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一人イブを楽しむ女(その2)

 イブ前日。水族館に渡を誘う。駅から水族館まで歩きながらあたしの話を聞いてもらう。

「今まで水族館は好きだったのだけれど、動物園は嫌いだったの」

「何でや? 歩き回らなあかんからか?」

「確かに動物園の方が広いけれど、そうじゃないの。檻の向こうから投げかけられる視線がいやなの。チンパンジーとか高等な動物になるほど人間をじっと観察しているの。それが耐えられないの」

「う~ん、そんなこと考えたことあらへんけど、考えたとしても逆やないか? つまり、動物が人間を観察するんやなくて、人間が動物を観察するのが動物園やないか」

「そうかしら? 動物園に来るたいていの人は、たまにしか来ないわ。普段は、学校に行ったり、仕事をしたりしているから、動物を見ても珍しいとしか思わないじゃないかしら」

「それが普通やで」

「だけど、檻の中の動物は違うわ。食べることと寝ること以外に何をすると思う?」

「さあ。何やろう?」

「人間をじっくり観察するのよ。そして、家族の中で財布を握っているのは誰かと考えたり、フェロモン出している女がいれば、芸を見せて男の気をそらしたり、自殺願望のある乙女にしんみり話しかけたり。そんなふうに、毎日、毎日、人間を見ているのよ。だから動物園では、動物が人間を観察するのよ」

「碧は考えすぎやで」

「そんなことないわ。とにかく、そういうわけであたしは動物園が嫌いだったの。反対に水族館は好きだった。魚は高等動物じゃないし、なによりこちらとあちらの間に分厚い透明な仕切りがある点が違うわ。つまり、見る方も、見られる方も別世界だから気にならない。動物園のように空気を共有することもない」

「ああ、それで、今日は水族館なんか」

「違うわ。実は、ここのところ別の水族館の仕事をしているの。今、向かっている水族館も何度か見に来たことがあるわ」

「へぇ、そうなんか。それやったら、今日はライバルの偵察?」

「それも違うわ。純粋に渡と水族館を楽しみたいだけよ。ライバルだけれどここの水族館は楽しいわよ」

そう話している間にあたし達は目的の水族館に着いた。


 玄関ホールは、年末年始を控えて華やかに飾ってある。中でも人魚のイルミネーションは女の子に人気があり、幼女から熟女まで写真を撮ってもらっている。もちろん、あたしたちカップルも撮ってもらった。

 さすがに今日は人出が多い。家族連れの子供達が元気に走りまわり、それを親が追いかける。その一方で、カップルは二人だけの世界に浸ろうと懸命である。今日は混んでいるからすべてのコーナーを見ている暇はない。何度か来たことのあるあたしは、渡の手を引いて、見どころを案内していく。

 この水族館の目玉は巨大水槽。分厚いアクリルの壁で囲まれた空間では、愛嬌のある小さなサメ、きらきら光る無数の小魚、柿色や淡青色のラインの入った魚達が社会を形成している。その中でも貴族にあたるのが大きなエイ。優雅に泳ぐその姿は、魔法の絨毯が空を飛んでいるようだわ。

「エイは何も悩みがないように見えるわね」

「まあ、魚類やし、何も考えへんのやろ」

「ところで、さっきの話の続きなんだけれど、最近、別の水族館であるプロジェクトを始めたの。うちの会社からプロジェクトに加わっているのはあたし一人。あとは水族館のスタッフ」

「ふーん。さびしいやないか」

「少しね。でも外の眼も必要だというのが、あたしの入っている理由の一つ。もちろん実際に物づくりの段階になればプロとしての出番もあるわ。でも、今はまだテーマを決めた段階」

「テーマ?」

「テーマは、五感で海をリアルに感じさせること。最近、そういうのが流行っているのよ。丁度、観光牧場で、馬に乗ったり、ヤギに餌をあげたり、ウサギをなでたりするでしょう。それと同じようなことを色々な水族館でやっているの」

「つまり、魚や貝を触ったり、餌をやったりできるっちゅうやつ?」

「そう。でも、あたし達の目指すものは、さらにその一歩先。珍しいだけじゃなくて、優しさ、厳しさも含めて海を感じさせ、海に行きたくなるような水族館を目指しているの」

「そんなことして、みんな海に行くようになったら、水族館の商売あがったりやないか?」

「それは心配ないわ。珍しいものが手軽に見れる点で、水族館は存在価値があるから」


 巨大水槽は上から見ることもできる。ちょっとした浜のスペースがあって、人工的な波が打ち寄せている。

「これも五感にうったえる一つのやり方よ」

「五感?」

「波の音がするでしょう。それに、磯の香りもわずかにするわ。これをもっと進めて、人間が魚の気持ちを理解できるようにするのが究極の目標」

「それは無理やろう。魚は水中に住み、人間は陸に住むんやから」

「そうね。同じ空気を共有できる動物園とは違うわ。でも、あたし達は、水族館をもっと動物園に近づけたいの」

「それって、碧の嫌いなこととちゃう?」

「確かに昔のあたしは嫌いだったわ。だけど今は違う。渡は、同じ空気を吸うこと、触れ合うことの快感を教えてくれた。肉体的な触れ合い、精神的な触れ合い、両方とも大事だって教えてくれたわ」

「精神的触れ合い?」

「そう。いつかの渡の言葉を借りれば、『心を預ける』ということ」

「そんなこと言ったやろか」

「渡は忘れっぽいから覚えていないでしょう」

「そう言われると、なんや悔しいなぁ」

「うんと悔しがって…… で、人間は五感だけでなく言葉がある。言葉で思いを伝えることができる。温かい思いも冷めた思いも伝えられる。そうやって、思い思われることが人間なんだってわかったの。だからそれを避けてちゃいけない…… 渡には感謝しているわ」

あたしは、渡に微笑みかけた。が、渡は不思議そうな顔をする。

「う~ん。俺にはようわからんけど…… やっぱ、碧は頭良すぎるんとちゃうんか?」

「あはは、そうかもしれない」


 あたし達は水族館内の食堂で海鮮丼を食べた。さっきまで泳ぎまわっていた魚が思いおこされ…… 食欲がわいた。

「あたしが渡に教えらる事はほとんどないけれど、過去は捨てたもんじゃないってことは理解してほしいの。そのためのクリスマスプレゼントを用意したのよ」

あたしは、自分で包装し直した箱を渡に渡した。この時ばかりは渡も丁寧に包装を取った。

「なんかのディスプレイみたいやな。それとも写真立てか?」

「いい線いっているわ。デジタルフォトフレーム。メモリーに入った写真を順番に映していく機械よ。和風に言えば、自動表示更新機能付映写板って所かしら」

「児童、行進、昨日、着いた晩?」

「…… 何でもないわ、忘れて。この中には渡とデートした時の写真が入っている。そうだ、さっき玄関ホールで撮った写真も入れるから、ちょっと貸して」

そう言ってあたしは、ケーブルでデジカメをつないで写真を転送する。

 全部をスライドショーで表示してみる。そんなに枚数はないけれど、渡と過ごした時間が思い起こされ、何度見ても感慨深い。渡は、ほんの少し嬉しそうな顔を見せたかと思うと黙ってしまった。すぐにその理由を思いあたったけれど、念のためにその反対のことを言ってみた。

「感動するでしょ? 渡は過去のことを覚えない主義かもしれないけれど、過去も悪くないでしょ?」

「これ自体は悪うないけど…… 明日のイブ、碧の誕生日になれば悪夢に変わるかもしれん。そう思うたら、素直に感動でけんで」

「そうね。その通りかもしれない。でも、いい思い出も、わるい思い出も皆ひっくるめて渡の過去なの。そうした道を歩んできて今の渡がいるのよ。あたしも同じ。渡と出合ったから今のあたしがあるの。渡だけじゃないわ。プロポーズしてくれた人もいた。あたしを育ててくれた人もいた。そういう人があたしの人生に交差し絡みつき影響し合った。そういう風にして過去は現在に反映されているよ。そのデジタルフォトフレームは捨ててしまってもいいし、メモリーを消去してもいいわ。でも、渡はあたしの人生の一部だったし、あたしは渡の人生の一部だったことは忘れないでほしいの」

「わかった。俺、八丈渡は水上碧とつきおうてたことは忘れん。そやけど、今は、このプレゼントは受け取れんわ」

「今は受け取れない?」

「明日…… 明日24日、俺が碧に渡す誕生日プレゼントと交換やったら受け取るで。遅まきながら、俺も勝負に出ることにした。碧にプロポーズした先生には負けられん」

そう言って渡は、腕を組んで黙ってしまった。あたしに向けられた強い視線を感じる。それはとても強く、まともに眼を合わすことはできない。でも、あたしも渡と同じぐらい強情だ。ため息をついてから渡に答えた。

「明日は、渡とは会えない。だから明日は誕生日プレゼントは受け取れないわ」

最初は、加古先生にした嘘の言いわけを渡にもするつもりだったの。つまり、『明日は名古屋の実家に帰って誕生日を祝ってもらう』って。でも、今、渡に嘘をつくことはできない。こんなにあたしのことを思ってくれているのに嘘はつけない。かといって渡の次の言葉、当然予期される次の問いに対する答えを用意していたわけではなかった。

「明日は、加古先生に会うからか?」

渡は先生の名前を口にした。あたしは暫く考えて返事をした。

「ノーコメント」

そして、渡を睨みつけた。もし、少しでも眼をそらせば、涙が出るのはわかっていた。そうなれば、明日のことも黙っていられなくなることは確実。だから、あたしは渡を睨みつけた。

「…… そうか」

と渡は眼をそらした。


別れ際、渡はいつもと違って軽いキスをした。寒風があたし達の間を吹き抜けていった。

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