白手袋とひっつき虫(その1)
月曜日、午後からD大学に行く。そう、ここの所、毎週月曜日、水曜日はD大学の研究室に行って仕事をしているの。今日は、白手袋試作2号機、略して白手2(ハクシュツー)の初試験日だ。この2カ月の努力が報われるかどうか? あの子たちが喜んでくれるといいんだけれど……
2か月ほど前、丁度、学校が夏休みに入ってすぐのころ、あたしと桃子は会社の応接室に呼ばれた。そこには、キューピー課長と背の高い男性と小柄な高校生の男の子がいた。男性の方は40前後で、フレームの細い銀縁眼鏡をかけており、少し知的な感じがする。結婚指輪はしてない。きちんと制服を着た高校生の方は長めのさらさら髪の色白の子。制服を着ていなかったら、かわいらしい女の子と間違われるのは確実。緊張のせいか口を真一文字に結んでじっとあたしの眼を見つめているけれど、右手はポケットに入れたままで、なんだか態度がでかいわ。課長が紹介する。
「こちら、うちの課のSEの水上とデザイナーの熱海です。そしてこちらは、D大学准教授の加古先生と今回のエンドユーザーの花巻優君です」
先生が名刺を出しながら、早速、口を開く。
「霧島先輩、先生はやめてくださいよ。いつも通り加古君でいいですよ。水上さん、熱海さんよろしくお願いでいします」
ノリのよさそうな先生である。課長を先輩と呼ぶところからすると、大学の後輩かしら。それにしても、高校生がユーザー? 桃子もあたしもよく事情が分からないけれど挨拶をする。だって、わが社の仕事と高校生がどう関係するのか皆目不明。
皆が座ったのを確かめて課長が口を開く。
「さて、ごちゃごちゃ説明するよりも、見てもらった方が早いでしょう。優君、右手を見せてくれるかい?」
少年は無言でうなずくと、ポケットに入れていた右手を机の上に出した。白い手袋、多分木綿の手袋をはめている。はて? 手とあたしの仕事とどう関係するのか? 少年はあたしの眼をみている。さっきもあたしを見ていたけれど、どうして、桃子じゃなくて、あたしの方ばっかり見るかしら? しかも、その眼はあたしを試す眼、あたしに挑戦する眼だわ。
少年はゆっくり手袋をはずす。左手で右手の4本の指をつかんで、手袋を脱ぐとよりは手袋を引っこ抜くといった方が正しい。
そこにはふくよかな色白の右手があった。ただし、指がないの。正確に言うと、4本の指とそのつけ根あたりがない。親指と親指の半分ほどまでの手があるのだけれど、その先がない。初めて見る不思議なものに言葉が出なかった。少年の顔をみると、視線をそらして唇を噛んでいる。課長が事務的に説明する。
「我々が請け負った仕事は、優君の手を作ること。要素技術は加古先生の研究室にあるけれど、それは、あくまでも基礎研究のレベル。実際に使える義手を作ってほしい。ユーザーの『意思のままに』動く義手だ」
それって、まだ基礎研究の段階だと思うんですけれど……
加古先生の調子のいい演説が始まった。
「霧島先輩の言うように、研究室でやっているのは、どちらかというと基礎研究でして。今の技術でできる最上のものを作ること、実用的なものを作るのは得意じゃない。ましてや個々のユーザーに対してカスタマイズするのは、不得手でして…… 」
なんだか、やりたくないような仕事をこちらに押しつけているようにも聞こえるわ。でも、誉めてもくれた。
「実は、水上さんのことは、前から存じ上げているのですよ。確か、新潟での学会だったと思うのですけれど、素晴らしい発表をされたように記憶しています」
え! 学会? 新潟? それって、あたしが大学院にいた時のこと? 確かに、あの頃は、神経活動を検知して機械を動かす研究をしていたけれど…… あの頃のいやな思い出、忘れてしまいたい思い出がよみがえる。そう言えば、新潟の学会でボコボコにされたこともあったわ、って言うか、その時の相手がこのノリの軽い先生だ!
「水上さんの才能で、うちの研究室の要素技術を統合すれば、それは、それは素晴らしいものができあがるのは確実です。というわけで、早速、週明けの来週から、うちの研究室に来ていただいて活動していただきたいのですが」
ええ! あたしが行くの? なんで、そんなに話の展開が早いの?
「ちょ、ちょとお待ちください。急にそんなこと言われましても…… 」
とあたしは、抗弁を試みようとした。だって、まったく経緯が分からないじゃない。少年が義手を必要としているのはいいとして、少年と先生の関係も分からないし、そもそも、なんでうち(黒川)がその仕事を受けないといけないのか不明。うちは、個人相手の仕事はしないし。先生の研究室でやれば済むことじゃない。そう抗弁しようとしたの。そうしたら、それまで、黙っていた少年がこう言った。
「水上さん! この手を触ってみてくれます?」
「え! いいの? それじゃ、お言葉に甘えて」
両手で彼の手を包み込む。そうして本来の手があるべき断面をそうっとなでてみる。滑らかな肌は、若者特有のもちもちしたもので、特に大きな傷があるわけではない。眼を近づけてみると、うっすらと傷跡があるようね。ということは、先天的なものではなく、後天的なもの? 目線で少年に尋ねると、彼はコクリと頷いた。だんだん大胆になったあたしは、彼の手を揉みほぐすようにして、皮膚の中を探る。そうすると骨があるのが分かる。4本の指に対応した4つの骨がある。じいっと見ていると、そこから4本の白い骨が皮膚を突き破って伸びてきた。遅れて、皮膚の方が伸びて白い骨を覆って、ほっそりとした指が出来上がる。今度は、指が次第に太くなっていく。きっと肉、筋肉がついてきたのね。少年には似合わないほど太くなる。そして最後に爪が根元からずずずっとのびる。正常な位置まで爪先が伸びて、ピタッと成長がとまる。少年は、眼を大きく見開き驚いている。ということは、あたしと同じ妄想を見ている、つまり、妄想幻術にかかったということかしら。少年が視線を向けてきたので、あたしはにっこりほほ笑んだ。そして、彼は今までとは真逆の柔らかな笑みを見せてくれた。決意は固まった。
「やらせてください。この水上にやらせてください」
「よし決まった。来週から碧ちゃんは週2日、先生の研究室にこもってやってくれ。それから桃子は、ハードのバックアップをしてくれ。メカも大事だからな」
二人が帰った後、課長は経緯を説明してくれた。元々は、ある個人が加古先生の研究室に持ち込んだ話しで、受託研究と言う形でスタートした。所が、基礎研究レベルと実用レベルには結構ギャップがあって、課長に泣きついてきたということらしい。ソフトが一番問題だったのだけれど、ハードも苦戦していて、そこで、あたしたちに声がかかった。会社の方には直接お金が入るから、そっちの方は心配しなくてもいいらしい。
課長がわざと説明しなかった点をあたしは尋ねた。
「それにしても、それだけの資金を、よく個人が用意できたわねぇ。もしかしてあの子の親?」
「いや、違う。その個人スポンサーのことと、それとそもそもの発端である事故については、そのうちわかるだろうから、私からは説明しない」
そう言って、課長は話を切り上げた。どういう契約形態なのか不明だけれど、お金について心配しなくていいのなら、余計なことで頭を使わない分楽だわ。
桃子と二人で行った緑豊かなキャンパスは、若者であふれていた。彼らのかわす言葉は、若者というよりも子供に近いわ。あたしは、その雰囲気を懐かしがりながら、キャンパス隅の古い建物に入った。研究室では、加古先生自ら今回のプロジェクトを丁寧に説明してくれた。製作する義手は、筋電制御義手の一種であり、筋肉の活動にともなう電位の変化を検出し、それに応じて義手を動作させるというもの。大きく分けて3つの部分から構成される。電位を検出し、そこから目的とする動作命令を抽出する検出識別部。動作命令をもとに、実際に指を動かすハード。そして動作の詳細をコントロールする制御部。筋電義手自体は市販品もあるぐらいだけれど、大抵は手首から先の手全体の義手。ところが、今回は動かすのは指だけで、その分コンパクトに作らなければならない。しかも子供だから、見た目と使い勝手は妥協できない。これまでの開発経緯と問題点を要領よく、しかも楽しそうに説明する。大学の先生とは思えないほど威圧感がない。ちなみに独身だそうだ(早速、桃子が聞いたのよ。)
加古先生はさらに研究室の案内をしてくれた。どこにでもありそうな雑然とした実験室、沢山の義手のパーツ。関係しそうなパーツを先生が説明し、桃子が質問を浴びせかける。それに先生はすらすらと答えていく。膨大な知識が桃子の頭にサクサク吸い込まれていくのをあたしは唖然として見ていた。
研究室の院生は5人で、留学中の博士課程の学生1名を除けば、皆、修士課程。課長に泣きついた一番の理由は博士課程の学生がいないことじゃないかしら。今回のプロジェクトは修士課程の学生には無理ね。博士課程の学生ならいいものを作れると思うけれど、期限を守るという点では社会人にはかなわないでしょう。自分自身が学生だった時のことを考えれば当然ね。
あたしは院生部屋に机を一つもらって、全員に挨拶をする。皆に溶け込んで、のんびりした学生生活を楽しみたいものだけれど、今回はそこまでの時間的余裕はなさそう。
プロジェクトの第一ステップは筋電信号のデータから埋もれている動作命令のパターンを抽出すること。そのためには、本人(花巻優君)に来てもらってデータを採る必要があり、メールで都合を問い合わせる。筋電信号の取得はやったことがないので、誰かに手伝ってほしいと先生に相談すると、先生自らが手伝うと申し出で、あたしはただただ恐縮してしまった。
研究室にやって来たのは、例の少年、花巻優だけではなかった。もう一人、髪の長いぽっちゃりした少女もついてきた。