土と炎の人(その6)
3台のレンタサイクルが縦一列に並ぶ。先頭を走るのは、赤いバンダナ、黄色のアロハ、黒のバミューダといういでたちの渡。さすがに男だけあって速いわ。後ろから見るとふくらはぎの筋肉が盛り上がっているがよくわかる。2番目につけているのがデニムのショートパンツにタンクトップ、野球帽という少年のような桃子。健康的な色気の足と形のいい胸が強調されている。しんがりを務めているのがあたし。6分丈のパンツに麻のチュニック、ボタン2つはずして胸元を大きく開いている。機嫌がわるかったうえに重い荷物を背負ってふらふらだった。
あたしが6分丈のパンツを穿いているのは、自慢の足首を見せたかったから。チュニックはゆったりしていてお腹のラインが見えないのがいい。しかも、ボタンを2つ開けると胸の谷間が綺麗に見える。斜め45度までなら、ブラも見えない。もちろん見えてもいいブラをしていったわ。でも谷間作戦は失敗だった。
この日は最初から渡とぎくしゃくしていた。
あたしたちは3人は、電車で行くことにして、ローカル線で合流することになっていた(さゆりさんは一人で車で行く)。どうせ特急を使うのだから自由席で待ち合わせてもよかったのだけれど、あたしは途中駅からの乗車、桃子と渡は始発駅からの乗車。初顔合わせの桃子と渡が、あたしのいない所で会うのは避けたかったの。万が一、二人が意気投合して必要以上に親しくなったり、あたしのいない所で、あたしの噂をする危険性は避けたかった。もちろん、親友の桃子を信頼していないわけじゃないわ。でも、桃子の魅力は侮れないし、渡はまだ信用できない。
予定通りローカル線に乗り込むところで合流した。あたしは二人を互いに紹介した。
「こちらが、あたしの同僚の熱海桃子。それからこちらが彼氏の八丈渡」
「よろしく。桃子さんと呼んでええかな」
と渡が言うと
「もちろん。こちらこそよろしく渡さん」
と桃子が答える。
「それにしても、碧に劣らず別嬪やねぇ」
と、ここまではよかったけれど、その後、渡は
「二人とも立派な胸やわ。まるで富士山と大根を見ているようやわ」
と言った。
「どこが富士山で、どこが大根なの?」
とあたしが問いただすと
「いやぁー 桃子さんの胸は富士山のように凛々しく立っていて、碧のは、大根のようにたれ…… 」
「大根のように垂れさがっていると言いたいの?」
とあたしが詰問すると
「だ、大根のようにた、た、たいそう白い肌! やで」
とかわした。そりゃー桃子の形のいい胸にはかなわないけど、あたしの胸の谷間だって魅力的なはずよ。でも、それが『垂れている』ことになるとは……
今日は、宇奈月青年の工房に行く予定。世話になるのだからと思って、前日に缶入り水ようかんを一箱買った。缶入りなら日持ちがするし、夏らしいしと思ったのよ。それを見て渡が
「碧、その袋はなんや?」
「これ? お土産よ。世話になるだから。何か持っていかないと悪いじゃない」
「別に持って行かんでもええんちゃう。世話になるっちゅうことは、心を預けるっちゅうことやから、気を使う必要はあらへんのに」
「あなた、礼儀ってものを知らないの。菓子折りの一つや二つ持っていくのが常識じゃない」
と、少しだけ言葉が荒くなった。この時に、あたしは一線を越えたのよ。あとで後悔したけれど……
「常識とちゃうで」
「なに言っての、日本の常識よ! 外国では違うかもしれないけれどね」
「あ、お前、外国をバカにしとんのか? まあええわ。 日本の常識かどうか確かめてみようやないか?」
そうアイツは言って、桃子の方を向いて聞いた。
「桃子さん、碧はあないに言ってるけど、どう思われます?」
「え、あ、あたし? あたしは持ってこなかったわ」
渡はあたしに向き直って
「ほら、見てみい。桃子さんも持ってこなかったで。どこが日本の常識や!」
「あ! 桃子を巻き込むなんてずるいわよ」
とあたしは、桃子を巻き込んだアイツに無性に腹がったった。桃子がとりなそうとする
「あ、あたしはそこまで気が回らなかったのよ。工房でどうするか気になって、そこまで気が回らなかったのよ。碧はえらいわ」
「ほら、桃子だって、言っているじゃない。誰が電車の時刻を調べて、誰がレンタサイクルを手配し、誰がコースを考えたと思ってんのよ! 皆、あたしよ! あたしがこうしてお土産買ったからみんな丸く収まるのよ」
「おまえ、A型やろ。いちいち細かいことを気にするタイプやな」
「そうよ、あたしはA型よ。まじめなで気配りができるA型がいるから日本は成り立ってんのよ。そういう人がいるから、電車も時刻通り動くし、そういう人がSEになるのよ」
「A型がいるから日本は駄目なんや。日本人に自殺が多いのもA型が追い詰めるからやで。俺みたいなB型が日本に潤いを与えるんやで」
「違うわよ。B型の不始末の尻拭いをさせられるのがA型。B型がいなければ自殺も減るわよ」
「逆やで、多数派のA型に虐げられているのがB型やで。A型のやり方を押し付けられていい迷惑やわ」
「むむ…… 」
「むむ…… 」
あたしとアイツは睨みあい、視線がぶつかった所で火花がパチパチ飛んだ。
「えー、そこまで! 続きは二人だけの時にやってね」
桃子がぼやを消しにかかるが、種火は残ったままだわ。
駅に着いて、予約していたレンタサイクルを借りた。ところが、困ったことに、かごが小さく水ようかんの箱が入らない。幸い持ってきたワンショルダーバックパックにぎりぎりはいったので、それを背負うことにした。宇奈月さんの工房に何人いるかわからないから、水ようかんは多めに持ってきた。そのせいでかなり重い。アイツは何も言わない。さっきからあたしたちは口をきいていないの。予定したコース、途中で美術館によって工房へ行くコース を描き入れたマップを二人にわたす。アイツは無言でマップを受け取ると勝手に出発した。それを桃子が追いかけ。さらにあたしが追いかける。
美術館への坂道をふうふういいながら登る。強い日差しとセミの鳴き声の中で汗がぽたぽた落ちる。
空調の効いた美術館を見て回る。3人とも黙っている。怒りの収まらないあたしは、あっという間に展示室を出てしまった。しょうがないので、自販機でコーヒーを買って、日陰でタバコを一服する。もともと美術に関心がないアイツもさっさと出てきた。自販機で炭酸を買う。アイツは飲み終わって、扇子で仰ぎながら、口を開きかけた。謝ろうとしているのだわ。でも、こっちは、垂れ乳と評された。しかもA型をバカにした。そう簡単に許す気はなかったから、アイツの視線を外した。そしたら、何も言わなくなった。
お日様がカンカンと照り、セミがうるさく鳴く典型的な暑い夏。その中で、アイツとあたしは夏とは異質の空間を作りだしていた。
美術館を堪能した桃子がやっと出てきた。
「あんたたち、まだ喧嘩しているの?」
とあきれる。
「別に喧嘩しているわけじゃないわ。大根のように垂れた乳房を陰干ししていたのよ」
とあたしが答えると。渡は、
「そうそう、喧嘩してるわけやないで、A型の執念深さをじっくり鑑賞しとったんや」
と応じる。またもや視線がぶつかり、火花が飛ぶ。
工房では、地味青年(宇奈月貴司)が迎えてくれた。今日は、休日のため、彼しかいない。整頓のゆき届いた工房を案内して回る。土こね、ろくろ、整形、下絵付け、ガス窯、上絵付け、施釉、電気炉と、それぞれの行程(作業場)を紹介していく。
この工房は3人の若者で運営され、組合からもらった仕事で稼ぎながら、創作も行う。今は、来年の干支の試作をしているところ。組合の仕事以外で、唯一稼げる商品だ。昨シーズン、つまり今年の干支はウサギで、ウサギの置物は結構売れたそうだ。
「でも、本当は創作の方で稼げるようになりたいんじゃないの?」
と桃子がきく。
「ええ、そうなんです。3人が競いあって、創作し、色々な所に出品しています。売れるようになったら、独立しようとしているのですが、今の所、3人ともだめです。一方、干支の置物はもう少し売れれば、工房のブランドが確立し、経営も安定しそうな所まできました」
「つまり、微妙な状況なのね。創作で売れるようになって独立したいと思いながら、その一方で、3人の工房ブランドを盛りたいてたいと」
「ええ、そうです。若いときは土と炎のことだけを考えていれば済むのですが、そのうちパンのことを考えないといけなくなる」
「で、宇奈月さんはどうなの?」
と桃子が真剣な眼差しを地味青年に向けると
「どうって?」
青年は桃子の眼光におののく。
「彼女は、貴司君がどのくらいパンのことを考えているかをききたいのよ」
と背後から声が聞こえる。振り返ると、さゆりさんがいた。
「あ! さゆり姉やないか。びっくりさせんなよ。いつの間に来たんや?」
とアイツが言う。
「今、来たのよ。貴司君、久しぶり」
「ご、ご無沙汰しております。工房に来ていただいたのは、3年ぶりぐらいでしょうか。先ほどの質問ですが、僕はこの工房を取りまとめる立場上、皆の生活のことも考えなくてはいけません。つまり、パンのことを考えています」
「甘いわね。創作で生きたいのなら、なりふり構っていちゃ駄目よ」
さゆりさんは手厳しい。
「僕には僕のやり方があります。もう少し、見ていてください」
地味青年の眼が燃え上がった。
「『皇国の興廃、この一戦にあり』よ」
とさゆりさんが古い一節を持ちだす。
「わかっています」
地味青年が口元を引き締める。
「その『こうこくのこうはい……』ってなんや? 広告会社の後輩は、一銭も無駄にしたらあかんっちゅう意味?」
と、アイツがきく。
「??」
皆、理解できない。
「そうやないと、先輩社員のようにいい広告は作れへんっちゅう意味?」
と、アイツが自信なさげにきく。
「あはは。ワタ君には、芸術は無理ね。別の才能があるから心配しなくていいけど」
とさゆりさんがなぐさめる。あたしもくすくす笑ってしまった。
「あとで、教えてあげるわよ。渡の才能は、皆を和ませることね。B型も捨てたもんじゃないわ」
あたしはそう言って渡と仲直りした。




