白手袋とひっつき虫(その7)
五色流道場から駅に歩きながら、渡に電話をした。渡は今日も仕事らしい。加古先生からプロポーズされ、悩んでいることを手短に、なるべく事務的に話す。最後まで話を聞いて渡は、
「了解」
と一言。え! それだけ?
「渡、あたしの話をちゃんと理解した?」
「もちろんや」
「じゃ、その『了解』ってどういう意味?」
「了解はOKっちゅう意味。好きにしろっちゅう意味や」
「それだけ? やめろとか、待ってくれとか、相手はどんな人とか、何か言いたいこと、聞きたいことはないの?」
「特にないわ。俺がどうこう言う問題やないし、決めるのは碧やから」
「そうなんだけど…… 二股かけてもいいの?」
「ああ、ええよ。あ、ただ…… 」
「ただ?」
「えーと、俺とも時々デートしてほしい。そやないと、忘れてしまうで」
「も、もちろんよ…… 渡、ありがとう」
「どういたしまして」
「渡は、あたしにはもったいないぐらいのいい人だわ」
「そりゃそうや。俺は、最高の男やし…… 碧は最高の女や。そう言わんかったけ」
「そう言えば、花火の時に、そんなこと言っていたわね。とにかく、ありがとう」
「じゃあな」
そう言って、渡は電話を切った。ふー とりあえず、前に進めるわ。『二股』かー これって『両手に花』って言うのかしら? 相手が男の場合は『両手に団子』かしら。渡はどちらかというと団子、加古先生は花ね。花より団子か、それとも、団子より花か……それが問題だ。こうして、人生始まって以来の『二股時代』に突入した。
ここ2カ月余りを振り返ると、感慨にふけりたくなるほど、色々なことがあったわ。とにかく、義手と呼べる白手袋試作2号機、略して白手2(ハクシュツー)は完成した。今日は、これを実際に試験する予定で、関係者(プラスひっつき虫1名)が集まるの。
最初のステップは義手の装着。優君に説明しつつ、試してもらう。義手を右手にはめ込み、埋め込みのボタンを押すとワイヤーが縮まって手の平に義手が固定される。ワイヤーを縮める度合いは5段階で変えられる。このワイヤーは、義手を固定し、電極を密着させる。
実は、この固定の所が一番難しく、完璧な解決策はないの。丁度、真ん中で折れた割り箸を輪ゴムで応急処置するところを想像するとわかりやすい。もし、20cmの割り箸が10cm、10cmに別れたとして、それを5cm分重ねて輪ゴムで重ねた所をぐるぐる巻きにすれば、そこそこ使えると思うの。でも、もし、重ねる長さが1cmだとしたら、使いものにならないくらいひ弱だわ。優君の義手も事情は似ている。残っている部位である手の平を使えるようにしたいので、その先の義手を支えるための長さ、割りばしの例で言えば重ねる長さ、が短い。だから、大きな力は支えられない。割りばしの例の輪ゴムに当たるのがワイヤーで、それをきつく巻きつければ、そこそこの力を支えられるとは思うけれど、きつくしすぎて血流が止まってはいけない。かと言ってゆるければ、力を支えられない。そこで、妥協案として、きつさ、つまり、ワイヤーの縮める度合いを、ユーザーの優が、その時々で変えられるようにした。
このワイヤーのきつさは電極の密着度合いにも影響し、その結果、信号の大きさにも影響する。そこで、信号の大きさの違いを補正(規格化)するために、装着後、最初に、力を入れてもらって、信号の大きさを確かめる。この時の大きさを基準に、命令を判断するための閾値を補正するという仕組みだ。
「それじゃ、優君、やってみて」
「起動スイッチON」
小指につけたモニター用USBケーブルを介して義手の起動を確認する。
「埋め込みスイッチで、ワイヤー収縮度を3に設定。装着! 次に最大力による規格化。1、2、3、規格化終了! ランプ正常!」
「それじゃ、0から31まで数えてみて。時間を測るわよ。用意、スタート!」
「0,1、2、3、……
そう。右手の5本の指を使って、2進数で31まで数えてもらう。指を1本も立てない、拳の状態が0、親指だけ立てたら1、人差し指だけなら2、小指だけなら16という具合に指を立てた状態を2進数の1として、各指を各桁に割り当てる。こうすれば、すべての指を立てた時に1+2+4+8+16=31となり、31まで数えることができる。
「……、30、31」
「ハイ。えーと27秒。義手側の判断時間と駆動時間の和の理論限界が約20秒だから、なかなかなものねぇ。練習すれば、もっと速くなるわよ」
隣で、同じように数えようと舞が四苦八苦している。
「どうしても、9ができないの~」
9は親指と薬指だけを立てればいいのだけど、普通の人は小指と薬指が連動して、薬指だけを立てるのが難しいけれど、この義手は、小指と薬指が独立なので、そんな問題はない。優はそんな舞を鼻で笑っている。
「それじゃ、今度はクイズよ。ここに柔らかいボールと堅いボールがあるわ。見ないでどちらかを当ててね」
そう言って、黒い布で目隠しをした。まず1番目に柔らかいボールを優の義手に載せた。
「柔らかいボール」
「正解! それじゃ、これは?」
そう言って、今度は堅いボールを載せた。
「堅いボール」
「正解、それじゃ、最後にもう一度」
そう言って、隠していた少しだけ柔らかいボールを載せた。
「…………」
優は、口をへの字にしながら、ボールを握ったり、手を開いたりして感触を確かめている。
「姉さん、これ、前の2つと違うみたい。中ぐらいの柔らかさのような気がする」
「正解!」
目隠しを取って、3番目のボールを見せた。
「なかなかのものね。感覚も鋭いわ。これで、テストは終わり、あとは、実際に2,3週間使ってみて、練習しつつ、不具合の調査、いわゆるバグ出しが必要。うまくいけば、そのままずっと使えるし、不具合の度合いによっては、作り直すわ。とりあえず、あたしたちの仕事はこれで一段落よ」
そう言って、優の義手に今までよりワンサイズ大きい白い手袋をかぶせた。こうすると、遠目には今までの動かない義手と変わらない。それから、充電、簡易防水、トルクの設定値、ログの確認等いくつかの注意事項を説明する。
「ありがとうございます」
優はあたしと、加古先生、桃子の3人それぞれに頭を下げた。そして、舞の方に向き直ると、一旦、口を真一文字に結んだかと思うと、息を吸って、話しだした。なにか大事なことを言おうとしているのが感じられた。舞は小首をかしげる。
「舞、今までありがとう」
「はい?」
「俺の奴隷として、物理部では、はんだ付けを手伝ってくれた。掃除の時は、雑巾を絞ってくれた。いつも、俺のそばに居てくれた。本当にありがとう」
「…………」
舞は、黙っている。そして、小さく開けた口に手をやって、驚きを隠している。優に礼を言われて喜んでいるのではない。何かを、何かとてもよくない優の次の言葉を予期していたわ。
「だけど、今、俺の意思で動く手を持っている。もう、舞は俺が指を無くしたことを忘れていいんだ。だから…… だから、奴隷解放」
「奴隷解放?」
優は、はっきりと言う。
「舞は、もうおれの奴隷じゃない。物理部は退部だ。明日から部活に出て来なくていい」
「退部? それじゃ…… 舞は…… 部活に出ないで、一人で帰るの? これまでみたいに家まで送ってくれないの?」
舞の声は、半分涙声だった。優は、毅然として
「そう、一人で帰ってくれ。帰れるだろう? 舞は強いから心配ない」
と言った。
「どうして、舞が強いってわかるの?」
「わかるさ。俺、空手を始めて、舞の姿勢がすごくいいってことに気づいたんだ。それに、時々、無意識に、空手で言うこところのレの字立ちをしている。小さいころから何かの武道をやっているのは間違いない」
「言わなくって、ごめんなさい。でも……」
「俺の方こそ、悪かった。気がついてからも、舞が断らないことをいいことに送っていたんだ」
「そんなぁ……」
「だから、奴隷解放さ。これで、縁が切れる…… 最後に、俺の右手を触ってくれないか?」
舞は、あまりのことに茫然としている。それでも、機械的に手を伸ばし、両手で優の右手、白い手袋をはめた右手を包む。そして、うなだれた顔から、涙が一つ、二つと落ち、手袋をぬらす。皆、黙してその手袋を見ている。
舞は、突然、手を離すとカバンを持って部屋から出て行った。嗚咽を漏らしながら。
15秒間の沈黙を加古先生が破った。
「優君、いいのですか? 追いかけなくていいのですか?」
「ええ。いつかは縁を切らなきゃって思っていました」
「どうして」
と桃子が尋ねる。
「舞ってよく見ると、意外に可愛いでしょう。俺、学校の男子からうらやましがられているんです。可愛い彼女と付き合えていいなぁって」
よく見なくても、可愛いのは一目瞭然なんだけれど……
「だから、俺なんかにひっついているのは、かわいそうだなって思ったんです。それで、縁を切ったんです。これでも舞も自由です」
「ふむ、優君は変な所だけ大人なんですね」
と、変な所だけ子供の加古先生が冷静に言った。
「まあ、なるようになるでしょう」
と、桃子も冷静に言った。あたしは、素直に頷けなかったけれど、黙っていた。若いっていいわねぇと思いながら。若ければ、いくらでもやり直しができるじゃない。それに比べて、あたしは、今の二股時代を逃せば、二度と春は来ない気がする。