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白手袋とひっつき虫(その6)

 加古先生のもう一つのお願いは『結婚してくれませんか?』だった。一瞬、それが外国語のように聞こえた。舞が、最初に反応した。

「これって、もしかしてプロポーズ? わあ、プロポーズの現場に居合わせるなんて初めてだわ」

桃子も

「私も、初めてよ。面白そうね」

と言う。もちろん、あたしも初めてだわ。というか、プロポーズって、公衆の面前でするものじゃないと思うんだけれど…… そんなことは、どうでもいい。そのプロポーズの対象があたし自身なのだ。それが問題だわ。


「いきなり、結婚と言われても…… どうして、あたしなんですか?」

先生の代わりに舞が答える。

「だって、加古先生にとって、『お兄様』……じゃなくて、『お姉さま』は、天然記念物なみの…… じゃなくて、とても貴重な『女性』ですから、この機会を逃すわけにはいかないのじゃないかしら」

加古先生はウンウンと頷いている。あたしは、反論する。

「でも、それだけの理由? 確かに先生にとっては、アレルギー反応の出ない貴重な存在かもしれない。だから同情もするけれど。でも、あたしにとっては…… この際、はっきり言わせていただきますと、加古先生は、あたしにとって是が非でも結婚したい貴重な存在ではありません。つまり、不公平、不釣り合いじゃないかしら」

加古先生はウンウンと頷いている。桃子が包囲網に加わる。

「碧は、貴重とか、不公平とか言っているけれど、碧にとって、加古先生は超優良物件よ、不公平じゃないわ…… でも、ホントの所、不公平とか超優良とか、外野の判断、つまり世間一般の物差しは、どうでもいいの」

「どうでもいい?」

「そう。世間から見て不釣り合い、例えば、お金持ちと貧乏人、美女と醜男ぶおとこ、背の低い男と背の高い女…… そんな不釣り合いがあってもいいのよ。釣り合っているとか、分相応だとか、玉の輿だとか、そんなことはどうでもよくて、お互いが相手と結婚したいと思うかどうか…… 加古先生が碧と結婚したいと思っているのなら、碧が加古先生と結婚したいと思うかどうか…… それが問題」

加古先生はウンウンと頷いている。このまま、桃子と舞の相手をしていては、形勢は不利。直接、加古先生を引っ張り出さないと……

「そりゃ、お互いの気持ちが大事なのは分かるけれど…… 加古先生を結婚対象として考えたことはなかったから…… 急に結婚したいって言われても…… そもそも、加古先生は、アレルギーが出ない女性なら誰でもよかったのですか?」

「アレルギーは重要な要因ですが、それだけではありません。碧さんは、もしかして自分の魅力を認識していないのでは?」

先生が『碧』って名前で呼んだ。もしかして、一気に攻め込むつもり?

「あたしの魅力?」

「そう。世間一般の物差しで言えば…… まあまあ美人だし、かわいいとも言えるし、自立しているし、頭がいいし、誠実だし……」

「ちょ、ちょっと、先生、それぐらいにして下さい。じゃないと、浮かれてその気になっちゃうじゃないですか…… 第一、あたしには事情があるの」

「事情?」

「えーと、そのー 今、つき合っている人がいるの」

そう、あたしは、今、わたると付き合っている。『あたし一人と付き合って…… 浮気は許さない』 そう渡に言ったのだわ。だから、二股をかけるなんて到底できない。

「…………」

加古先生は、考え込んでいたけれど、舞は黙っていない。

「男の人? それとも、女の人?」

「もちろん、男の人よ!」

「それで、そのー つき合っていると言うのは、結婚を前提にでしょうか?」

そう加古先生が尋ねた。

「結婚を前提にかと言われると…… どうかしら」

「ふむ、やっぱり、誠実と言うかバカ正直ですね。そこが碧さんの一番の魅力です。ずるがしこい女性なら、そんなこと、正直には言いませんよ。碧さんのことですから、二股をかけることはできないし、相手の彼にもそれは許さないでしょう」

うっ図星。どうしてわかるのかしら。加古先生はさらに続ける。

「そして、彼にどうやって説明するか、その時に、彼の反応を想像するだけで、落ち着かない。二股をかけるぐらいなら、この場で、私のことを振ってしまった方が楽だ、そう考えているのでしょう。違いますか?」

これも図星。

「碧さんの弱点は、繊細すぎる点です。他人の眼を気にしすぎるといってもいいかもしれません。その結果、本当の自分の気持ちを言うことができず、内に抱え込んでしまう。普通の人なら、内に抱え込みすぎて爆発するか、妥協して繊細さをなまらせます。ところが、碧さんは、頭の回転が速いものだから、ガラスのような繊細さを維持することができる。それでも、とても疲れているはずです。違いますか?」

先生の言葉が、ジグソーパズルの最後のピースのようにあたしの心にピッタリはまる。

「先生、どうして、わかるんですか? あたし以上にあたしのことが分かるんですか?」

先生は、柔らかに微笑んで言った。

「私もあなたと同じ だった か ら  で   す」

不思議なことに、周りの時間の流れがゆっくりとしたものになる。加古先生の温かい眼差し、口を少しあけて驚いだ表情を見せる桃子、小首をかしげる舞、何も考えていなさそうな優。その向こうには、湯気の立った麺を運ぶ店員。音が消え、ゆっくりとしたあたしの鼓動だけが響く。

 ドックン、ドックン…… ドックン。

 心臓が熱を帯び、徐々に熱くなってくる。金縛りにあったように体が動かないわ。息もできない。渾身の力を振り絞って、右手の平でテーブルを叩く。

「バン!」

とたんに時間の流れが正常になる。

「あ、あたしは…… あたしは…… どうしたらいいの?」

涙目で、先生と桃子とを交互に見つめる。先生は、

「すこし、頭を冷やしましょう」

とだけ言った。


 帰りの電車の中で、舞は優に聞こえないようにささやいた。

「お姉さま、さっきは、ありがとう。お礼がしたいの、絶対、損はさせないから。今度の土曜日の朝、空けておいていただけます?」

何のお礼なのか分からないけれど、あたしは頷いた。


 土曜日の朝7時にとある駅で待ち合わせた。この所、ただでさえよく眠れないのに、早起きをしたため気分が悪い。よく眠れないのは、加古先生と渡のことで悩んでいるから。とにかく、渡と話しをしないといけないのだけれど、何を話していいかわからない。結局、電話できなかった。

 待ち合わせ場所に現れた舞は、駅から10分程の道場に案内してくれた。なんでも祖母が柔術を教えているらしい。よくよく聞いてみると、祖母は五色流柔術の師範で、幼いころから舞も稽古をつけてもらったそうだ。五色流は高祖母、つまり祖母の祖母が明治のころに、女性のための柔術をまとめたのが始まりで、戦時中には女子挺身隊の指導をし、そこそこはやったそうだ。もっとも、今は、弟子もほとんどおらず、舞が師範を引き継がなければ流派は消滅する。


 道場では、舞の祖母が3人の小学生、もちろん女子を指導していた。あたしは挨拶をし、着替えた。柔軟体操をして、早速、舞から実践的な指導を受けた。今回は、五色流柔術ではなく、護身術のポイントを学ぶ。腕を掴まれた時、背中から抱きつかれた時、押し倒された時、ナイフを正面から突き付けられた時、と言った場面を想定したテクニックを教えてもらう。薄手の防具をつけて、思い切りやってよいと言われて、遠慮なく力を入れる。肘打ち、ひざ蹴り、と暴れるが、舞には全く利いていない。最後に、一番有効な護身術として、大声で助けを求める練習をした。終わった時は、睡眠不足と空腹もあって、ふらふらだったわ。

 礼をして、畳の上に座り込んだ。

「お姉さま、頑張ったわね」

「ありがとう。フラフラよ」

「はい、ご褒美」

舞は、そう言って、特大おにぎり2個とお茶のペットボトルを差し出した。

「感謝、感激。遠慮なくいただくわ」

あたしは、夢中で食べた。お腹が膨らむと、今度は睡魔に襲われた。

「悪いけれど、ちょっとだけ、横にならせて」

道場で寝たりしてはいけないような気がするけれど、あたしはもう1分も起きていられなかった。そのまま、畳に寝転がって目を瞑った。


 疲れているはずなのに、夢を見た。渡と加古先生が手をつないでいる。二人とも嬉しそうな顔をしている。渡は、おもちゃを買ってもらった子供のように喜んでいる。加古先生は、その子供の喜びようを眩しそうに見ている。なんでも、二人は夫婦めおととなるそうだ。結婚式には是非とも来てくれと言われた。二人にふられたあたしは悲しいはずなのだけれど、夢の中のあたしは、不思議と悲しみを感じていない。それどころか、結婚式に着ていく服はどうしようかと考えている。


 目をさますと、畳の匂いがした。いつのまにかお腹にバスタオルがかけてある。隣では、舞が本を読んでいる。視線を本からあたしに移した。

「起きた?」

「うん。どのくらい寝ていたのかしら?」

「丁度、1時間ぐらい」

「なんだか、頭がすっきりしたわ。ここんとこ例の件でもやもやしていたから、いい気分転換になったわ」

「例の件って加古先生からのプロポーズ?」

「そう」

「それで、お姉さまはどうするの? 返事はするの?」

「とりあえず、加古先生への返事は保留して、今つき合っている彼には現状を説明する…… そうそれだけ。単純なことだわ。ややこしいことはゆっくり考えればいい。悩むのはその時でいいのに、何を深刻に考えていたのかしらねぇ、あたしは」

そうなのだ。焦る必要はない。


「ところで、舞ちゃん、護身術を教えてくれて助かったけれど、舞ちゃん、かなり強いんじゃない」

「まあまあかしら。師範代を務めることもあるし」

「だったら、優に送ってもらわなくても大丈夫じゃない?」

「そうなんだけれど…… 」

「優のそばに居たいのね」

舞は頷く。

「あれ? もしかして、中学の時にナイフを持った男に襲われた時も、優に助けてもらわなくても余裕だったんじゃない?」

「余裕って程じゃなかったけれど、実戦は経験したことなかったの。だから、あたしだけだったら、どうなっていたか分からないわ」

「ふーん。でも、舞がそれだけ強かったら、優がわざわざ空手を習うことなかったんじゃない?」

「そうかもしれない。あ、念のため、言っておくけれど、優ちゃんはあたしが柔術をやっていて強いってことは知らないから」

「え、優には言っていないの?」

「ウン、言っていない。これは、お姉さまとあたしの秘密だから、絶対に優ちゃんに言ったらだめよ」

優はだまされているってわけね。すこしだけ、彼がかわいそうになった。


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