土と炎の人(その5)
ろくろは意外に難しく、また面白い。力加減だけでなく、土の粘り、指や手の表面の水分、色々な要素を肌で感じないと思った形にはできないわ。最初は、薄くきれいに作ることを心がける。そのうちに、少し、形を崩そうとしてみるが、こちらの方がきれいに作るより難しい。宇奈月青年は、時々見に来るけれど、何も言わないし、あたしたちも何も聞かない。土と向き合う時間が静かに過ぎていく。
あたしは、2時間ほど何度も作っては壊し、最後にこれはと思うお椀を残した。隣の桃子は、まだねばっていた。平たい皿に文様を刻んでいる。しかも驚いたことに、皿をわざと偏心させている。つまり、回転対称な皿の中心とろくろの回転中心が一致していない。そうして不思議な幾何学的模様を刻んでいる。まるで、さっき松島氏に見せてもらった古陶の抽象デザインの絵付けを、刻みで再現しようとしているみたいだわ。桃子のその執念に感心した。宇奈月青年が一言二言声をかける。
暇なあたしは青年の作品を見せてもらった。華やかな絵付けの食器があるかと思うと、対称性が大きく崩れた大胆な形の花器、何に使うかわからない抽象的なオブジェ、子供が喜びそうな怪獣。本当に自由に遊んでいるのが感じられる。と同時に松島氏の評、売れていない、というのが妙に納得できる。確かにどれも素晴らしいけれど、どこかで見たような感じがする。売れるためにはそれだけでは不十分で、もっと強烈な個性、スタイルが必要なのだと思うわ。
松島夫人が作った夕食を皆で食べた。昼食が草食系だとすると、夕食は肉食系だわ。豪華な海の幸をふんだんに使った料理に満足した。結局、午後に松島氏が見せてくれた陶磁器はいただかずに、後日宇奈月青年の工房を訪ね、絵付けを体験する約束をして、蛍の飛ぶ松島宅をあとにした。
帰り道に、桃子に話しかけた。
「で、あの青年はどう?」
「どうって言われても…… 」
「隠したってわかるわよ。桃子の眼は真剣そのものだったわ」
「そうだったけ?」
「そうよ。桃子に惚れた男は何人も見たことがあるけれど、桃子が惚れた男を見たのは初めてよ」
「それじゃ、まるであたしがアルテミスみたいじゃない」
「アルテミスって?」
「ギリシャ神話に出てくる、狩りと純潔の女神よ」
「ふーん。狩りの方は桃子にはふさわしそうね。それにしても、あんな地味な青年がどうして桃子のメガネにかなうのか、全く理解できないわ」
とあたしは、桃子の自尊心を痛ぶってやる。
「見た目が地味かどうかは問題じゃないわ。彼は美男よ。それに…… 碧は、彼の陶磁器に対する情熱がわからなかった?」
たまには素直な桃子もいいわね。
「わかったわよ。でも、土と炎が恋人だって言っていたし、桃子が入り込む余地はないんじゃない」
「う~ん、そうかもしれない。でも、彼の情熱を手伝ってあげたい気がする」
「桃子は、本当は彼ではなく、土に惚れたんじゃないの?」
「土に?」
「だって、ろくろでねばっていたじゃない」
「そうね、土に惚れたのかもしれない。今度、彼の工房に行けばはっきりするわ。彼に惚れたのか土に惚れたのか」
そう言って桃子は黙ってしまった。もともと、桃子は芸術系だから、これを機に陶芸にのめりこんでもおかしくないわ。もしかしたら、会社を辞めてしまうかもしれない。そうでなくても宇奈月青年と結婚するかもしれない。そうなれば、やはり会社を辞めるかもしれない。あたしは不安を覚えた。
翌週、久しぶりに八丈渡に会うことにした。彼の義母の八丈さゆりの家に夕飯に招かれたのよ。濃紺のミニのワンピース、生足に松島宅でもらった人魚のブローチをつけた。ミニにしたのは彼女があたしの足をきれいだと言ってくれたからだ。ついでに生足にしたのは、アイツの好みかもしれないから。
彼女が玄関を開けて迎えてくれた。
「今晩は。ごちそうになります。これ、つまらないものですけれど、後で皆で食べられればと思って」
そう言って、あたしは、沖縄マンゴーを彼女に渡そうとした。
「ようこそ、いらっしゃい…… そ、それ!」
と彼女が驚きの声をあげる。
「え、何?」
「そのブローチ!」
「あ、これ? この人魚のブローチ?」
「そう、それ! どうしたの?」
「これは先週、ある人にもらったの」
「まさか、松島の家に来たって…… あなただったの」
彼女は2秒間絶句した。
「松島はあたしの実家なの。つまり、あなたが命を救ったじじいは私の父なの」
「えー ということは……」
今度はあたしが1秒間絶句した。その1秒間、あたしの左脳は高速で回転した。
あたしの彼氏が八丈渡で、その義理の母が八丈さゆり。彼女の実の親が松島氏。その松島氏は著名な陶芸家だった。そして、今、あたしは、彼女が作ったらしいブローチを身につけている。
「それじゃ、松島さんが嘆いていた娘が…… 」
しまった、口が滑った。八丈さゆりは笑いながらあたしの言葉を引き継いだ。
「そう、その娘が私。確かに嘆いていたわ。はるかに年上で父と変わらないぐらいのじじいと結婚した私を」
「いや、そう言うつもりでは…… 」
「ないことはないでしょう。しかも、そのじじいには大きな連れ子がいた。嘆かない親はいないわねぇ」
「でも、松島さんはさゆりさんのことをプロの画家で、努力と才能は買っていると…… 」
あたしは、なんとかフォローする。
「そうね。最近やっと認めてくれたわ。でも、本当にありがとう。何とお礼を言ってよいやら」
「え、このブローチ?」
「いや、ブローチを身につけてくれたのもありがたいけれど、あなたは父の命の恩人よ。『女神が助けてくれた』と父が言っていたけれど、私たちにとってはあなたは女神よ」
「女神?」
そういえば、前にも、だれかにも『女神』って言われたけれど…… そうそうゴーストさとる君に『コンピューターに住みついた女神』と言われたわ。あたしって、もしかしたら女神の才能があるかしら。でも、女神の才能って何? 妄想を八丈渡が吹き飛ばす。
「お、ひさしぶりやな碧。今日はかわいいやないか」
アイツの言葉にカチンとくる。さゆりさんがすぐ横で聞いているもかまわずに、言い返してしまった。
「久しぶりに会ったのに、『今日は』って、どういうこと。この間の浴衣は、かわいくなかったってこと?」
「そ、そんなことあらへんよ。あの時もかわいかったで。もっとも、舌をかまれた時は、エンマ大王に見えたけど。今日の料理にはトウモロコシはあらへんから、安心してディープキスができるで」
渡の『ディープキス』という言葉で、一気に顔が紅潮する。全く、渡は恥ずかしくないのかしら? 隣でさゆりさんが笑っている。
「あはは。立ち話はそのくらいにして、中へお入りなさい。おいしそうなマンゴーは後で出さしてもらうわ」
さすがに松島夫人の娘だけあって、料理は絶品だ。洋風メニューなのだけれど、どこか和の風味が混じっている。おいしい赤ワインを控えめに飲みながら、松島氏の命を救ったパスタ屋の事件について話した。さゆりさんは感想を述べる。
「ほんとにすごいわね。心臓マッサージをするなんて」
「前に救急救命の講習を受講したことがあって、そこで、心臓マッサージやらAEDの使い方を習ったの。でも、忘れていた点もあって、周りの人に教えてもらいながらやったのよ」
「でも、どうして講習を受けたの? 会社で皆習わされるの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけれど…… 自主的に受講したの。だいぶ前に、目の前で人が亡くなったことがあって、AEDぐらい使えなくっちゃって思ったの」
「そう言えば、AEDって何の略?」
とさゆりさんが聞くと、渡が答える。
「そりゃ、決まっているやないか。『ア』ホでも『生』き返る『電』気ショックやで」
「??」
さゆりさんとあたしは一瞬、顔を見合わせて、ぷっと吹き出した。
「あはは、それはいいわね。でもホントは英語の略なんじゃないの」
あたしは答えを言った
「Automated External Defibrillator 自動体外式除細動器よ」
「おまえ、頭ええなあ」
と渡が言う。
「誉めてくれるのはいいんだけれど、いい加減に『お前』って呼ぶのやめてくれないかしら」
「あ、わりぃわりぃ。砂漠の碧ちゃん」
と渡は呑気だ。
「ところで、今度、松島さんのお弟子さんの所で、同僚と陶芸の絵付けを体験することになっているんだけれど、渡、一緒に行ってくれない?」
と渡に頼むと
「俺に、行けと?」
という冷たい返事。
「そう。渡と一緒に行って楽しみたいの」
「会社、移ったばかりで色々あって、忙しいんやけど…… スケジュール帳確認して返事するわ」
これだけ頼んでいるのに、なんとも渋い返事ね。そこへさゆりさんが割り込む。
「あれ、ワタ君、スケジュール帳なんて持っていたの? いつもスケジュールに縛られたくないって言っていたけれど」
「いや、俺も少しは大人になったし。責任もあるし」
「ところで、その絵付け体験、私も行きたいな。そのお弟子さんって名前は?」
「えーと、確か、宇奈月さんという青年よ」
「あー 貴司君ね。彼は父の陶芸教室に小学生のころから出入りしていたのよ。小さい頃は、それはそれはかわいかったわ。でも、今は陶芸一筋のまじめな青年よ。髪をカットして、服を着せれば、アイドルといってもおかしくないぐらいの美男なんだけれど…… 」
「美男? そう言われればそう言う気もするけれど…… とても地味だったから、そんな印象はなかったわ。でも声がハスキーで素敵だった」
と感想を言うと、さゆりさんは
「そうそう、声がね…… それに歌もうまいし。かわいい子がいれば紹介したいぐらいなんだけれど」
となぜかいたずらっぽい眼であたしたちを見る。渡が言う
「あ、お、俺も行くで。万難を排して行くで」
「あれ、スケジュールがどうのこうのとか言っていなかったけ?」
と聞くと
「いや、どうせ暇やし」
と答える。
「さっきは、新しい会社で色々あって忙しいとか言っていなかった?」
「そうやったけ。まあ、日本の伝統工芸も一通り勉強しとかんと、外国行った時はずかしいやろ。絶対行くで」
あたしは、さゆりさんに感謝の視線を向けた。
「それじゃ、貴司君に断りの電話を入れておくわ」
そう言って、さゆりさんは手帳を見て電話をかけだした。
「あ、私、さゆりよ」
「…………」
「久しぶり。元気?」
「…………」
「そう、それはよかった。ねぇ、今度、父の命の恩人の水上さんたちを、貴司君たちの工房に招待するでしょ。私も行っていいかな。それから、陶芸に『ものすごく』関心のある男を一人連れていっていいかしら」
「…………」
「水上さんと私の関係? そうね、水上さんは、もしかしたら、私の義理の義理の娘になるかも知れない子よ」
「…………」
「ぎりぎりじゃなくて、義理の義理の、よ」
「…………」
「ややこしいことは考えなくてもいいわよ。それじゃ行くからね」
「…………」
「ばいばい」
陶芸にものすごく関心のある渡と、義理義理の娘になるかもしれないあたしは、顔を見合わせた。皆、さゆりさんのペースに巻き込まれたのだわ。