土と炎の人(その7)
あたしたち4人は、絵付けを体験することになっていた。作業机の上には、商品になる前の無地の磁器が何種類かと、10色程の絵の具が置かれていた。腰を下ろして目の前の磁器を一つ一つ手にとってみるが、肝心なことを考えていなかったので途方に暮れる。つまり、何を描くか全く考えていなかった! 電車の時刻表を調べ、地図を調べ、レンタサイクルを手配し、お土産を買うところまでは、考えていたのだけど、その先を考えていなかったわ。
あたしの座っている向こう側に腰を下ろした桃姫は、あらかじめ持ってきたデザインの素案を見ながら丸い大皿を選んだ。絵の具とデザインを交互に見て少し思案したかと思うと、絵筆をとって素案の紙に点々と色を落としていく。配色を考えているのね。
右隣に座った渡は、あたしと同じようにぼうっとしている。それを見た宇奈月青年は、
「あまり難しく考えなくてもいいですよ。夏休みの宿題だと思って、自由に絵を描けばいいんですよ」
と言うと、渡が難しい顔をして応える。
「宿題? 宿題と聞いただけであかんわ」
渡は宿題アレルギーね。
「すいません。宿題と言わない方がよかったですね」
「なんかお手本、例えば、ぬり絵とかありませんか?」
と安直なことを言う。塗り絵だとしたら幼稚園レベルの宿題ね。
「塗り絵ですか。いいことを言いますね。実際、我々の作業は塗り絵そのものですから。型を磁器に転写して、そこに色を載せていくのですよ」
「えー、本当にそんなことしているの?」
とあたしが聞くと
「そうですよ。何百と同じ絵柄の製品を作るのですから、そうでもしないと同じ物を高い品質で作ることはできません」
「なるほど」
とあたしは納得するが、渡が余計なことを聞く。
「面倒やなぁ。カラーコピー機でできへんの?」
「コピーのように転写することは、できなことはありませんが、邪道です。うちの工房ではやっていません」
と宇奈月青年は毅然と答える。
その時、奇声が聞こえた。『へぇー』 さゆりさんが独り言をつぶやきながら工房内をうろうろしているのだわ。『すごい!』、『これが木の葉天目か』、『なるほどー』、『これは、やりすぎね』とか、わざと聞こえるように大きな声で呟いている。宇奈月青年は開きかけた口を閉じて、さゆりさんのつぶやきに神経を集中している。そして
「ちょっと、待っていてください」
と言ったかと思うと、さゆりさんの後を追いかけ始めた。遠くから彼と彼女の会話が聞こえる。『まあまあね』、『どこが、まあまあなんですか? 何か足りませんか?』…… 『やっぱり紅志野はかわいいわねぇ』、『かわいいですか? エレガントには見えませんか?』…… 『スーラのまねね』、『まねしたつもりはないですが』…… 『あたしの使っている香華社の方が上品ね』、『そうですか? 口縁の金の縁取りなんかいいと思いません?』…… 『ここの掻き落とし、わざとらしいわね』、『わざとですから当然ですけれど』……
あたしたちは取り残された。相変わらずぼおっとしている渡を肘でつっつく。
「ねぇ、どうするの? ここの商品の型紙もらって、そこに塗り絵をするつもり?」
「よう、わかったなぁ」
「わかるわよ、そのぐらい。楽することしか考えていないんでしょう? それじゃ、陶芸にものすごく関心のある青年には見えないわよ!」
「もうばればれやで」
「何がばれているの?」
「つまり、俺は陶芸が好きな男やなくて、ガールフレンドにいやいや付き合わされている男やって」
「いい加減にしてよ! 渡がそう思っていることぐらいお見通しよ。そう思うのは勝手だけど、そう思わせないように振る舞うのが大人じゃないの! また、怒るわよ!」
「いや、それは堪忍やで。A型が怒ると後引くから」
「今日は、もう怒らないわ…… それよりあたしにいい考えがあるの」
「どんな?」
「つまり、お手本があればいいのよ」
「碧は、今さっき、型紙はあかんちゅうたやないか?」
「型紙じゃないわ。これよ」
そう言って携帯電話を取り出した。
「携帯?」
「そう、携帯の中には自分が撮った写真があるわ。その中にお手本になりそうなものが1枚や2枚あるはずよ」
「なるほどー でも面倒やな」
「なんなら、渡の携帯から適当な写真を見つくろいましょうか? 渡の携帯、かしてくれる?」
「俺の? いやや」
と渡は拒否する。そりゃそうよね。携帯にはきわめてプライベートな情報が入っているから、たとえ恋人でも見せられないでしょうね。でも、夫婦なら携帯を見せあいっこするのかしら…… まあ、それはその時考えればいいわ。あたしは、意地悪を言った。
「渡の携帯には、人に見せられないものが入っているの?」
「いや、それはそのう…… 」
「まさか、『別の女』の裸の写真が入っているんじゃないでしょうね」
「そ、そんなことはあらへんで」
渡の目は一瞬、宙をさまよった。
「ホントに?」
「ああ、絶対や」
「それじゃ、自分で探して」
あたしは、何カ月か前に撮った弁当の写真を選んだ。美少女と一緒に作った弁当の写真だわ。渡は、茶色の湖に浮かぶ家を選んだ。なんでも東南アジア最大の湖で、100万人もの人が船を家にして、水上で生活しているそうだ。あたしも行ってみたいわ。
「連れて行ってくれる」
と頼むと
「もちろんや」
と頼もしい返事。
おにぎりを描き終え、ミニトマトを描き始めた時に宇奈月青年が戻ってきた。桃子の紙のデザインを見ている。最初は、二人は穏やかに会話していた。
「いいデザインですね」
「ありがとうございます」
「もう少し青々とした配色はどうでしょう」
「そうですか。落ち着かないような気もしますが」
「青を使うと夏らしくなりますし、このデザインの生き生きとした所、植物の生命力、が表現できますよ」
「えー 植物の生命力ですか? このデザインは無生物的で、抽象的なものですよ」
「そんなこと、ありませんよ。この線なんかは…… こういう筆のタッチで描けば、青々としげる植物の葉に見えるでしょう」
だんだんと二人のトーンが上がってくる。
「それは、おかしいわ。ここの線は…… こう。こういう感じがいいわ」
「そのタッチだと、折角のデザインが台無しですよ。やっぱり夏らしくした方がよくありませんか?」
「季節は関係ないわ。しいて言えば冬よ。真っ白な雪を背景に、散在した枯れ木がつくる不思議な模様。そしてそこに太陽の烙印が押されていく。だから、ここは黒か茶色、で、ここは、黄色。そうね、赤をアクセントに少しいれてもいいかもしれない」
「そうですか、どうやら、配色に関しては意見が合わないようですね」
と宇奈月青年はため息をつく。桃子は、ため息を聞き逃さなかった。
「宇奈月さんは、あたしの配色がお気に召さないようね。何なら勝負しましょうか?」
「勝負? あなたと私が勝負ですか? アマとプロが勝負ですか?」
「そうよ。勝負が怖いの?」
「いいえ。勝負は展示会で慣れていますから。それより、桃子さんにいやな思いをさせたくないのですが…… 」
「あ、あなた、今、あたしをバカにしたわね。あたしが負けるのが当然と思っているのでしょう。こうなったら、絶対、勝負よ!」
と桃子が興奮する。
「いやそんなことを言ったつもりではないんですが…… 」
桃子が怖い眼で青年を睨んでいる。
「しかたありません。この勝負受けて立ちます」
と宇奈月青年があきらめる。
あたしは、卵焼きを描き始めた。そこへさゆりさんが戻ってきた。
「あ、面白そうね」
「面白くはないですよ」
と青年が答える。
「あたしも入れて!」
「ええー さゆりさんも加わるんですか?」
「そうよ。えーと、ルールは?」
「配色の勝負ですから…… ルールは桃子さんのデザインを使うこと。それから、この皿を使うこと。それから…… ここに並べた絵具を使うこと…… ぐらいでしょうか」
「いいわ。配色の勝負ね」
とさゆりさんは楽しそう。
「面白いことになってきたわ。手加減なしよ。はい、これが予備の紙」
と桃子がデザインを印刷した紙を宇奈月さんとさゆりさんに渡す。
宇奈月青年は桃子から一番遠い椅子に腰をおろすと、青い絵の具のついた絵筆を握った。しばらく、筆とデザインを交互に見ていたけれど、皿に描き始めた。その時、彼の眼は、田舎者の純朴な目から、職人の妥協を許さない眼に変わった。
さゆりさんはどこかへ出て行った。
あたしはピーマンの挽肉詰めを描き始めた。そこへさゆりさんが戻ってきた。
「あ、貴司君。冷蔵庫にストックされていた水ようかんもらったわよ。『腹がへっては戦はできぬ』って言うしね」
「あのー 多分、その水ようかんは、あたしがお土産に持ってきたものだと思います」
「碧ちゃんが?」
「ええ」
「気を使わなくてもいいのに。でも、おいしかったわ。ごちそうさま。さて、あたしも戦に参加するか」
そう言って、桃子と宇奈月青年の間に座った。しばらく宙をにらんでら、描き始めた。その時、彼女の眼は、詩人の眼からいたずら少年の眼に変わった。
あたしは、たこウィンナーを描き始めた。レースの方は先行する桃子が、じっくり慎重に筆を運ぶ。それを、慣れた手付きの宇奈月青年が追いかける。大幅に出遅れたさゆりさんは無駄な動きが全くない筆運び。隣の渡は、何をしているかと思ったら、鼻毛を抜いている。
「ちょっちょっと。渡、何やってんの?」
「え?」
「恥ずかしいからやめてよ」
「何? 何を?」
「その、鼻毛!」
と小声でささやく。
「碧が恥ずかしがることあらへんやないか?」
「恥ずかしいわよ。一応、あなたの恋人なんだから」
「ふーん。そんなもんかなぁ」
「とにかく洗面所行って!」
とティッシュを持たせて、洗面所に送りだした。
あたしは、煮豆を描き始めた。戻ってきた渡は相変わらずぼーっとしている。まだ、絵付けは途中だ。
「どうしたの。もう飽きたの?」
「いや、考えているんや」
「何を?」
「いや、そのー ワニの指は5本で良かったかどうか?」
「そんなの5本に決まっているじゃ…… 5本じゃなかったけ…… どうでもいいじゃない! 5本で描きなさい!」
「はいはい、わかりました碧様」
「よろしい。ところで、なんで湖にワニがいるの? 危ないじゃない」
「ワニを飼っているんや。つまり、養殖。養殖して肉は食べて、皮は売るんや」
「わお。本当?」
「ほんとうや」
「やっぱり、あたし、そこには行きたくないわ」
とあたしは前言を翻した。
あたしがオレンジを2切れ描き始めた時、さゆりさんが叫んだ
「終わったわ。あたしが一番よ」
「え、もう終わったんですか? ちなみに、速さの勝負じゃなくて、配色のよさの勝負ですから、一番に終わったからといって、勝ったわけじゃありませんよ」
と青年が諭す。
「え、そう? そうだったわ。まあいいわ」
とおおらかなさゆりさんの答え。隣の渡が叫ぶ。
「やった。2番。2番やで」
「もう、渡は競争の中には入っていないのよ」
「あ、あーそう」
としょんぼり。それからは、立て続けに、宇奈月青年、あたし、桃子という順に終わる。