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土と炎の人(その4)

 桃子の言っている緑色のカフスボタンは、松島氏が心臓発作で死にかけていた時に身につけていたもの。桃子がパスタ屋で、松島氏のすぐそばに座ったのは、それを近くで見たかったから。亡くなったら譲ってほしいと言っていたものだわ。アゲハ蝶のブローチは、先日、奥さんがわが社にやってきたときに身につけたいた物で、こちらの方はあたしも覚えている。松島氏は、少しびっくりしたようだけれど、ちゃんと説明してくれた。

「両方とも、娘が作ってくれたものです…… 娘は一時期、アクセサリーを作って画材を買うお金の足しにしていたのです。本業は画家なんですが、なかなか売れなくって、趣味を生かしてアクセサリーを作っていました」

「とても趣味とは思えないレベルのようでしたけど」

と桃子が言うと、松島氏は答えた。

「いやいや、売り物にはほとんどならなかったんですよ。結局、私たち親にアクセサリーを作って、画材の費用を出させていましたから。芸術で身を立てるのは、至難の業です。女の子なんだから、絵はあきらめて、結婚して家庭に入って子供を育てるもの悪くない。悪くないどころか、次の世代を育てるのは大事な仕事だし、趣味で絵を描いたっていいじゃないかと言ったんですが…… 」

「それで、娘さんはどうなったんですか?」

「それが、皮肉と言うか、お恥ずかしい話なんですが…… 親子ほども違う男、しかも大きな連れ子のいる男と結婚して、その男に画材の費用を出させたんですよ。相手の男は、私とほとんど変わらないくらいの歳ですよ。連れ子の方が年齢が近いぐらいですし…… 全く何を考えているんだか」

「それで、娘さんは今でも絵を描いていらっしゃるんですか?」

「ええ描いています。最近になって、絵が売れるようになって、美術展でもたまに入選します。まあ、プロの画家のはしくれになったんですから、その努力と才能は買ってやるべきなんでしょうけど…… これからが大変ですよ。昔の自分のことを考えると…… 」

松島氏の表情が曇る。よほど苦労した昔があったのかしら。桃子が話題を戻す。

「それで、娘さんの作ったアクセサリーは他にもあるのですか?」

「ええ、ありますよ。妻がまとめて管理していますので、妻に見せてもらいましょう。とにかく玉石混交で、身につけても恥ずかしくないものはわずかです」


 夫人はひらたい箱を持ってきた。蓋を開けると敷き詰められたワタの上にアクセサリーが30個ほど綺麗に並べられていた。件のカフスボタン、アゲハ蝶もある。女性用のブローチやペンダントトップが大半で、指輪、ネックレス、キーホルダー、カフスボタン、ネクタイピンもある。素材も製法も雑多だ。針水晶があるかとおもうと金属製の瓶のふた(王冠)があるし、木工細工があるかと思うと七宝焼きがある。

「最初に作ったのは、この星型のヒスイ。高校生の頃だったかしら」

と夫人は、箱の隅に置かれたブローチを指差した。

「作った順番に並べてあるの。最初のころのものは酷いわ。だんだん上手になってきたけれど、売れたのは10個ぐらいかしら。ここにあるものは売れ残ったものか、売り物にもならなかったものよ。大事に使ってくれるのなら、持って行っていいわよ」

 こうやって、きちんと整理しているところは、アルバムみたい。夫人の優しそうな眼を見ると、娘をかわいがっているのが分かるわ。『持って行ってもいいわよ』の言葉を聞いて、桃子の眼は爛々と輝きだした。まるで獲物を狙う獣のよう。あたしも、つられて、品定めをする。氏が言うように玉石混交だ。粗悪で、夏休み最後の一日で作った自由工作と言われてもおかしくないようなものから、洗練されたデザインで、高い値がついてもおかしくないものまで様々だ。

 桃子は、チャート(石)のキーホルダーを選んだ。勾玉まがたまのような形状に、穴があけられていて、もともとのチャートの層状の赤い文様が不思議なアクセントになっている。あたしは、針金細工の人魚のブローチを選んだ。剛性のある針金らしく、握っても形が崩れない。また、防錆加工を施してあるのか、銀色に美しく輝いている。あまり派手ではないので、モノトーンのスーツに合いそう。


 午後のメインイベントは、陶芸体験。地味青年の案内でろくろを体験することになった。地味青年には、宇奈月貴司うなづきたかしという名前がある。色褪せた青いジーンズに白のワイシャツ、本当に地味な服。ただし、声はハスキーで、声だけ聞いていればセクシーと言えなくもない。粘土をろくろの上に載せる。ろくろを回転させ円筒状にして、優しく親指を上面にあてて穴を深くしていく。そして、指でつまみあげるようにして茶碗の形を作っていく。青年のお手本を見ると簡単そうに見える。一生懸命、説明しようとする青年を桃子が邪魔をする。

「ねぇ、あの時、松島氏が心臓発作を起こした時、床を見て茫然としていたでしょう。どうして?」

「あの時の僕の行動は、思い出してもお恥ずかしいかぎりです。本当なら真っ先に師匠の心配をして、何かをしなければならなかったのですが、僕の幻の作品が割れて、それで茫然としていたのです」

「幻の作品って?」

「幻っていうのは大げさに聞こえるかもしれませんが、もう二度と作れないのではないかという意味で、幻なのです。ここ数年、僕は古陶の名品を再現しようとしていたのです。耀変ようへん天目茶碗といって、世界中に数えるほどしかないとても珍しい文様の茶碗です。県立のセラミック研究所と組んで、どんな素材、土とうわぐすりを使ったのかを推測しながら、色々条件、焼成条件を変えて試しているのですが、なかなかうまくいきませんでした。もう、2年ぐらいためして、やっと一つ、再現できたのです。ほとんど偶然と言っていいでしょう。それをあの店で師匠に見てもらっていたのです」

「それは凄いじゃない。よかったわね」

「ええ、そこまではよかったのですが、あの時床に落ちて割れてしまったのです。もちろん、師匠は、謝ってくれましたが、どうしようもありません。でも、あれが割れて古陶の再現に踏ん切りがつきました」

「それも一つの通過点よ。新しい目標を見つければいいのよ」

桃子はいつになく優しい。毒舌がまったく出て来ない。病気かしら? とあたしは心配する。青年の目はは遠くを見る目つきから、輝く眼に変わった。

「そうなんです。今まで、古陶の再現に時間を取られていたのですが、今はその呪縛がなくなり、やりたいことを自由にでき、幸せです。実は、今日の午前中は、ここ最近試作した作品を持ってきて師匠に見てもらっていたのです。よかったら後でお見せしますよ。お話はこのくらいにして目の前の土に集中してください。余計なことを考えると、ろくろはうまくいきませんから」

 たしかに、宇奈月青年の話を聞いていると、きれいな形はできない。ちょっとした加減で容易に形は崩れる。桃子は最後の質問をする。

「それじゃ、集中する前に、1つだけ教えて。宇奈月さんは結婚しているの? 恋人はいるの?」

まったく、桃子は単刀直入ね。

「え、結婚はしていませんが…… 2つ質問があったようですが」

と、青年は動揺しながらも、鋭い点をついてくる。桃子は

「2つまとめて1つと思ってくれればいいわ」

と返す。

「えー恋人は…… 土と炎です。器を作るための土とそれを形にする炎です」

「ふーん」

と桃子は、考え込み、そして、青年の眼をまっすぐ見つめる。桃子の眼は、誘惑するような流し目ではなく、真摯な眼差しだわ。その眼差しに青年はたじろぐ。

「熱海さんが、僕にこういう質問をするということはどう解釈すればいいのでしょう?」

あたしは、空気が緊迫するのを感じた。

「素直に解釈してくれればいいわ」

 二人の視線は真ん中でぶつかったかと思うと絡み合い、そして、ゆっくりフェードアウトしていく。一瞬燃え上がった炎が、静かな種火になったみたい。あたしは、遠くない未来に種火が盛大な炎に変わるのを確信した。

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