橋を架ける女と橋を壊す女(その4)
あたしは、諏訪さんの電話をまねた。現場事務所の電話のそばには彼女はいないということで、あたしの名前と電話番号を伝えて折り返し電話してもらうことにした。
「もう少しで捕まえられるわ」
待つこと5分。呼び出し音がなって0.2秒で受話器を取って耳を澄ます。
「もしもし、K社の入来と申します。水上さんをお願いしたいのですけれど」
やっと捕まえたわ。
「はい、私が水上です」
「もしかして、お昼に駅でお会いした方でしょうか?」
なんだか、先方の電話が騒音で聞きづらい。向こうは大声でしゃべっている。
「ええ、そうです。あの時は失礼しました」
こちらもつられて大声でしゃべる。
「どういったご用件でしょうか?」
明らかにこちらを不審に思っている口調だわ。そりゃそうよね。ほんの一瞬会っただけの人が、電話番号調べて連絡してきたんだもの。ストーカーと思われても仕方ないわ。
「実は、床に資料が落ちた時に、USBメモリー、緑色のUSBメモリーが、すり替わったようなのです」
「??」
「あたしの手元によく似た緑色のUSBメモリーがあって、てっきり自分のメモリーだと思っていたんですけれど、開いてみたら、八王子工区のフォルダーがあって、あたしのではないとわかったんです。つまり、入来さんのメモリーを私が持っていて、私のメモリーを入来さんが持っているのではないかと……」
「えーそうなの!」
と耳が痛くなるぐらいのとんでもない大声。
「ということは…… 分かったわ。私が水上さんのメモリーを持っているかどうか確かめるのね。ちょっと待っていて、 そうね5分、いや7分ぐらいかな。リフトに乗ったダンプが上がりきるのを見届けてからパソコンとメモリーを取ってくるから」
そう言って、電話を一方的に切った。ダンプがリフトに乗るの? リフトをダンプに載せる方がまだ想像できるわ。
待つこと10分。呼び出し音がなって0.5秒で受話器を取って話した。
「はい、水上です」
「あったわ。確かによく似ているけれど、私のではないメモリーがあったわ。中を見て確かめてもいい?」
「ええ、お願いします」
「えーと、PCはスリープだから、直ぐに立ち上がって…… パスワードは『けんじ』で…… 」
パスワードを声に出すなんて、しかもボーイフレンドの名前? もしかしてあたしと同じくらい間抜けかしら。
「 ……あたしの好きなベイブリッジの背景が出て…… わけの分かんないツールが立ち上がるのよねー 何とかならないかしら…… 」
こっちは、ドキドキ、イライラしてきたのに、悠長なこと言わないで。
「緑色のUSBを差し込んで…… あたしのメモリーは『緑べぇ』って名前をつけているんだけれど、この子の名前はどうしようかしら…… 」
あーやめて、あたしの緑ちゃんにへんな名前つけないで。
「あ、なんか出てきたわ。一番上にあるフォルダーは『水族館』?、他は会社の名前かしら?」
あたしは思わず叫んだ。
「そう、それよ! あたしのUSBだわ!」
涙が出そうになった。
結局、あたしが現場事務所の最寄り駅まで行って、そこで、メモリーを交換することにした。
田舎ではないけれど郊外と呼ぶのははばかれるような駅の改札を出たところで、彼女に会った。メモリーを交換し、会社に電話を入れる。安堵したあたしは、自重でベンチに座り込んだ。彼女の方はケロッとしている。それもそうね。気がついた時は、もう『緑べぇ』の所在は分かっていたのだから。化粧の乱れたあたしを見て彼女は言った。
「お疲れのようね。お茶でも飲んでいく? これも何かの縁だし」
しゃれた喫茶店に入って、名刺を交換した。『入来美帆』、それが彼女の名前だった。高速道路の橋の建設に関わっていて、1年前から現場事務所に勤めている。今日は、リフトの耐荷重の見直しのための資料を本社で受け取った。事務所に戻る途中で、あたしとぶつかったらしい。リフト? 彼女に疑問をぶつけてみる。
「ねぇ、確か電話で、リフトをダンプの載せるとか言っていなかった?」
「??」
「リフトってスキー場にあるようなヤツ? 4人がけのベンチみたいな」
「あはは。確かにあれもリフトね。うちには特大のリフトがあるのよ。人間ではなく、ダンプを載せるリフトがあるのよ」
「ダンプに載せるのじゃなくて、ダンプが載るの?」
「エレベーターみたいなものよ」
「ますます、想像できないわ」
「それじゃ、見てみる?」
「え、見れるの?」
「もちろん。いつでもいいわ。今でも…… あっ、でも、もう暗くなってきたから、今日はやめておいた方がいいわね」
「ねぇ、現場って山の中?」
「そうよ、山間の谷よ。自然が豊かな所。なるべく景観を損なわないように作っているのよ」
「ハイキングとかできる?」
「うーん。あたしはしたことないけれど、裏山には、手頃なコースがあって、頂上は結構いい眺めらしいわ」
「あのー、明日は? 本当は明日は、ボーイフレンドと映画をみてお弁当をだべることになっていたの。でもハイキングの方がお弁当を美味しく食べられるわ」
「明日? 午前中なら、午前中なら非番じゃなけれど現場の案内ができるわ。なんなら、この駅まで迎えに来るわよ」
「そう。じゃお願いするわ」
「それにしても、ボーイフレンドとお弁当なんて、羨ましいわね。あー だれかあたしにお弁当作ってくれるボーイフレンドを紹介してくれないかしら?」
「??」
恐る恐る渡に予定変更の電話を入れたら、あっさりOKしてくれた。あたしは、張り切って弁当を作ったわ。入来さんの分も。
昨日と同じ改札の前で二人を紹介した。
「こちら、ボーイフレンドの八丈渡。こちら昨日知り合った入来美帆さん」
「いもっとさん?」
と渡が変なことを言う。
「イモさんじゃなくて、いりきさんよ」
「いや、そうやなくて、妹さん?」
「はあ? なんで、昨日知り合った人が妹なの?」
「妹やないんかぁー それにしてもよー似てるわ」
「誰と似ているの?」
「決まっているやないか。お前ら…… 美帆さんと碧が」
「美帆さんとあたしが?」
あたしたちは顔を見合わせた。
「えー!」
とユニゾンで反応。もう一度、顔を見合わせて、あたしは言った。
「そう言われれば…… ちょっと待って。そのままの顔で待っていて」
「そのままの顔って、どういうこと?」
あたしは、手鏡を取り出して、美帆さんと鏡に映ったあたしの顔を比べた。
「に、似ている! えーそうだったの!」
「ねぇ、あたしにも見せて! 鏡をかして!」
「あ、ごめん。ハイ」
鏡を彼女に渡す。今度は、あたしがそのままの顔で待つ。
「ホント…… 気がつかなかったわ」
呆れた渡が口をはさむ。
「お前ら、今まで気がつへんかったんか? 鈍感ちゅうか、抜けているっちゅうか…… 」
彼女が提案をする。
「ねぇ。あそこのトイレに、大きな鏡があるわ。そこで見てみない?」
「面白そうね。渡も来る?」
「俺は、遠慮しとくわ。女子トイレやし」
「そ、それもそうね。じゃーちょっと待ってて」
あたしたちは、大きな鏡の前に並んだ。彼女はポニーテール、あたしは、メガネをかけている。どうせならと、ガーゼハンカチをシュシュ代わりにしてあたしもポニーテールにする。ついでにメガネをはずした。そうするとよく見えないので、顔を鏡に近付けてもらった。目元が似ている。鼻の形とあごのライン、薄い唇も似ている。でもあたしより若いわ。昔のあたしはこんな顔だったかもしれないし、妹と言っても全然おかしくない。どおりで、『どこかで見たような顔』だったわけだわ。そういえば、さとる君がネットで入来さんを検索した時にあたしの若い時の写真があるといっていたけれど、彼女の写真だったに違いないわ。
「ほんとに似ているわねぇ」
「ねぇ、こんな風にちょっと口をとがらせて、怒ったような拗ねたような顔をしてみて」
とあたしは、表情を作ってみせる。彼女はそれを正確にまねる。
「あはは、似ている! 似ている!」
「ちょっとずるいわよ。笑ってちゃ比較にならないじゃない」
そう言って彼女は、怒ったような拗ねたような表情を作る。あたしも笑いたいのをこらえてまねをする。
「くっくっくっ、 あははは、似てる! 似てる!」
今度は彼女がこらえられなくなって笑いだす。その笑っている顔が似ているの。まるであたしが笑っているみたい。
「あははは、わ、笑った顔も似てる! あははは、 ど、どうしようもないわね。あははは…… 」
あたしたちは涙を流しながら腹を抱えて笑った。
「笑いすぎて、お腹が痛いわー 」
そう言いながらあたしたちはトイレから出た。
「外からでも笑うてるのが聞こえたで。お前ら、ホンマにどうしょーもないなぁ」
「どうしようもないわよねぇー 」
そう言って、あたしたちは顔を見合わせてまた笑った。
美帆さんの運転する車で現場に向かう。車中で、遠い親戚ではなさそうなことを確認して、話題は別に移る。渡と美帆さんが話しているのをうわのそらで聞きながら、親戚ではなく、別の可能性を考えていた。異母姉妹、異父姉妹、パパ、ママの様子から考えて、どちらも可能性は低い。でも、もし、パパとママがしめし合わせて、異母姉妹、異父姉妹の存在を隠していたら、あたしにはわからなくて当然。究極の可能性は、双子だわ。なんかの理由で双子が別の家庭で育つことは、あり得なくはない。例えば、彼女が、養子だったら…… 逆にあたしが養子かもしれないわ。そう言えば、お弟はパパ似だけれど、あたしは、パパともママとも似ていない。あたしが双子の片割れで養子? そんなことってあり得るかしら? 彼女の方が若いと思ったけれど、もし歳が同じだったら。でもどうやって確かめればいいのかしら…… 簡単だわ、生年月日を確かめればいいのよ。それが同じだったら双子の可能性はずいぶん高いわ。聞いてみようかしら? でも、もし生年月日が同じだったら…… もし本当に双子だったら…… あたしの人生の重要部分が崩れていくような気がするわ…… やっぱり、聞くのはやめておこうかしら? 彼女が伝説を話し始めた時、あたしはそんなことを考えていた。
「このあたり一帯には『橋鬼』という古い伝説があるの」
「橋鬼の伝説?」