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一人イブを楽しむ女(その1)

 恋する『乙女』にとって1年で一番大事なイベントと言えば、間違いなくクリスマスイブでしょう。イブは本命の相手と過ごすものと世間は信じている。そして、今年ばかりは、あたしも世間の常識を無視するわけにいかない。全く、イブのことを考えるだけで頭が痛くなるわ。いっそのこと、23日の翌日が25日になってしまえば、一石二鳥。歳もとらないし、本命選びで悩むこともない。

 昨年までは本命ゼロだったのに今年は加古かこ先生とわたるの二人の候補がいる。イブまでの残り日数、これまでのデート頻度、デート1回当たりの親密度の増加率を考えて予測すると、イブまでに本命を決めるのは不可能。12月にはいってこの状況に愕然とする。それでも次善の策を弄するあたしは立派? それともせこいかしら。


 イブ前々日。蟹がおいしいという評判の中華レストランに加古先生を誘う。もちろん、フォーマルな赤紫のスーツに人魚のブローチでばっちり決める。ただしメイクは少しぼかし目にした。イヤリングはしない。目立つアクセサリーは1点だけと決めているのが一つの理由。

 青島ビールで乾杯して、クリスマスプレゼントの無線マウスを進呈する。本当は、オリジナルのマウスパッド、表には先生の、裏にはあたしの顔写真が印刷されたマウスパッドを考えていたのだけれど、さすがに恥ずかしくてやめたの。もちろん、加古先生に見られるのが恥ずかしいのではなく、先生が自慢げに学生に見せびらかすことを想像したのよ。とにかくこのアイディアは封印。もし、先生に言ったら、絶対、自分でそれを作るわ。なにせ、加古先生は、先生の顔とあたしの顔が向き合った合成写真を携帯の待ち受け画面にしているくらいだから。そんなことを考えながら、味もそっけもないマウスを先生に進呈した。

「おや、無線マウスですか。いやー これはいいですね。早速職場で使わせてもらいますよ」

「喜んでもらえて、よかったわ」

「ところで、碧さんは、マウスはどんなふうに握るのですか?」

そう言って加古先生はマウスを差し出した。握り方なんてあるかしらと思いつつ、いつものようにマウスを右手で握る。先生は嬉しそうにして、マウスを握った右手に自分の右手を重ねた。え、何?

「では、私はこのマウスを碧さんの右手だと思って使わせてもらいます」

「……」

またやられたと思った。先生は何かにつけてあたしに触りたがる。女性アレルギーが出ないのがよっぽど嬉しいのか、一瞬の隙をついて触ってくる。『手相をみてあげましょう』ぐらいまでは可愛かったわ。先日、デートにイヤリングをしていったら、『よく見せてくれ』と言って、頬にキスをされた。その時、不謹慎ながらゾワゾワっとしてしまった。でも、たまにあたしの心の琴線に触れることがある。そして、追尾精度3mm、命中率100%の言葉のミサイルが、あたしのこわばった心を氷解させるのよ。

 先生もちゃんとプレゼントを用意してた。可愛いニットの帽子とおそろいのミトン。光沢のある白色と柔らかな手触りに感激した。折角だからと思って、帽子をかぶって手袋をはめてみた。

「ほおー まるで妖精ですね。思ったとおりです」

「妖精?」

あたしは、思わず吹きそうになったけれど、先生のまじめな顔を見て思い直した。コンパクトで映してみると、そこにはいつもと違って、柔らかい雰囲気の自分がいた。そしてそれは帽子のせいだけではないような気がした。それともやっぱり帽子がいいのかしら。

「あら、これ、カシミヤだわ」

「かしみや? 樫の宮? かしみ屋? ブランドの名前でしょうか?」

いぶかしがる先生に、1拍遅れて教えた。

「カシミヤはヤギの毛から作った繊維です。羊毛から作ったウールよりも高級とされているわ」

「そうなんですか。素材は知りませんでした」

「先生が選んだのではないですか?」

「結果的にはそうなりましたけれど、最初は選ぶ自信がありませんでした。そこで、店員さんに『シャープな美女にあこがれる本当はかわいい少女を、かわいく見せるものはありませんか』って聞いたんです」

「シャープな美女? かわいい少女?」

「でも、それは失敗しました」

「失敗?」

「ええ、失敗しました。『ご自身がその方をかわいいと思っていれば、自然と選べますよ』と言われまして…… 仕方なく、携帯で撮った碧さんの写真を見ながら5軒の店を回りました」

「5軒も!」

携帯を持ってうろうろする先生を想像すると笑えるわ。と当時に涙も出そうになる。

「ありがとう先生」

と礼を言う。

「ハイ! 2回目です。今日はこれで、『2回』私のことを先生と呼びました。キスまであと1回ですからね」

しまった! 忘れていたわ。前回のデートで約束させられたのよ。あたしが先生を名前の『ひろし』で呼ばないものだから、あと3回『先生』と呼んだらキスをすることになった。ジリジリと包囲網が狭まっていくのがわかる。でも、名前で呼ばれない不満は理解できるわ。今度こそ気をつけなくちゃ。


 蒸して真っ赤になった蟹をつついているあたしに加古先生は尋ねた。

「24日はどうなさるんですか?」

来た来た! それを聞かれることはちゃんと予期していた。用意した答えを言う。

「実は、24日はあたしの誕生日なの。29歳になるの。それで、実家で母と弟に誕生日を祝ってもらうんです」

後半は真っ赤なウソ。

「おや、おめでたい日ですね。それじゃ、小さいころから盛大に祝ってもらった…… 」

先生はあたしの不満そうな表情を見て、いったん口をつぐんで続けた。

「盛大に祝ってもらったというよりは、ついでに祝ってもらったという感じでしょうか?」

あたしは、小さかった頃を思い出してウンウンと頷く。そう『ついで』というのは当たっているわ。


 小さい頃は、あたしの所にもサンタが来ていた。ところが、ある時パパはこう諭した。

「今年はサンタさん忙しいみたいなんだ。だから、小さい子にはプレゼントを配れるけれど、大きなお姉ちゃんお兄ちゃんの所までまわている暇がないんだって」

「ええ! ことしは、サンタさんにかわいいマフラーをおねがいしていたのに」

「でも、みどりは誕生日だから、パパとママから誕生日プレゼントを貰えるだろう。だから、パパママからとびきり豪華な誕生日プレゼントをもらって、サンタさんのお仕事を楽にしてほしいって頼まれたんだ」

「たのまれたって?」

「もちろんサンタさんに頼まれたんだ。ほら、これが証拠の手紙」

そう言って、クリスマスカードを渡してくれた。雪だるまとトナカイの描かれたカードを開けると何やらミミズのような模様がある。

「パパ、これって字?」

「そう。英語の文字だよ。お父さんが翻訳してあげよう」


 『親愛なるみどりさま

  毎日、元気にしていますか?

  みどりはいつもいい子にしているので感心です。

  今年はプレゼントが必要な小さい子が多く、

  みどりにプレゼントを届ける時間がありません。

  許してください。

   あなたをいつも見守っているサンタより』


あたしは、そのミミズ模様を見ながら、大きな手で手紙を書くサンタを想像していた。手紙をもらえたと言う事実に胸がいっぱいになって、こう答えた。

「わかったわパパ。ことしは、この手紙でじゅうぶんよ」

パパは、大きな手であたしの頭をなでてくれた。

 今から考えると、パパは、誕生日とクリスマスのプレゼントを別々に用意するのが面倒だったのだわ。きっとパパのことだから包装紙も別にしていたと思う。それを一つにしようと考えた秘策が、サンタからのクリスマスカード。そのカードはあたしの宝物になった。高校生になって、ふと、カードを翻訳してみたら、パパの言った通りのことが書かれてあってビックリした覚えがある。何に対しても手を抜かないパパらしい。

 サンタからのクリスマスカードは嬉しかったけれど、翌年からはカードもなく、プレゼントの個数が1個減って、損をした気分になったのは確かね。だいたい、クリスマスのお祝いと誕生日のお祝いが一緒になるとお祝い度の総和はどうしたって目減りする。というわけで、あたしはクリスマスイブを嬉しさ1.5倍で迎えるのが常だった。


 温かい紹興酒を一口飲んで加古先生はあたしを慰めてくれた。

「でも、クリスマスイブが誕生日だなんて、うらやましいですよ」

「どうして?」

「だって、覚えやすいじゃないですか」

「それはそうだろうけれど……」

「誕生日で一番大事なことは、親や友人が自分を祝ってくれること、思ってくれることです。毎年、イブの日になれば、沢山の知人が『そう言えば、今日は碧の誕生日だった』と思い出してくれるはずです。そして、その一瞬、ほんの短い瞬間かもしれないけれど、あなたのことを思ってくれるはずです。こんな得なことはないじゃないですか」

「そんなこと考えたこともなかったけれど…… そうかもしれない」

あたしは、今まで損をしたと思っていたけれど、本当は得をしていたのね。あたしって、ホントにおバカさんだわ。瞳に涙が溜まっていくのがわかる。またもや先生は琴線に触れたのだ。

「ありがとう先生」


 熱々のゴマ団子をほおばっていると加古先生が尋ねてきた。

「年末年始はどうするのですか?」

「名古屋の実家で過ごすつもり。たまには、母に顔を見せないと心配しますので」

一瞬、加古先生は変な顔をした。あれ、嘘じゃなくて本当の予定なんだけれど…… そう、その時は、何がおかしいのかわからなかったわ。


 レストランを出ると寒風が吹いていた。コートの襟を立て両手をポケットに入れても足元から冷たい風が吹き込んでくる。勘定をすませた先生はあたしの正面に立ってささやいた。

「約束ですから」

暗闇の中、先生の表情は見えないけれど、にっこりほほ笑んでいたのは声からわかる。あたしはとぼけた。

「何の約束でし……」

先生の唇があたしの言葉をふさいだ。

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