土と炎の人(その3)
以上が3カ月ほど前のことの次第。目の前の女性は、あの老人の妻らしい。だいぶ回復してきて、今は自宅で養生しているそうだ。ついては、お礼を兼ねて自宅に招待したい。食事を楽しんでいただきたいのはもちろんだけれど、ゆっくりリフレッシュしてほしいのでまる1日のつもりで来てくださいとのこと。あたしたちは、次の日曜日に、朝から三浦半島の家に行くことになった。
彼女、松島夫人が部屋を出て行って、あたしと桃子は顔を見合わせた。
「どういうこと?」
とあたしがきくと、桃子は
「そういうことよ」
と答える。例によって、会話になっていない。
「つまり、自宅に招待するのって変じゃない?」
「それじゃ、碧ならどうするの? 命を救ってもらったお礼に、チョコレートケーキでも持っていく?」
「そんなことはしないわ」
「それじゃ、ウナギ?」
「それも変よ」
「やっぱり、伝統的な羊羹?」
「伝統とかではなくて、とにかくこの場合は、食べ物でお礼をするのは変よ」
とあたしは主張する。桃子も
「普通のお礼なら菓子折り、食べ物と決まっているじゃない。なのにどうしてこの場合は変なの?」
と反論する。
「命を救ってもらったのに、菓子折りでは、安すぎるんじゃないのかしら」
「つまり、命という高価なものに対するお礼として菓子折りは安すぎると」
「そう言うと、なんだか品がない気がするけれど、やっぱり、そういうことじゃないかしら」
「でも、命に値段をつけるのは難しいんじゃないの?」
と桃子が言う。数字の得意なあたしは、試算してみる。
「サラリーマンの生涯賃金は2億円ぐらいと言われているから、若い有望なサラリーマンが死んだら、そのぐらいの損害ね。でもよぼよぼの老人であれば、あまり稼ぎはないので、金額は随分下がるはず。別の算定方法として生命保険があるわ。あたしのパパはいつだったか、3千万円の生命保険に入っているって言っていたから、命の値段は数千万円ぐらいが相場じゃないかしら?」
「とすると命を救えばそのぐらいのお金をもらってもいいということ?」
と桃子が尋ねる。
「そんなことはないんじゃないかしら。例えば、落し物を拾った場合はその1割程度が謝礼の目安と言われるから、命の場合も1割だとすると数百万円ってところね」
「だとすると新車が買えるわね」
と桃子は嬉しそうに言う。きっと、新車をもらえると想像しているのね。あたしは、桃子を、がっかりさせるつもりだ。
「高めに評価するとそのぐらいだけど、もっともっと安く見積もることもできるわよ」
「というと」
「例えば、お医者さんが患者の命を救うたびに新車をもらえるとおもう?」
「そんなことはないわ」
「救急隊員だって同じことが言えるわ。つまり、報酬は、労働の対価なのよ」
とあたしは説明する。
「もう少しわかりやすい表現をしてよ」
と桃子が注文をつける。
「働きに応じてお金をもらうということ。今回の場合、あたし達はお昼の1時間を使ったのだから、1時間分の労働をしたということ」
「とすると、いったいいくらぐらい?」
「あたし達の時給は、ボーナスを入れて2000,3000円ぐらいだから。そのぐらいよ」
「ということは、うな重ぐらいね」
「うな重から新車1台の間となると、相場はあってないようなものね…… 自宅に招待するってのは、それなりに心のこもったお礼ができるわね」
あたしは松島夫人の招待に話を戻す。
「でも、リフレッシュできるって、どんな自宅かしら?」
と桃子が新たな疑問を出す。
「あ! わかった。きっと温泉があるのよ。もしかしてホテル経営者で、自宅と言っているのはホテルだったりして? リゾートホテルなら、リフレッシュと言うのも納得できるわ。温泉があって、プールがあって、カクテルバーがあれば、ちょっとしたバカンス気分よ」
とあたしが言うと、桃子は別のリフレッシュを考える。
「リフレッシュと言えば、やっぱりエステとかマッサージじゃないの。エステサロンの経営者だったりして」
「もっと、ハードな、リフレッシュかもしれないわ」
「ハードって?」
「例えば、富士山の7合目の山小屋が自宅で、そこに行くまで、3時間登山しなければならないとすれば、究極のリフレッシュができそうよ。『まる1日のつもり』って言っていたから、ありえなくはないわよ」
とあたしが脅すが、桃子は冷静だ。
「そんなことはあり得ないわ。三浦半島には富士山はないわ。あるのはハイキング程度の山だけよ」
あたしは、八丈渡も一応誘ってみる。正式につき合っているのだから、可能な限り誘うようにしている。桃子に紹介しておきたいという気持ちもあったわ。だけど、アイツは、『忙しい』と断ってきた。本当に忙しいのかどうか怪しいものだけれど、そうやってあたしがアイツを疑うこと自体、情けないことだと思う。まあ、細かいことを気にしていては、アイツとつき合うのは不可能だけどね。
結局、あたし達は、水着も登山靴も持たずに松島宅を訪ねた。駅からタクシーで10分程の所に、大きな屋敷があった。表札の下には2枚の古びた看板が掲げられており、こう書かれてあった。『陶芸教室』、『料理教室』。それ以上の説明はなかった。
敷地内には純和風の母屋に、プレハブのはなれがあり、その奥は畑と竹林になっている。松島夫人はあたし達を和室に案内してくれた。和室からは、こぎれいな庭が見える。手前には、明るい日差しを浴びた芝生が広がっており、その向こうには小さいな池、そのさらに向こうには低木が広がっている。この家の主である松島氏と青年がやってきた。あたしの知っているのは苦痛にゆがんだ表情の松島氏だが、眼の前にいるのは、あたたかいまなざしをした初老の男性。杖をつき頬はやせているが、元気そうだ。隣の青年は、見覚えのある地味青年。松島氏の紹介によれば、笠間市在住、売り出し中の、つまり売れていない陶芸家だそうだ。
松島氏は丁寧に礼を言って、どうやってお礼をするのがいいのかよくわからないので、自分たちの得意なことでもてなしたいと言った。結局、午前中は畑に出て食材を確保し、松島夫人の指導のもとあたしと桃子で料理作る。午後は、松島氏にギャラリーの案内をしてもらい、さらに地味青年の指導のもと陶芸を体験することになった。
畑に出て、ウリ、青いトマト、ブドウ、みょうがを採る。夫人は数年前まで、自宅で茶懐石や精進料理を教えていたそうだ。厨房はひろく立派で、使いこまれた道具は手入れがゆき届いている。料理の好きなあたしは、夫人の説明が頭に心地よく浸み込んでいく。微妙な味付けの違いの解説は、まさに母から娘にその家の味を伝授しているようだわ。あたしのママは、そんなこと教えられるほど料理ができないし、パパはパパで、拙速を至上とするとから、微妙な味付けはできない。結局、あたしは今まで、母の味、家の味を知らずに育ったのよ。松島夫人の手ほどきは新鮮だった。好みの味を作っていく様は、芸術のようでもあるし、化学のようでもあったわ。桃子はあたしと同じくらい、つまり、かなり舌が敏感で味の違いはよくわかるけれど、それを実現するのは不得意みたい。いつもやられっぱなしのあたしは、少しだけ優越感に浸る。
豪華と言うわけではないけれど、納得する昼食を皆で食べた。松島氏は、桃子のだし巻き卵、あたしのウリの挽肉あえをきちんと評価した。良い点を誉め、悪い点も指摘する。まるで、生徒を指導する先生のようだわ。
昼食後に松島氏の案内でギャラリーを見て回る。半分くらいは氏の作品。残りは、お弟子さんや親交のある陶芸家の作品、それに古陶が少し。明言はしないが、氏はかなり名の通った陶芸家だったらしい。今は、引退して後進の育成に関わるとともに、地域の子供や愛好家のための陶芸教室を主宰している。あたしたちは、途中までは、各作品の解説をのんびり聞いていたのだけれど、氏が
「命を救っていただいたお礼ですから、どれでも好きなものを差し上げますよ」
と言ったので、それからは、もう、眼を見開き、耳を澄まし、頭の中でメモを取りながら、氏の解説を聞いた。あたしの左脳は『釉、還元性、高台、織部…… 』と耳新しい単語でオーバーフローを起こした。
「松島先生、あたしには選べそうもありません。もっと気楽な、普段使えて、割れてもいいような食器はないでしょうか?」
とあたしは音をあげた。
「ははは、そうですね。お見せしたものは、それぞれ、偶然のたまものであったり、努力と汗の結晶だったり、それこそ、命を張って守ってきたものだったり、します。一方、水上さんのおっしゃる気軽に使える食器もありますよ。あとで紹介しますから、ちょっと待ってください。熱海さんはいかがですか?」
と、今度は桃子に問いかける。
「あたしも、碧、水上と似たようなものね…… 最後の方に見せていただいた、超モダンなデザインの古陶に感動しました。ああいうものを自分でデザイン、自分で作ってみたいです」
さすが、桃子らしいわ。
「熱海さんのその熱意はよくわかります。そうやって、陶芸に魅せられていくのです。納得できるものができるかどうかはわかりませんが、できる限りお手伝いしますよ」
「それと、忘れないうちに聞いておきたいのですが、あの時の緑色のカフスボタンと奥様の身につけていらしたアゲハ蝶のブローチ。この二つ、本当はもっとあるのだと思うけれど、じっくり見せていただきたいのですけれど」
そう桃子が言うと、松島氏は一瞬、驚いた表情を見せた。