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橋を架ける女と橋を壊す女(その6)

 入来美帆と別れたあたしたちは、現場近くの裏山を登り始めた。天気は快晴、風がさわやかで気持ちいい。渡を先頭にかなり急勾配の林の中をゆっくり登っていく。登り方にも色々ある。短距離走を何度も繰り返し、休みも何度もとるタイプ。休みの回数と時間を最低限にして、ゆっくり登るマラソンタイプ。渡は、後者のタイプ。もしかしたらあたしに合わせているかしら。頂上に近づくと、林は低木群に変わり、じりじりとした日差しで汗がでる。背中の荷物の重みが気になる。弁当とペットボトルは渡に持ってもらったのだけれど、アフターハイキングを考えて、余計な荷物を持ってきたの。弁当をつくるよりも、作戦を考えて、荷物を考える方がよほど大変だったわ。だって、リュック1個に入る荷物で作戦Aから作戦Cまで対応できなくっちゃならないんだもの。


 頂上は、聞いていた通りの素晴らしい展望だった。こちら側には建設中の橋が見え、反対側には山々が見える。ビニールシートを敷いて、橋を見ながら弁当を食べる。

「現代の橋鬼伝説ね。千年たったらどうなるのかしら? ねぇ、ガイドさん」

コホン、と咳払いをして渡が説明し始めた。

「えー、皆様、このジャングルの中に埋もれている遺跡は、千年前の日本を象徴する鉄筋コンクリート製の自動車専用の橋であります。昨日ご覧いただいた砂漠の中のアンコールワットはブロック状の石、砂岩で作られていましたが、千年前は鉄筋コンクリートが主要な建材でした」

「ねぇ―、どうしてアンコールワットが砂漠で、ここがジャングルなの?」

「温暖化の影響に決まっているやないか。もっとも砂漠は、人の影響が大きいんや。ピラミッドのある砂漠かて、昔は緑豊かな穀倉地帯やったんやで」

「ふーん、そうなの」

「お客さん、説明の続きをさせてもろうてよろしいですか?」

「あ、ごめん。続けて」

「千年前の日本は、物欲と物流の時代でした。今では、考えられないでしょうが、この本が欲しいと思ったら、次の日には手に入るような時代でした。そういった物欲を満たすために、物流に多大な投資をしておりました。その主役は地上を走る車であり、車が走るための道路が網の目のように整備されていました。それも液体燃料や電気ではしる車です。また、当時の日本では毎年1万人程度が車の事故で亡くなっていたといいますので驚きです。今では、道路の跡は、野生の象のけもの道になっております。時々崩落することがありますので、皆様は決して近づかないようご注意願います。この橋の特徴は断面が箱型になっているところで、これから撮影ポイントをご案内します」

「まるで、今が酷い時代みたいな言い方ね」

「そりゃそうやで、昔は不潔だったとか、身分社会やったとか、男女差別があったとか、いつの時代になっても、今が昔よりいいと信じてるんや」

「あら、男女差別なら今でもあるじゃない」

「そうやった。現代は、男が女の尻に敷かれる時代やった」

はあ? 男女差別って別の意味なんですけど…… まあいいわ。

「じゃ、渡はあたしの尻に敷かれたくないの?」

「45キロまでなら大丈夫やで」

「定格荷重が45キロだとすると、あたしは2キロ減量しないといけないわね。それとも…… 片手で2キロ分支えればいいのだから……」

ダメダメ、余計なことは考えない。今は目の前の作戦Aに集中せねば。


「ハイ、これ」

弁当を食べ終わった渡にはっか飴を渡した。あたしも1個を口に入れた。

「これは?」

「糖分補給よ」

本当は匂い消し何だけれど。渡は、飴をバリバリ食べる。

「……」

舐めてほしかったんだけれど。

「ハイ、もう一つ」

2個目もバリバリ食べる。仕方ない、作戦Aは少しだけ変更するわ。渡はねっころがって空を見上げる。

「あ、鰯雲いわしぐもが見えるで、千年たってもこの空は同じやろうか?」

「さあ、どうかしら? でも、鰯雲はすぐには逃げないわ。だからあたしが飴を食べるのを手伝って」

「手伝うって、どういう意味や?」

「こういう意味よ」

そう言って、ねっころがっている渡の顔にあたしの顔を近づけて、口移しに舐めかけのはっか飴を移す。ついでにディープ……

「ん、ん…… 」

渡が何か言いたそうにしている。あたしは顔をあげる。

「どうしたの?」

「飴と舌の両方いっぺんに舐めるのは堪忍してくれ。喉に飴が詰まったら大変やないか。ちょっと待ってて」

そう言って、渡は3個目をバリバリ食べて、彼の方から先ほどの続きをした。この時ばかりは、バリバリ飴を食べるもの悪くないと思った。だって、1分も2分もかけて丁寧に飴をなめていたら興ざめじゃない。作戦A完遂。AはアメのAよ。


 頂上から降りる時は、登ってきた橋側ではなく、反対側の路を下る。そこからバスに乗る。駅に着いた時は丁度いい時間だったわ。この駅からだと、あたしが帰る途中に渡の最寄り駅がある。作戦Bを開始するタイミングだ。Bには2つの意味がある。一つはBeerのB。もう一つは『別の女』のB。もし、渡とBの間に橋がまだかかっていたら…… これは、完全につぶしておかないといけない。そのためには、是が非でも渡のアパートに行く必要がある。


 学生のころ、ロボット研究会というサークルに入っていた。そこには、男も女もいたけれど、女は近所の他大学、大抵は女子大の子が多かった。ある時、同期の飲み会の後で、ある子のアパートに皆で行ったの。どういう経緯だったのかは忘れたけれど、女の子が自分のアパートに皆を招くなんて、と不審に思ったのは覚えている。アパートには、どこかで見たようなジャケットと男物のズボンがハンガーにかけられていた。彼女はこう言った『あ、これはF君のものよ。時々忘れていくのよねぇ』。見え透いた嘘だ。だってジャケットなら分かるけれど、ズボンを忘れていくことってあり得ないじゃない。F君は、その場にはいなかった同期の男だ。つまり、F君とは、ズボンを脱ぐぐらいの間柄であることを彼女は言いたかったらしい。あたしには、彼女の意図が理解できなかった。でも、大学卒業と同時に二人が結婚して、やっとわかったの。彼女は、他の女を牽制するために、ズボンを見せたのよ。そうすることで、他の子は、F君に手を出す気がなくなる。全く、女は恐ろしいわ。


 作戦Bは、渡のアパートに行って、『別の女』の痕跡がないか確かめること。そして、あたしがアパートに居たという痕跡を残すこと。なにもズボンを忘れていく必要はない。キッチンを綺麗に掃除するだけでもいいのよ。この作戦の要は、渡のアパートに行けるかどうか。しかも、Bの痕跡を消されては意味がないので、不意打ちでなければならない。あたしは慎重に言葉を選んだの。


「お腹がすいたわ。それに喉も渇いたわ」

「お、碧もそうか。俺もさっきから、どこぞでビールを飲もうか、考えとったんや」

「そうね、汗もかいたし。ここいらで、ビールをクーっといきたいわね」

自分の言葉で、よだれが出てきたわ。

「待ちきれんのやったら車内、電車の中で飲んでもええやけど」

「でも、他のお客さんの手前、派手に飲むわけにはいかないわ。やっぱり、電車の中は、ビールじゃなくて、日本酒かチューハイをちびりちびり飲むのがおつじゃない?」

「もしかして、碧はオヤジギャル?」

「おやじギャンブル?」

「いや、知らんかったらええよ。気にせんといて」

「あたしが使っている通勤電車は結構遠くまで行くの。だから、たまにボックス席でちびりちびりやっているオジサンがいるのよ。周りのサラリーマンに遠慮しながら静かに飲んでいるの。それをみると、なんだか幸せな気がするの」

「碧が幸せ? それともそのオジサンが?」

「もちろん、オジサンよ。ささやかな幸せをかみしめているようで、こっちがホッとするのよ。その路線には特急も走っているの。特急なら、1時間で行けるところが、通勤電車だったら2時間はかかるわ。特急料金を払って、一刻も早く帰って、怖い奥さんに顔を見せなきゃいけない男と、特急料金分のお金でお酒とスルメを買ってのんびり帰れる男とどっちが幸せ?」

「でも、のんびり帰った先が誰もいない寒々としたアパートかもしれんで」

「そうかもしれない。でも、少なくとも、飲んでいる間は幸せよ」

「まあ、他人の幸せを喜べるところが、碧のええところやな」

「ありがとう。でも、いつもそういうわけじゃないわ」

そう、これから実行する作戦Bは悪女でないとできないわ。『別の女』の幸せを破壊するのだから。いればの話だけど。

「それじゃ、K駅、確か、渡の家の最寄りの駅。あそこで降りて飲まない?」

「うん、それはええなぁ。餃子のうまいラーメン屋があるから、夕飯も食おうや」

「いいわ。でも最初にビールで乾杯よ」

作戦Bの第一ステージクリア。


 駅そばの雑居ビルの1階にラーメン屋はあった。最初にジョッキで乾杯。それからラーメン、餃子をいただく。餃子もおいしかったけれど、こってりしたスープのラーメンはよかった。疲れた体に栄養が行きわたり、体力がみるみる回復するのが感じられる。体力は大事、特に作戦Cには。

「ごちそうさま。おいしかったわ」

「そうか、それは良かったで」

「でも、なんか飲み足りない気がするわ」

「へ?」

「渡は、外ではあんまり飲まないみたいだけど、家でも飲まないの?」

「そんなことあらへんで。暑い夏やったらビール。寒い冬やったら、焼酎とか。まぁ、ビールと蒸留酒が好きやったら、世界のどこ行っても困らんで」

「ビールって、国によって違うの?」

「ああ、違うで。日本のビールとは大分違うビールもあるで。そういや、家に同僚からもらったタイのビールとベルギーのビールがあったなぁ」

「あ、それ、飲んでみたい」

「しもた! 言わんかったらよかったわ」

「どうして?」

「そりゃ、碧にビール飲まれたら…… 」

「渡の飲む分が減るっていうの?」

「それもそうやけど…… なんか…… えらいもったいない気がする。碧がビール飲んでんの見ると、象が鼻から水を吹いて水浴びしてるところを想像してしまうんや」

「な、なんであたしが象なの? し、失礼ね。怒るわよ!」

「あ、堪忍、堪忍。半分飲んでええから、許して」

「飲ませてくれるのなら、許すわ」

「それはそうと、家にあるビールを飲むっちゅうことは、家に来るっちゅうこと?」

「当然よ」

「当然かー まぁ、ええか。ほんなら今から行こうか。歩いて10分ぐらいや」

作戦Bの第二ステージクリア。


 途中でコンビニによって、つまみとお酒を渡がおどろくぐらい沢山仕入れた。この時は、備えあれば憂いなしと思ったのよ。

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