牛飼い少年(その2)
プレハブ工場の裏にある牛舎に駆け込む。と、そこには、白衣を着た青年と、つなぎを来たオジサンが1頭の牛のそばにいた。オジサンの方は、美の山製作所の社長である。青年の方は、良く見るとあのバカ息子、もとい、牛飼い少年であった。二人とも深刻そうな顔つきだけど、事件に巻き込まれたようでもないわ。ホッとする。
あたしは、切り出した。
「あの~ 黒川電子工房の水上ですけど。いつもの発熱試験をお願いにあがりました」
社長が答える。
「あ~ 黒川さんとこの方ですか」
牛飼い少年が言う。
「見ての通り、取り込み中。出直してくんない」
どうやら、雌牛(名前はみどり)が出産中で、しかも難産だそうだ。予定日を過ぎて、ようやく破水したが、まだまだ子牛が出そうにもないと。電話に全く出なかったぐらいだから深刻な事態らしい。あたしは、社長に哀願する。
「どうしても今日中に結果をいただきたいのですけど」
牛飼い少年は
「だめ、駄目。帰った、帰った!」
あたしも、遊びで来ているわけじゃないのよ。会社背負ってんだから。なおも食い下がろうとするあたしを見て、とうとう、牛飼い少年は怒りだした。
「お前、命と仕事とどっちが大事だと思ってんだ。それでも人間か!」
ガーン。確かに。あたしは人間以下か。そうかもしれない。シュンとなる。牛飼い少年はさらに追い打ちをかける。
「全く、だから別嬪は嫌いなんだ。なんでもわがままが通ると思っていやがる」
あたしは全面降伏した。しらけた雰囲気を社長がとりなしてれる。
「まあまあ、黒川さんも事情があるんだし、はるばる来てくれたんだし。なあ、歩、その~ わしが試験の準備をしている間に、この方、えーと名前は水上さんだったかな、に手伝ってもらったらどうかな?」
牛飼い少年(あゆむという名前らしい)は、視線を外して、考え込む。
「役立たずの別嬪に何ができるって言うんだ」
よほど、別嬪、つまり、美人に恨みがあるらしい。え、あたしって別嬪なの!
そして、ついに少年は折れた。
「親父がそう言うなら、俺はそれでもいいよ」
社長は、ほっとした様子。息子に手をやいてんのかぁ。
「そんじゃー わしは試験の準備をしてくるから、水上さん、後はよろしく」
と言って、社長はあたしからモジュールと試験用コードの入った緑色のUSBメモリーを受け取って工場の方へ行ってしまった。
よろしくと言われたけど、えーと。あたしは何をすればいいの? 牛飼い少年は、やっと、こちらを向いた。上から下まで、じっくり見て。
「おまえ、この間、みどりに糞かけられたヤツか」
「糞かけられたヤツとは何よ。ちゃんと名前で呼んでよ。あたしの名前は水上碧。みどりよ!」
牛飼い少年は、それまでの険しい表情を和らげた。
「ほほう、同じみどりか。それじゃーお前もみどりと同じ難産型か? それとも安産型か?」
「し、知りません!」
あたしは逆襲する。
「あんた、いつも別嬪に向かってそんなこと聞くの? そんなじゃー誰も嫁にこないわよ!」
牛飼い少年は、まじめな顔にもどる。
「とりあえず、その上等で、役立たずの服は着替えてくれない。汚れるだろ。あ、着替えなんかないよなあ。ちょっと、こっち来いや」
そう言って、母屋らしい小屋に向かっていく。あたしが、少年を追いかけながら
「ねぇねぇ。それより、難産なら、お医者さん、獣医さん呼んだら。この辺に獣医さんはいないの?」
と言うと。少年はいたずらそうな眼で
「ここにいるよ」
と自分の顔をさす。え、この子、獣医なの。そういえばタクシーの運転手が『獣医』がどうのこうのと言っていたけど、この子なの。なんで獣医が牛飼ってんの。なんで獣医が電気屋手伝ってんの。わけわかんない。
つなぎの方は、洗濯して干してあったので良かったけど、長靴の方はドロドロで、ホースの水で洗った。中まで洗ったので、靴の中はまだ濡れている。服だけでなく、パンストも脱いで下着だけになってつなぎを着た。う~なんだか気持ち悪いわ。
「で、あたしは何すればいいの?」
少年は答える。
「う~ん、とりあえず何もしなくていい」
「はあ?」
少年は手袋をはめて、牛の『みどり』のお尻から手をいれる。ズズっと。もしかして、子宮まで手を入れてるの? まさぐっている。なんだかあたしは興奮してきた。あたしはゴクリと唾を飲み込む。やばい、やばい。冷静に、冷静にと自分に言い聞かせる。
どのくらい時間がたっただろうか。汗でつなぎが肌に貼りついてくる。牛飼い少年はどこからか黒い紐を持ってきた。もしかしてSM? 先ほどと同じように『みどり』のお尻に紐を手に持って突っ込んだ。何やらもそもそやっている。
「よし、前足につないだ。やるぞ」
やるって、何やんの? もしかして引っ張り出すの?
「親父を呼んできてくれ」
工場に行くと、上下に分かれた作業着に着替えた社長さんが、何十ものワイヤーをモジュールにつなぎこんだところのようだ。4台のモニターにカメラ画像、CAD図、回路図、試験コードを出して比較している。画像の方は赤外線カメラの映像に違いない。CAD図にはセンサー(熱電対)が赤点で示されている。牛舎との雰囲気の違いに頭がクラクラする。まるで異世界に迷い込んだようだわ。準備の方はあらかた終了した模様。
息子さんが呼んでいること伝えると。
「分かった。10分後に行く」
と答えた。牛舎にもどると、牛の『みどり』のお尻から黒い紐が50cmほど出ており、その先に茶色の長いロープが数本つながれている。そのうち社長さんが、またつなぎに着替えて戻ってきた。
「親父、引っ張り出すぞ」
そう言って、社長さんにロープを1本渡す。社長さんは何も言わずにうなずく。やっぱり、この少年が獣医さんて本当かも。と感心していると、少年は
「ハイ」
と言って、あたしにもロープを渡してくれた。えー 私も引っ張るの?
「お前、力持ちだろ」
少年のくせに、別嬪だの力持ちだの、よくもちあげてくれるわねぇ。なら、やってやろうじゃないの。あたしの力におどろくな!
3人で引く。
「せーの、せーの、せーの、せーの」
なかなか手ごわい。運動会の綱引きを思い出すわ。
「せーの、せーの、セーノ、セーノ」
息がみだれてきた。まだなの~
「セーノ、セーノ、セーノ!、セーノ!」
あ! なんか出てきた。足?
「もうちょっと」
「セーノ!、セーノ!、セーノ!、セーノ!」
なんか黒い塊が出てきた。
「もうちょっと!」
「セーノ!、セーノ!、セ~ノ、せ~の」
どさっと、何かが地面に落ちる。
良く見ると足が4本あって、頭もある。うしだ。子牛だわ! これが産まれ落ちるってこと? でも生きてるのかな? あ、息している。息してるわ! 母牛は、子牛を舐め始めた。お~ 感動! 牛でもやっぱり子供がかわいいんだ! ふっと視線を感じる、父子がにやにやしてあたしを見ている。子牛よりあたしの方が面白いみたい。コホンと咳払いをする。
社長さんが
「じゃ、わしはもどるぞ」
と言うと、少年は
「おれは、子牛が乳を飲むまで見てる」
と答える。で、あたしはどうしたらいいの? 少年の元に留まることにした。
一時間ほどたっただろうか。子牛は自力で立って、母牛の乳を飲み始めた。全く、子牛はすごい!
「さて、お前はどうする? とりあえず、シャワーでもあびるか?」
寒気のしてきたあたしは、ウンウンとうなずく。
シャワーを浴びてすっきりした。メイクも強引に落とした。化粧水がないのはまだしも、汗をすった下着が気持ち悪い~。自宅ならノーブラ、ノーパンもOKなんだけど。あ~ 下着が気持ち悪い~ と思いながらスーツも着る。しょっぱい顔をしながら、工場へ顔を出すと。また、作業着に着替えた社長さんが
「試験の方は、大丈夫そうだよ」
と言う。それからあたしたちは正規の発熱試験を行った。念には念をと、チェックをして異常がないことを確認。ふー 一段落。あとは、報告書にまとめれば、任務完了。
根を詰めたせいか、頭が痛い。時計をみると、げげ、こんな時間! 今日中に帰れるかなあと思いながら立ち上がると、ふらふらと足元がおぼつかない。なんだか吐き気までしてきたわ。熱もありそう。う~まずい。完璧に風邪をひいた。あたしの場合、風邪を引くと、まず頭痛がする。さらにひどいと熱が出て吐き気がする。もっとひどいとレベル3だから、今のあたしはレベル2の風邪ね。
「社長。あたし、風邪をひいたみたい。ちょっと帰れそうもないから休ませてもらえます?」
あたしは、ソファーにへなへなと倒れこむ。
そこへ、シャワーを浴びて、すっきりした少年が頭を拭きながらやって来た。片手にあけていない缶ビールを持っている。
「おい、歩。風邪薬もってきてくれないか? 水上さん風邪をひいたみたいだ」
と、やさしい社長の声。少年は、市販薬の瓶をもってきて、あたしに尋ねた。
「お前、何歳だ?」
左脳が止まって、右脳も止まりそうな、あたしは
「28歳」
と無防備に答える。
「ということは、15歳以上だから、1回に3錠だ」
なにバカなこと言ってんの、と思ったが、つっこむ気力もない。少年は、あたしに3錠渡して飲めという。あたしは3錠口に入れて、水は? とゼスチャーで伝える。
「ああ、水か? 水がないと飲めないのか? しょうがない、一口だけだぜ」
と缶ビールをあけて渡してくれた。ちょっと、薬とお酒の組み合わせってヤバいんじゃないの。あんたホントに獣医? あたしは2口飲んだ。
「歩、ベットに連れて行ってやれ」
社長が言う。
「オレのベット? しょうがないな」
と少年はあたしを彼の部屋に引っ張って行った。ありがたいことに清潔なジャージ(トレパン)とトレーナーを渡してくれた。
「むこう向いているから、着替えな」
あたしは、礼を言って、着替える。あ~洗いたてのトレーナーは気持ちがいいなあ。それに比べて下着が気持ち悪る~ (この時、あたしは声に出して呟いていたらしい。) のろのろと布団にもぐるこむ。頭がずきずきする。もしかしたら、レベル3の風邪? もーなんにも考えられないわ。
夢をみていたのかもしれない。少年があたしの顔を覗き込んできた。
「パンツ買ってきたよ」
あたしは、夢の中で返事をする。
「置いといて~ 後で使うから」
少年は優しい声で言う。
「コンドームも買ってきたよ」
あたしは、夢の中で返事をする。
「置いといて~ 後で使うから。」
まだ、夢の中らしい。牛飼い少年とゴーストさとる君がジャージを取り合っている。勝った方があたしと星空の下でエッチをすることになっているらしい。ホント男はバカだねえ。
目がさめる。まだ、頭がぼーっとしている。窓からの光がまぶしい。右脳がゆっくり回転し始める。椅子の上にスーツが畳まれておいてある。メガネを探し当てて、良く見ると、スーツの上にショーツとブラがきちんと置かれてあるわ。だ、誰が畳んだの? あ、あたしは畳んでいないよ。畳んだ記憶はない。少年だ! ということは、あたしはノーパン、ノーブラ? 確かめるとブラはしてないがショーツははいている。しかもショーツはピンク? スーツの上のショーツは白。ようやく左脳が回り始める。スーツを着ながら、状況を整理する。あたしがはいているのは、ピンクのショーツ。あたしのではない。ということは、あの少年がコンビニで買ったに違いない。とすると、誰が、あたしにショーツをはかせたの? (1)あたしが自分ではいた。(2)あの少年がはかせた。うーんわからない。記憶がない。ということは(2)? それよりも『コンドーム』がどうとか言っていた気がする。あはは、まさかね~ これ以上考えるのはやめておくわ。
「おはよーございます」
自分の声が頭にひびく。まだ、頭痛が残っている。朝食の時間に間に合ったらしい。ベーコンエッグと牛乳、オレンジジュースをいただく。うまい。当然だ。昨晩は何も食べていない。あれ、もしかしてこの牛乳、あの牛舎の牛の?
食べながら、社長さんの話を聞く。昨晩の内に課長に電話して、すべて報告したらしい。あたしが風邪を引いて今日は会社を休むかもしれないとも言ってくれたそうだ。社長さんに、あたしが泊ったことを課長に報告したか確かめた所、そこまでは、言っていないとのこと。案外、社長さん気がきく。牛飼い少年の方は静かだ。
朝食後に牛舎を見に行く。母子ともども健康。子牛は雌。名前は決めてないそうだ。どうせ売り渡すので決めなくてもいいとのこと。
「えー 決めようよ。名前がなくちゃかわいそうよ」
とあたしが言うと
「じゃー 水上さんが決めてくれ」
と言われた。
「そうねー。みどりの子だから、べにこ(紅子)はどう」
「いいね。べにこで決まりだ」
駅まで軽トラで送ってもらう。思い切ってあたしは言った。
「ピンクのショーツありがとう。何かお礼をしなくちゃね」
牛飼い少年はお礼なんていらないという顔をしながら運転している。
「ところで、あたし、自分でショーツはいた記憶ないだけど、もしかしてあなた?」
少年は、黙ってうなずく。あたしのトーンが半音階上がる
「ということは見たわね?」
少年は答える。
「い、いや、暗くて何も見えなかった」
「でもさわったでしょう」
と、あたしは、牛の「みどり」のお尻に入っていく少年の手を思い出した。
「そら、さわらなきゃ― できんないなー」
少年の答えも半音階上がっている。さらに半音階上げてあたしは聞く。
「それ以外は? それ以外に何かした?」
少年は、プルプルと首を横にふる。
「ホントに? ホントに何もしなかった?」
少年は、ウンウンと首を縦にふる。ふー 安心した。
無人駅について、あたしは、
「お礼をしなくちゃね」
と言って、少年の頬にかるくキスをした。牛飼い少年はいつものいたずらな眼に戻っていた。
「今度また来いよ。体調整えて来い。星空の下で一発やろう」
あーばかだ、あたしはバカだ。こんなバカ息子にキスしたなんて。
軽トラを見送って、ホームで特急を待っていると、神様の視線を感じた。
「これが第一の天罰じゃ」
あたしは、空を見上げて、視線に答える。
「これが天罰? なら、いつでも歓迎よ」