土と炎の人(その1)
その日の議論は、いつもよりも激しかった。熱海桃子が
「どう考えても、この配置はおかしいわよ。入力端子のそばに出力保護のつまみがあって、出力端子のそばに入力切り替えスイッチがあるのよ」
と声を荒げると、回路のプーさん(本名:赤倉大輔)も負けてはいない。
「おかしいのは、承知しているさ。だけど、低電圧系と高電圧系を分けてノイズ耐性をあげるには、これが一番いいんだ」
「ユーザーの立場に立ってよ。この配置じゃ使いづらいじゃない」
「ユーザーの立場に立てば、誤動作するよりは使いづらい方がましさ」
「使いづらさにも限度があるわ。これは、限度を超えているわ」
「そんなことないさ。パネルデザインで、わかりやすい表示をしてくれれば…… 」
「あー、パネルデザインに、つまり、あたしに押しつけようっていうの?」
桃子とプーさんのバトルは収まりそうにない。別に仲が悪いわけじゃないんだけれど、いい仕事をしようとすれば、ぶつかるのは自然。あたしはSEの役割を果たす。
「はい、そこでストップ! 二人とも、簡単には妥協できそうもないのはわかったから。問題を整理してみましょう。プーさん、部品を一通りこの会議室に持ってきてくれる。作りかけで配線されているものがあれば、そのまま持ってきてくれる? 桃子、もうパネルデザインは始めたの?」
「少しだけね」
「それじゃ、それを実寸大でプリントアウトしてくれる」
10分後、プーさんは部品を抱えてきた。そして、それを会議机の上に並べ始めた。桃子はボール紙にパネル図を貼って、ハサミとカッターも持ってきた。すぐにでも自分の思い描くデザインの通りにつまみやスイッチの入る穴を開けたそうな雰囲気だわ。
全体を収める箱は弁当箱大ほどの大きさ。モジュールタイプで外形はもちろん電源供給ライン、データ通信ラインも規定されているので、部品配置の自由度は限られている。
ブロック図を見ながら、部品を並べていく。配線すべき部品間は細い針金で緩く結ぶ。ユーザーが操作するスイッチや入出力は、すべて前面のパネルに配置しなければならないからパネルへ延びる配線は多い。配線と言っても、微小信号、デジタル信号、AC100V等の種類があり、不用意に配線を近づけるとノイズで誤動作することがあるわ。
例えて言うなら、道の配置みたいなものね。車、歩行者、自転車の道を配置する時に、なるべく同じ種類の道を束ねる。そうして、自動車専用道路、自転車専用道路を作る。1本の道を車と自転車、歩行者で共有すると思わぬ事故が起きる可能性がある。プーさんが考えることはこういう思わぬ事故の可能性を減らすための実装。この実装は、システムを作る時に見過ごされがちな点だけど決して侮ってはいけない点よ。
いつもならそんなに悩まないけれど、今回のモジュールは特殊で何種類もの配線が錯綜する。プーさんと桃子の議論が白熱するのもわかる。
「さて、どうしましょう」
とあたしが二人に問いかける。
「決まっているじゃない。こういう風に並べ替えてみるのよ」
桃子はそう言って部品を並べてみる。それに対してプーさんは、こことここが近いのが気になると指摘する。10通りほどを試してみるが、プーさん、桃子の両者が納得する解は見つからない。あたしは、見切りをつけた。
「どうやら、完璧な解はなさそうね。ねぇ、桃子、最初から2番目の配置をもう一回作ってみてくれる?」
「えーと、こうだったかしら?」
「そうそう。プーさんこれはどう?」
とプーさんの顔色をうかがうが、
「さっきも言ったように、ここの所で、デジタル系と小電力系が交差する点が問題だ」
とプーさんは難色を示す。そこで、もう一押しする。
「でも、他のケースに比べればましな方よ。ここの所だけ、厳重にシールド対策できないかしら?」
「簡単に、シールドって言うけれど、それ用のテストをして試行錯誤しないといけないから、大変なんだよ」
プーさんは不満そう。
「分かっているわよ。でもプーさんならできるでしょう?」
「もちろん、できるさ。しょうがない。今回は、俺が妥協するよ」
プーさんが納得して一段落ね。桃子はフォローを忘れない。
「ありがとうプーさん。やっぱり、プーさんと仕事をすると気持ちがいいわ」
プーさんは軽く愚痴を言う。
「あー 会社も家庭も心休まる所がないなぁー」
「えー どうして?」
とあたしが尋ねると
「そりゃ、どちらも、怖い女神がいるからさ」
「あはは、本当は、綺麗すぎて、ドキドキして心休まらないじゃないの?」
と桃子が笑いながら、まぜっかえすと。
「ははは。まあ、そういう面もないことはない」
とプーさんも笑いながら答える。
一段落したころに、諏訪さんが会議室にやってきた
「碧さん、桃子さん、お客さんよ。名前は松島さん」
「松島さん?」
あたしたちは、顔を見合わせた。そもそもあたしたちのどちらかへのお客なら、出入りの業者、クライアントとかいっぱいいるけれど。あたしたち二人への訪問者は珍しい。
「碧は知っているの?」
「さあ、心当たりはないわ。桃子は?」
「あたしもないわ」
それを見ていた諏訪さんは、こうつけ加えた。
「品のいいおばあさんよ」
桃子は言った。
「もしかして、化粧品の押し売りかしら?」
あたしは言った。
「あー さては、桃子、試供品をもらうためにあたしの名前使ったんじゃないの?」
「それはないわよ。いくら、あたしでも碧の名前を使うほど図々しくはないわ。妹の名前を使ったことはあるけれど。それより、碧の方が怪しいんじゃないの。まさか、ネズミ講もどきの婚活セミナーに入会して、新会員を勧誘しているんじゃないでしょうね。あたしは、そんなセミナーに頼る必要なんてないから、余計なお世話よ」
「ば、バカ言わないでよ。ネズミ講だなんて。あたしの入会しているのは、もっときちんとした結婚紹介所よ」
とあたしは、不用意に答えてしまった。
「あー セミナー通り越して、努力しないで、紹介所に頼るなんて! まったく、最近の若い子は安直なんだから」
「桃子の方が若いわよ」
とあたしが訂正する。この調子で、この話は忘れてくれれば…… と思ったが、桃子は頭がいい。機関銃のように喋った。
「それより、碧が紹介所を利用しているなんて…… どうして教えてくれなかったの? 今まで何人とデートしたの? うまくいっているの? あー もしかして、捻挫の時の相手はその紹介所の会員? 花火の時の相手は? 一体、何人を同時に相手しているの? 時間をかけてきっちり説明してもらいますからね」
全弾、急所に命中して、あたしは息も絶え絶え。その時、黙っていた諏訪さんが口を開いた。
「押し売りもネズミ講も心配しなくていいわよ」
「え、どうしてわかるの?」
「眼をみればわかるわ」
あたしたちは小さな応接室でその品のいいおばあさんにあった。諏訪さんが眼を見ればわかると言ったけれど、あたしにはよくわからない。ただ、センスがいいことはわかる。白のスーツに紫柄のインナー、胸にワンポイントブローチ(よく見るとアオスジアゲハをモチーフにしたもの)、指には結婚指輪のみ。先方から挨拶をしてきた。
「お会いするのは初めてですね。松島と申します。前に電話でお礼を申し上げましたが、改めてお礼を申したく、職場まで押しかけてしまいました」
そう言って、おばあさんはにっこり微笑んだ。なんともかわいい笑みだわ。おばあさんは続けた
「本当に、主人の命を救ってくださってありがとうございました」
そう言って頭を下げた。
おばあさんのその言葉で3カ月ほど前のパスタ屋での事件を思い出した。