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白手袋とひっつき虫(その4)

 本日も、キャンパスは、ギラギラ太陽の快晴なり。

 ある者はいそいそと前だけを見て歩き、ある者達は大声でふざけている。かと思うと両手にダンベルをもって走りすぎていく集団もいたわ。若者たちに共通する点は、だれもギラギラ太陽を気にしていない点。一方、あたしは真っ黒な日傘を差し、常に太陽光線の向きを陰で確認しながら歩いていた。それでも、今朝は、学生のころに愛用した革のポシェットを引っ張り出してきて少しだけ学生の気分を取り戻す。ポシェットの大きさと形は、飯盒はんごうに似ていて、たっぷり入れられるのがいい所。細い革ひもで首から前にぶら下げると、小物がすぐ取り出せて、ウェストバック代わりになる。さて、今日は、白手袋試作1号機、略して白手1(ハクシュワン)のテストだ。


 前回のシステム、1本指と急きょ追加した3本を合わせた4本は、原理を確かめるものだったわ。だから、優君が表現したような机いっぱいのシステムでも問題はなかった。だけど、実際に使えるような義手にするには、コンパクトにしなければならない。まさか、義手を使うために机を背負っているわけにもいかないしね。

 そんなわけで、初めて手に装着するテスト機(白手1)を作った。と言っても、機械指と測定系以外の電源や制御用PCは外付けでケーブルで繋がるので、全体の物量は前とほぼ同じ。作ったのは桃子。苦労したのは2点、電極と肌の接触方法が一つで、もう一つはセンサー。高校生だから、体育や何かで、手を洗ったりして義手を外す機会は多い。一方、電極と皮膚の十分な接触を確保するためには、テープとか電気を通すゲルを使いたいのだけれど、脱着頻度が多いとそれもかなわない。そこで、機械的な接触で頑張ることにする。弾力のあるゴムで電極を押し付ける方法とバネ付の電極を使う方法をためす。今回のもう一つの課題はセンサーだわ。指の感触と指の位置(曲がり具合)を直接伝えられように桃子が考えた方法は、てことクランクの利用。指が曲がるにつれて、幾つかの金属棒が動いて、最終的に手のひらの先の方に押しつけた金属棒がわずかに動く。これが指の位置のモニターとなる。装着者は、このわずかな動きで指がまがっているか、伸びているかを判断する。さらに凝っているのは、モータによる指の屈曲とは別に金属棒と連動してほんのわずかに指が動く点だわ。これは、いわば、第4の関節。こうして触覚を擬似的に再現できる。つまり、この第4関節の動きやすさが指が触れている物体が堅いかやわらかいかを伝えてくれる。


 少し日焼けした優君と舞ちゃんがやってきた。なんでも同級生たちとプールに行ったらしい。今日は桃子の出番だ。電極の接触の具合、擬似触覚を優君の感想を聞きながら調整していく。擬似触覚の方は原理的には問題はないようだわ。でも、本人の慣れや訓練も大きな要素だから、しばらく様子を見ることにする。問題となったのは電極の接触。綺麗な信号を取ろうとしてきつくすると、電極の型が皮膚に残り、短時間ならともかく、一時間以上は耐えられそうもないと優がうったえる。かと言って、ゆるくすると、雑音が大きなり、誤動作を誘発する。最終的に、うまくいきそうだったのは、紐で手のひらと電極を縛ってしまう方法だ。ようするに靴紐みたいなもの。あれやこれややっていたら、あっという間に遅くなったので、作業はお仕舞いにして、皆で夕飯を食べに行くことにした。

 

 途中から一緒に作業していた加古先生が

「駅前のベトナム料理屋に行きましょう。この間、水上さんと行ったところですよ」

と言うと、すかさず、桃子が茶々をいれる。

「あれ? 加古先生、意外に手が早いんですね」

「そりゃー、もう、ボクシングをやっていましたから。速いですよ、僕のストレートは」

手が早いって違う意味なんですけど。突っ込みを入れたくなるわ。

「あ、そう言えば、メールを1本出さなきゃ。悪いけれど、皆さんで先に行っててくれますか? 西口のすぐそばです。後から追いかけます」

そう言って、加古先生は慌てて出ていった。

「それじゃ、あたしたちは、先に出ましょう」

と、3人に声をかけた。支度をして、部屋の明かりを消して、校舎を出た。辺りは、すっかり闇に包まれ、もう秋の虫が鳴いていた。


 あれ? 久しぶりに神様の視線を感じる。と言うことは、何か悪いことが起きる? でも、好いことが起きたこともあったわ。うーん、何だろう? あ、あれ! 忘れ物。そう、あたしは、久しぶりに持ってきた飯盒型ポシェットを忘れてきた。多分、実験室ではなく、手洗いだと思う。

「ゴメン。忘れ物をしたみたい。先に行ってて。すぐ、追いかけるわ」

 忘れ物は手洗いにあった。すぐに追いかけようと思ったけれど、鏡をみて気が変わった。口紅と薄いアイシャドウを直す。どうしてって? そりゃ、加古先生がいるからよ。別に渡と二股をかけようってわけじゃないんだけれど…… 妙齢の男性に不快な思いをさせるのは失礼じゃない。そんなことを考えていたら、結構、時間がかかってしまった。でも、大丈夫。ちゃんと近道を知っているから。あたしは、暗い近道を急いだ。用水路が蓋をされて小路になっている。畑や、吹きさらしの作業場があったりして、都会とは思えないのんびりした景色のはずだけれど、暗闇のせいでなんだか気味が悪いわ。同じ路を歩く人はいない。黒猫が路を横切ったきりだ。

 ふいに、黒く鋭い視線を感じる。後方5m程。立ち止まって、ゆっくり振り返る。立体感のない黒い影が足音を立てずに、ゆっくり近づいてくる。黒い視線の意味することは明白。3mまで接近したところで、影は立ち止まり、不意に右手を差し出した。右手の先の何かは、わずかな明かりを時折反射する。ナイフだわ。あたしは、大声で助けを呼んだ。

「…………」

いや、口をパクパクさせたが、声となるはずの肺から押し出された空気は、声帯を震わせることなく、口からスースーと漏れていく。影が押し殺したような声で2ことだけ言った。

「声をあげるな。バッグを置いていけ」

あたしは、飯盒型ポシェットを首から外して、ストラップを右手に持ち替え、影に差し出す。突き出したその腕が、あたしの意思とは無関係に震えているのを、左脳が観察する。


 その時、影の向こうからタッタッタッと足音が聞こえ、もう一つの影が走ってきた。そして、影の向こう3mの所でピタッと立ち止まる。最初の影は振り返りナイフを向ける。

「水上さん? と誰? なんだか剣呑ですねぇ」

加古先生の声だった。張りつめていたあたしの神経(緊張)は30%ほど和らぐ。

「手に持っているのは、ナイフ? そんなもん『ないふ』り、で頑張っちゃいますよ」

50%緊張が高まった。加古先生はカバンをそっと置いて、さらに、暗闇で光る銀縁メガネをはずして、胸のポケットに入れる。あれ、加古先生、ド近眼じゃなかったけ? メガネ外したら、なんにも見えないんじゃないの? 影はナイフの刃先を上下にゆっくりゆらして、鋭い殺気を先生に向ける。先生は、握った両拳を胸の前で構えて、右足を少し引いて左拳を少し前に出し、ほんの少し猫背になったかと思うと、軽く、飛び跳ね始める。素人目にもわかるボクシングの構えだわ。加古先生かっこいい!

「私のリーチは平均より10cm長いんです」

リーチ? ああ、手の長さね。たしかに手長猿なみに長いわ。

「おたくのナイフの刀身は10cmないですよね。とすると、私のストレートは、おたくに届きますが、おたくのナイフは私には届きませんよ」

そう言って、空中に軽くパンチを突き出す。これって、ストレート? ジャブだったかしら? 

「これでも、私はアマ7戦連続ノックアウトの経験があるんですよ」

「…………」

先生は、空中にパンチを繰り出しながら呟いた。

「ストレート、フック、カウンター……、これがパンチの基本。あとは、フットワーク、そしてコンビネーション」

先生が多彩な技を連続して披露する。そうして1分程、先生と影はにらみ合っていた。あたしはの方は、腰が抜けて、座り込んでしまった。だんだんと影のナイフの刃先は不規則な軌道を描き、迷い始めた。先ほどまでの殺気はもうない。ふいに、影はこちらを向くと、脱兎のごとく、あたしの横をすり抜けて、走り去った。

「ふうー 逃げましたね。水上さん大丈夫?」

加古先生は、近づいて、眼鏡をかけて、あたしの顔を覗き込んだ。

「だ、大丈夫というかー 怪我もないし、何も取られなかったんだけど、腰が抜けたみたい。立てないわ」

差し出された先生の右手を握って立ち上がろうとした時、おかしなことが起きた。手を握った瞬間、先生はビクッと体を震わせたかと思うと、手を振り払った。そして、背後に回り込んで、なんと! あたしのお尻を両手で持ち上げ、立たせてくれた。


 西口で待っていた3人と合流し、料理屋に向かった。あたしたち2人の表情を見た桃子はすぐに何かがあったことを悟ったけれど、後で話すことにしたの。あたしたちは座敷に腰を下ろした。こわばった全身の筋肉が弛緩し、緊張が解けていくのが自分でもよくわかった。それは加古先生も同じだったらしい。『おしぼり、おしぼり』と言いながら、手に取ったや否や、手を入念に拭き始める。あたしの予想では、この後、メガネをはずして、顔をごしごしするはずなのだけれど…… その予想は外れた。どうやらそこまでオジサンではないらしい。

 料理を待ちながら、あたしは、先ほどの顛末を話した。時折、先生が頷く。話し終えた時、桃子が肘であたしを小突いた。どうやら、あたしは先生を、うっとりした表情で眺めていたらしい。優君、舞ちゃんも感心したらしく、尊敬のまなざしで先生を見ている。ふと、疑問に思ったことを口にした。

「そう言えば、加古先生、あの時どうして、メガネを外したの? 外したらよく見えないじゃない」

「そりゃー、メガネの上からパンチされたら、ガラスが割れて危ないじゃないか」

「えっ! 先生って強いんでしょ。相手のパンチなんか心配しなくていいんじゃないの?」

「強い?」

「だって、7回連続ノックアウトって、言っていたじゃない。あの脅しが結構利いたと思うんだけど? あれ、嘘だったんですか?」

「あーあれ、嘘じゃないけれど…… 解釈が違うんです。つまり、ノックアウトしたんじゃなくて、されたんです。アマチュアの試合で7戦連続でノックアウト負けしたことがあるんです。ジムのトレーナーからは大記録だって言われましたよ」

「つまり、『めちゃくちゃ』弱いってこと?」

「その『めちゃくちゃ』は、同意しかねますが、弱いのは確かです」

座の雰囲気が一気にさがり、皆の尊敬の念が50%減少した。でも、考えようによっては、弱いのがわかっていて、影とやり合おうとした勇気こそ誉めたたえるべきかもしれない。そう、思うと、なんだかジンとしてきて、テーブルの上の先生の左手にあたしは自然と右手を重ねた。

「ありがとう先生。あたしのために勇気を振り絞ってくれたのね」

そう言って、先生の目を覗き込んだ。ほんの一瞬、先生の視線はあたしの視線にロックされた。


 突然、先生はあたしの右手の下の左手を引っこ抜いたかと思うと、おしぼりで入念に左手を拭き始めた。え! なに? なんで? 左脳が記憶を検索し整理する。その1:腰の抜けたあたしが立ち上がろうとした時、先生は手を振り払った。その2:店につくなり、おしぼりで手を入念に拭いた。その3が今。また同じように手を拭いている。演繹される結論はただ一つ。あたしの手が不潔で、触りたくないのだわ。涙目で先生を見つめる。その視線に気づいた先生は、最初は、『?』を顔に浮かべていたが、ため息をついて、申し訳なさそうな表情で話しだした。

「水上さん、すいません。アレルギーなんですよ」

「アレルギー?」

「そう、女性アレルギー」

「女性アレルギー?」

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