだけど、と考えながら、待ち合わせの喫茶店に入る。最近、流行りのモダンなコーヒー店ではなく、普通の喫茶店だ。ガラス窓はスモークになっていて、中が見えない。扉をあけるとカラン、カランとベルが鳴る。5月の日差しに満ちた屋外から、暗い喫茶店の中に入ると、一瞬、何も見えない。指定された右奥隅に眼をやると、誰かが座っている。近づいていくが、顔をあげない。ちらっとあたしを見ると

「お座りください」

と言う。トランプをシャッフルしている。シャッ、シャッ、シャッ。二山にわけて、タッタッタッタッタ。片手で、サック、サック。速い! きれい! まるで機械のようにシャッフルする。こちらをちらりと見る。なるべく、あたしと視線を合わせないようにしているように思える。あたしは、相手の視線を気にせずに、じっくり顔を見ることができた。写真より気弱そうな顔だ。携帯をちらっと見てようやく顔をあげる。

「90秒、予定より早かったですね」

はあ? もしかして、予定の待ち合わせ時刻になるまで90秒間無言でトランプをシャッフルしてたの? カチンときて、こう言ってやった。

「そうなの? 90秒、遅かった方が良かったかしら?」

「150秒以下なら、予定の範囲内です。時間があるので、あなたと私の相性を占ってみましょうか?」

あたしは思わず答える。

「いいえ、結構です!」

ヤバい、つい、『結構です!』なんて言ったけど、最初から険悪な雰囲気では、この後の展開が不安。

「そうですか、それでは、少し予定より早いですが、出発しましょうか?」

アイツ(有馬さん)は、あっさり引きさがる。携帯の画面をチェックしている。今日のスケジュールが入っているのに違いない。

 今日のデートは、アイツにすべてお任せ。あたしはただついていけばいい、女に生れて良かったと思う。ただし、いきなり初対面で、あちこち連れまわされるのは不安。一体どんな所に連れて行かれるのか? まあ、車でドライブするわけじゃないし、大都会の真ん中で、襲われることもないだろうし、なんたって、戸籍謄本をシステムに託している。おかしな犯罪に巻き込まれることはないわよ。きっと。


 アイツは分速60mで歩く。ゆっくりと、しかも大股で。あたしもつられて大股になる。あたしの場合、誰かと一緒に歩くと、決まってそのペースに合わせてしまう。何とも癪に触るわ。

 最初に行ったのは、古式時計館。江戸時代の時刻制度に合わせた古い時計が展示されている。江戸時代は、昼を6等分、夜を6等分し、一刻としていた。夏は昼が長く、夜が短い。冬はその逆。等分するということは、昼と夜で一刻の長さが違う。一方、振り子時計の振り子の周期は一定。さてどうするか。昼用と夜用の2種類の振り子を用意した。しかも、季節によって、昼と夜の長さは変わっていくので、振り子の長さも季節によって変えていかなければならない…… アイツは喜々として解説した。面白いのはわかるけど、何もこんなところに連れてくることはないんじゃないの? あたしはおざなりな相槌をうった。

 次に行ったのは、千代紙のお店。カラフルで、かわいい意匠の千代紙が棚一杯に置いてある。昔の日本にこんなに素敵なデザインがあったとは驚き。同じデザインのハンカチも置いてある。あたしは、手にとって触ってみようとした。

「待った! だめだよ触っちゃ。お店の大事な売りものなんだから。買う気もない人が触って汚しでもしたらどうするんですか」

と小言を言う。『ちょっとぐらい触ったって、いいじゃないの』と言おうとしてやめた。あたしにも似たような経験がある。学生のころ、女友達に『つき合って!』と言われて、ショッピングにつき合ったことがある。友達と銀座をぶらぶらしながら、ウィンドウショッピングをする。上等な紅茶カップを手にとって、べたべた触っている友達を見て、あたしは冷や汗をかいた。結局、友達は何も買わず、私は、彼女のボーイフレンドの悪口をさんざん聞かされた。あたしの成果は、通りでもらったポケットティッシュだけだったわ。


 千代紙屋を出て、また、分速60mで歩きだす。アイツは時々、携帯に表示した地図を見ながら、墓地の中を突っ切ったり、時々立ち止まって、何かを見つけては、ああだこうだと解説をする。あまりにも杓子定規なので、ガイドブックを読み上げているように聞こえる。もしかしたら、アイツは、何度もこのデートコースを歩いたのかもしれない。そのたびごとに違う相手と。そしてことごとくふられているのに違いない。まるで、あり得ない終了条件を課したために、無限ループに陥ってしまったプログラムのように。そう思うと、なんだかアイツがかわいそうに思えてくる。

 少女が公園で鉄棒をしていた。逆上がりの練習のようだ。横目でその様子を見ながら歩いていると、少女は、どさっと落ちた。少女は起き上がって、三角座りのような形になると動かなくなった。声をかけようかどうしようか? 周りに友達も誰もいないようだし。どうしよう? 対人恐怖症のあたしが

「とりあえず、起きあがったし、泣いてもいなし、大丈夫なんじゃないの、無視よ、無視」

合理性のあたしが

「泣いていないからといって大丈夫とは限らないわよ」

対人恐怖症のあたしが、

「それに、もし、声をかけられて誘拐と思われたらどうしよう」

合理性のあたしが、

「そんなこと気にするの? 隣の有馬さんはどう思うかしら。かわいそうな子供を放っておく冷たい女と思われてもいいの?」

あたしは、ちらりと、隣のアイツを見る。アイツもあたしと同じように凍っているみたい。

「ねえ、あの子大丈夫かしら、見に行った方がよくない?」

アイツは答える。

「で、でも、いたずらをする危ないオジサンと思われたらどうしよう」

「確かに、男一人ならね。でも女のあたしがいるし、夫婦ものに見えるかもよ。とにかく、行きましょう」

 小学校の2年生か3年生ぐらいだろうか? 先ほどの姿勢のままうずくまっている。

「どうしたの、大丈夫? 怪我は?」

少女は首を横にふるが、顔は真っ青だ。

「もしかして、頭打ったの?」

少女は首を横にふる。

「もしかして、背中から落ちたの?」

ウンウンとうなずく。あ~ あたしも経験あるわ。まるで、心臓を殴られたみたいな感じ。

「おうちまで帰ろうか?」

ウンウンとうなずく。

「あたしがおんぶしてあげるわ」

そういって、あたしは背中を向けた。有馬さんがおんぶする手もあったかもしれないけど、このシチュエーションだと、女のあたしでしょう。少女は小声で右とか、左とか言いながら指示する。さすがにこのぐらいの子だと重いわ。隣の有馬はぼーっとした顔でついてくる。やっぱ、コイツに背負ってもらった方がよかったか? 少女の家、マンションの玄関に着いた時には、息はぜいぜい、汗はポタポタだった。ポシェットからおニューの真っ赤なタオルハンカチを取り出して汗をふく。少女はインターホンごしに誰かと話している。

「ママ、あたし鉄棒から落ちたの。……大丈夫よ…… 親切なオバサンに家までおんぶしてもらったの」

お、おばさんは、ないんじゃないの? と思いながら、息を整えていると。少女の母親がやって来た。簡単に事情を説明する。少女が元気そうで、あたしたちはほっとする。母親は丁寧にお礼をして、少女をつれてマンションの中に入っていく。その時、少女は、母親に言った。

「ママ、あのおばさん、汗臭かったよ」

ば、馬鹿なこと言わないでよ。隣のアイツは、クンクンと臭いをかいだ。あたしがキッと睨むと。慌てて言った。

「あ、汗臭くないよ」

わざわざ声に出さなくていいの! でも、子どもとアイツとどっちが正直なのだろう?

「ふー。疲れた。一仕事したわね。有馬さんは、どう?」

と言うと、

「どうと言われても。僕は何もしなかったし。ただ、予定がだいぶ狂ったし、ここがどこかわからないのが問題だ」

「道に迷ったってこと?」

「その通り」

もちろん、あたしは、アイツについていくだけだったから、あたしも皆目わからない。

「有馬さんの高級携帯にGPS機能はないの?」

「な、ないのです」

アイツは途方に暮れている。それを見ていてあたしの中の意地悪な野獣が呼び醒まされる。

「じゃ~ このままここで、じっとしているの?、有馬さんあたしを楽しませてくるんじゃなかったの?」

アイツは、オロオロしている。かわいいわね~。このぐらいで許してやるか。

「それじゃー。あたしについてきて」

と言ってあたしはお日様に向かって歩き出した。別に道を知っていたわけではない。分かっているのは、さっきまでお日様に向かって歩いたこと。

 あたしは、毎分65mで歩く。軽快なピッチで歩く。あたしの半歩後ろをアイツが歩く。さっきとは逆の立場だ。自分のリズムで歩けるので、気持ちがよい。すこし、大きな道路へ出る。あった、あった。あたりの地図を示した看板があった。現在地は赤い丸で示されている。

「有馬さん、次の目的地はどこ?」

「えーと、カフェ箱根」

とアイツが答える。

「はあ、何よそれ?」

「湯葉のケーキのおいしい喫茶店」

「湯葉? 住所は?」

「え~と」

「もういいわ。その携帯かして」

と言って、あたしはアイツの携帯を無理やり取り上げた。携帯にはマップが表示されて。予定していたコースがマップ上に赤で示されている。看板の地図と、携帯のマップをじっくり比べた。自分たちがマップ上のどこにいるかを把握する。大分、予定コースから外れている。あたしは携帯のマップを見ながら歩き出した。半歩後ろをアイツがついてくる。ほどなく、目的の「カフェ箱根」に着いた。

 店に入って、腰をおろして、お水をもらった。携帯のチェックポイント3「カフェ箱根」と示されているボタンを押す。そうすると、予定到着時刻、お店の説明、湯葉ケーキの説明と写真と値段、予定出発時刻が出てきた。

「何なのこれ?」

と携帯の画面を見せると

「あ、それは僕が今開発しているアプリです」

と答える。

「へぇ―。面白そうね。こんな仕事をしているんだ。丁度いいわ。あたしが、テストしてあげるわ」

と言うと

「そ、それは、困るんですけど」

「気にしない気にしない」

と言って、あたしはアイツの携帯を握りこんだ。早速あたしは、湯葉ケーキなるものを注文した。所が、店員さんが

「申しわけありません。本日の分は、売り切れてしまいました」

どうする? とアイツに視線を送ると。お手上げとゼスチャーが返ってきた。

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