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牛飼い少年(その3)

 五月に入って、風はさわやかに、日差しは強くなった。あたしは、あの日(キューピー課長にコケにされ、励まされた日)以来、時々、屋上で課長と一緒に昼を食べる。課長もあたしもそれぞれの指定席、つまりコンクリートブロックのあちら側とこちら側に、背中合わせに座って黙々と昼を食べる。課長はお弁当を食べ、あたしはサンドイッチをほおばる。

最初のうちは、課長がエースだったころの話をあれこれ聞いたのだが、そのうち、お互いに、しゃべらなくなった。元来、二人ともおしゃべりではないから。

 わが社のエースといっても、そんな役職があるわけじゃない。でも、なんとなく皆がエースと認める社員がいる。現在のエースは、あたしのいる総合課の課長補佐の十和田幸雄さん(通称ゆきさん)で、その前の代のエースがキューピー課長らしい。総合課自体は、わが社の中でも課員10人ほどの小さい課。わが社、つまり、黒川電子工房には、3つ部があって、その一つが産業機械部で、産業機械部の中に重機課と光機課と総合課がある。黒川電子工房は、最初は所帯10人ほどの会社だったらしいけど、だんだん人数が増えいったの。ヒット商品が出るたびに、新しい課や、部が分家のように増えたんだけど、本家にあたるのがあたしのいる総合課。総合課は、悪く言えば、なんでも屋なんだけど、本家ということで、社内でも一目置かれている。それに、なぜか、代々のエースは、総合課の人間か、総合課出身者で占められているわ。そんなわけで、総合課のエースと言えば本家の跡取り息子のようなもので、わが社のエースといってもいいぐらいよ。課長はあたしをエースになる人材と言ったけど、99%冗談。だって、エースのエースたるゆえんは、クライアントの意向をくみ取って、オリジナルな商品を作ることだから。視線恐怖症のあたしは、クライアントとまともに話し合うこともできない。

 時々、課長は、一服するあたしに

「碧ちゃん、タバコは体に悪いよ」

と諭す。あたしは、

「そうね、結婚するか、エースになったらやめるわ」

と切り返す。すると課長は

「ははは、そうか。じゃ~ 当分先だね」

と真面目に言う。つまり、あの課長の言葉は冗談だったということ。それでも、あたしは課長のために頑張りたいと思ってるわ。


 あたしが美の山製作所に一泊した翌日は、風邪をひいていたせいもあって、会社はお休みにした。もちろん、着替えもせずに会社に直行すれば、お泊りだったことがばれるわけで、それが嫌だったのも大きな理由。もう、あの牛飼い少年(ちゃんとあゆむという名前がある)にも会うことがないと安心してたんだけど、ゴールデンウィーク明けに、彼は会社までやってきた。


「こんちはー」

長靴は、はいていないし、タオルを首にかけていないし、意外にダンディだわ。課長補佐のゆきさんが

「あれ、美の山さんちの歩君じゃない。久しぶり、元気? 今日はどうしたの?」

と聞くと

「いや~、おふくろの顔を見た帰りです」

なんでも、体の弱い母親を時々見舞っているそうだ。ゆきさんが

「そうか、それはご苦労でしたね」

と言うと、歩君は

「折角、都会に来たんだし、別嬪の顔も見ていかないと損だし」

とわけのわからないことを言う。丁度、総合課では、懸案のプロジェクトが片付いて、皆で、お疲れさま会、つまり、打ち上げをやろうかと相談していた所だった。というわけで、課長と諏訪さんを除いた課員と歩君で飲みに行くことになった。あたしは、なんとなく、悪い予感がしたのだけど…… 一緒に行くことにした。


 居酒屋に着くと、歩君は当然のようにあたしの隣に座った。仲がいいらしいプーさんがさらにその隣。初顔合わせの桃子は興味深々で、彼のまん前に陣取る。

 乾杯の後は、先日のあたしの美の山行きの顛末が話題になる。なぜか、あたしが一泊したことを皆知っているらしい。なぜ? 誰がちくった? 歩か? 歩にするどい視線を向けると、プルプルと首を横にふる。あたしの視線の効果か、それとも、彼が紳士なのか、余計なことは言わない。そのうち、プーさんと歩は、プーさんのペットのワニの話で盛り上がりだした。ゴーストさとる君も寄ってきて、彼の熱帯魚グッピーの自慢をしている。あたしの危機は去ったわね。安心して、ビール、サワー、焼酎と杯を重ねた。

 いつの間にか、牛の話になって、さらに獣医になったいきさつを彼が語りはじめた。

「ホントは、産婦人科医になりたかったんです」

やっぱり、この少年は変態だ。遠くをみながら少年は言う。

「おふくろが俺を生んだ時に、ひどく出血したらしい。一命は取り留めたんだけど、1年ぐらい寝たきりになった。だんだんと回復したんですけど、今でも体が弱くあまり無理はきかない。それで、りっぱな産婦人科医になって、皆が、おふくろや親父のように苦労しなくていいようにと思ったんです。それに、出産に立ち会うのは、神様になったようなものだし」

 ふと気がつくと、桃子はうっとりするような眼で歩君を見ている。もしかして、『歩に惚れたの?』 目線で尋ねると、桃子はとぼけた。あたしが歩に突っ込みをいれる。

「で、産婦人科医になるはずが、どうして獣医なの?」

「あはは、どうしてかな? 牛や家畜の相手も面白いよ。そういうみどりちゃんもみどりの出産に感動してたじゃないか」

「ややこしいこと言わないでよ。牛の『みどり』の出産に、水上碧みなかみみどりが感動したって、言ってよ!」

「みどりはみどりじゃないか」

 歩は、話題を変えた。

「あ、そうだ、忘れないうちに渡しとくよ」

と言って、鞄から紙袋を取り出して、あたしにくれた。紙袋の中には上等そうな小箱が入っている。歩は、あわてて

「今、開けなくていいよ。あとでいいよ。後で」

と言う。桃子が目線で『何もらったのよ。もしかしてプレゼント?』と詰問する。仕方ない、小箱をテーブルの上に取り出す。歩が『あ~あ』という顔をする。コーヒー色の小箱には何やら横文字がかいてある。透明ラップされているので、高価なものではない。チョコレート? 小箱を裏返すと、品名は……  桃子が顔を寄せてきた。

「コンドーム」

と桃子がつぶやく。歩が言いわけをする。

「忘れ物を返そうと思って」

あたしが、

「これは、あたしのものじゃないわ!」

と言うと、歩は

「確かに最初に買ったのは俺だけど。みどりが後で使うって言ったじゃないか」

(いつのまにかあたしを呼び捨てにしている。)

「言っていない!」

「言った!」

「言っていないったら言っていない!」

「絶対に言った!」

「絶対に言っていな……」

あれ? もしかしら、あたし

「……言ったかも」

 その後、桃子による歩の尋問が始まった。

「あなたは、なぜコンドームを買ったのですか?」

「いや、それは…… コンビニに寄ったついでに……」

「あなたは、なぜコンビニに寄ったのですか?」

「いや、それは…… パンティを買うためで……」

「あなたは、なんの目的でパンティを買ったのですか?」

「いや、それは…… 碧さんにはかせるために……」

「あなたが、碧さんにはかせたのですか?」

「はい」

「あなたは、その前後にこのコンドームを使いましたか?」

「いいえ」

「ほんとうに使いませんでしたか?」

「はい、誓って、使っておりません」

「証拠はありますか?」

「まだ、封をきっていません」

「なるほど。これは、確かな証拠ですね。それでは、以上で、証人尋問を終わります」

と、最後には、桃子はおかしそうに締めくくった。

 あたしは、コンドームを彼の方に押しやって

「返すわよ」

と言うと、歩は、

「あーそうか、今度うちに来た時に、星空の下でやろうと約束したっけ。じゃ~俺が預かっとくわ」

「そんな約束してないわ!」

「約束していなかったけ?」

「してない!」

「それなら、お前がもっとけよ。後で使うって言っただろ」

あたしは、ぐうの音もでなかった。結局、ほとんどすべてが白日のもとにさらされた。あたしが覚えていなことまで。あの時、ブラとショーツを外して、床に脱ぎ散らしたのはあたしらしい。スーツと下着を畳んで、新しいショーツをはかせたのは歩。あたしは結構いい加減な女だ。歩は意外に紳士で、意外にいい男だ。でも、コンドーム買うなんて冗談きついわ。やっぱりアイツは変態だ。

 しこたま飲んで、おまけにお土産も貰って、あたしは上機嫌で帰宅した。そのお土産は本棚にかざってある。

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