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白板の好きな男(その2)

 予定通り朝9時から打ち合わせが始まった。既に机上には、鶴巻望がコピーした資料が配布されている。ユーザー向けのカラーのカタログ、取説に加えて、マル秘印の押された発注元の大手メーカーの社内資料。そこには、機械図面、回路図、主要部品の仕様書がある。鶴巻望が立ち上がって口を開いた。

「おはようございます。それでは、これから打ち合わせを始めたいと思います。最初にこの打ち合わせのアウトラインを示します」

そう言って、かれは、背後の白板はくばん、いわゆるホワイトボードに向かって、喋りながらマーカーで書き始めた。

「自己紹介、〆切等の境界条件の復習、(3原色の体験)、方針と素案、必要な部品機材の検討、役割分担、今後の予定。こんな感じでしょうか。何かつけ加えることはありますか?」

プーさんが「いいえ、ありません」

とはきはき答える。

「私の方もありません」

「では、最初に自己紹介から。えー 私、鶴巻望つるまきのぞむは入社5年目で、最初から光機課でした。ずっと、金山課長の元で、うちの売れ筋商品の性能アップとコストダウンに従事してきましたが、今回、初めて、試作と言うゼロからに近い仕事をすることになりました。どうぞよろしくお願いします」

と彼は自己紹介した。それから、彼の示したアウトラインに沿って打ち合わせは進んだ。

 白板に書くのはもっぱら鶴巻さんの役割。ところどころにきれいな図や絵を書いていく。しかも、黒、赤、青、緑を使い分けているようだ。赤は要注意点や問題点。青は予定。緑はメンバーへの宿題という具合らしい。白板には、印刷機能がついており、一面に書いては印刷、を何度も繰り返した。PCベースの打ち合わせやメモと違って、白板は図を簡単に描けることがいい点ね。記録を保存し、配布するのは、不便だけど、彼のようにきちっと書いてくれれば白板も悪くないわ。


 一通り打ち合わせを終え、括弧付でリストされた『3原色の体験』を、別室、彼の仕事スペースで行うことになった。そこは、小さな会議室ぐらいのスペースで、入口の扉の小窓も外に面した窓も黒い紙で目張りされている所が変わっている。大きめの作業机が真ん中に置かれていて、何やら大きな機械が幾つか載っている。壁には、小さめの白板と小さめのスクリーンが掛けてあるわ。

「まるで、映画館のような部屋ね」

とあたしが冗談で言うと

「なるほど、そういう使い方は考えもしませんでした。でも、そのためには、ふかふかの椅子が必要ですね。スクリーンももう少し大きい方がいいですね。どうせ、今回の仕事は、ホームシアター用のプロジェクターのためのものですから、ここをホームシアターにすることをまじめに考えてみます」

 そこから鶴巻望とあたしの『変』な漫才が始まった。

「プロジェクターはどうするの」

とあたしが聞くと、彼は、

「発注元から、試験用に、昨シーズンの最新機種を貰い受けています」

と答える。

「昨シーズンの最新って、変じゃない?」

「変かもしれません。貰い受けたのは、発注元で寿命測定用に特別に長時間使用した機材です。光源の超高圧水銀灯の方も、寿命と同じ、すなわち推奨交換時間だけ点灯したものから、その5倍の時間点灯したものまで色々もらってきました。性能が劣化した最上のセットです」

「劣化していて最上と言うのは変じゃない?」

「変かもしれません」

「それはそうと、劣化したセットだけだと、正常な状態が分からないじゃないの? つまり、私たちの開発は、正しい色を復活させるのが目的だから、正しい色が分からないといけないんじゃない?」

「さすが、水上さん、いい所に気がつきましたね」

あたしは、ちょっと誉められて嬉しくなる。そして、調子に乗って例のごとく墓穴を掘るのよねぇ。今日は気をつけないと。彼は続ける。

「実は、発注元の工場の倉庫に眠っていた新品同様の同機種も借りています。それと比較することで色の再現性を確認します」

「ねぇ。どうしてぼろぼろのお古は貰い受けて、新品同様は借りるの」

「悲しいかな、それがわが社の立場です」

「うーん。何とかしたいわね。大手が目をむくぐらいの成果を出して、ギャフンと言わせたいわね」

「全く同感です」

「所で、テスト用には何を映すの? やっぱり、つうのためのホームシアターだから、映画のブルーレイとか?」

「映画ですか、それはいいアイディアですね。さすが『黒川のマドンナ』と呼ばれる水上さんですね」

「え、『黒川のマドンナ』ですって。誰がそう呼んでいるの? 初耳だわ」

「私がそう呼んでいます。私にとってはマドンナですから」

とにこにこしながら彼は言った。つまり、彼の『あこがれ』の対象ということ。あたしは、誉められて、完全に調子に乗って謙遜した。

「はあ、ちょっと鶴巻さん、勝手に名前つけないでよ。『松葉杖の女』とか『屋上で脱いだ女』とか根も葉もある呼び方ならわかるけど。もっと根拠のある呼び方はないの?」

と口が滑ると、彼は驚いて言った。

「えー! 『屋上で脱いだ女』って本当なんですか? 僕はてっきり、根も葉もない噂だと思っていました。どうして脱いだんですか? 詳しく教えて下さいよ」

 あたしの脳は3秒間停止した後に動き出した。

「教えられないわよ。恥ずかしいから」

と小声で答えた。それから普通の大きさの声で言った。

「とにかく、話を戻しましょう。えーと、えー 映画のブルーレイ。ブルーレイを経費で買えない?」

「いいですねぇ。どんな映画がいいですか?」

「そうね。古典的なチャップリンは? 例えば『街の灯』とか」

「あ、もしかして、マドンナは映画通だったりして。『街の灯』はいいですよね。手配をお願いします」

 もしかして、もしかして、彼も映画が趣味なのかしら? これは、いい兆候。その後、あたしたちはふかふかの椅子をどうやって調達するかで盛り上がった。そして、彼はあたしのことを『マドンナ』と呼ぶようになった。プーさんは、つまらなそうに聞いている。肉体派には映画の素晴らしさがわからないのよ。

 あたしたちだけで盛り上がった所で、今度は彼の『3原色体験教室』が始まった。

「色、正確には、光の波長の正体を突き止めたのはニュートンです」

「ニュートンって万有引力の?」

「そうです。こんな風にプリズムを使って、光を七色、つまり波長ごとに分けました」

そういって、彼は、窓の黒紙にあらかじめあけていた小さな正方形の蓋をあけた。太陽光線を筋となって室内に入り、大きな机に当たった。彼が、そこにプリズムとレンズをセットすると、壁のスクリーンにきれいな虹が現れた。

「あら、きれいね」

「当時、プリズムで虹ができるのは、知られていましたが、プリズムが白い光に色をつけるのだという説がありました。丁度、ミルクにジャムを入れて混ぜると薄赤くなるように」

「その表現は、わかりやすいけれど。ミルクにジャムは変じゃない」

「変ですかねー。おいしいのですが…… とにかくニュートンが偉かったのは、こんな風にもう一度プリズムを通しても赤は赤のままで変わらないこと、それから、こんなう風にもう一度虹を集めると白ができることを示した点です。こうい実験をして、白い色は、実は色々な色が混ざったものだと説明したのです」

「確かに白は無色、色がついていないように感じるけれど。ほら、白無垢って言うように、けがれのない白って言うけれど、本当は色々混ざってるのね」

「実は、光の波長は無限に沢山ありますが、人間の目は3つの異なる波長領域を感じる視細胞があります。つまり3種類の視細胞があって、赤っぽい光を感じる細胞、緑っぽい光を感じる細胞、青っぽい光を感じる細胞があります。3種類の細胞の感じた強さで色を判断します。逆に色を作りたい時は、赤っぽい光、緑っぽい光、青っぽい光を出す光源を用意して、それらの強さ、あるいは割合を変えていけば、人間の感じる色を作り出せます。では、それを実演してみましょう」

そう言って、彼は、3つのLEDと3つのスイッチがつけられた基板を持ちだし電源に繋いだ。それから室内の照明をほんのり周りが見えるぐらいまでに暗くした。この部屋の照明は調光できるのだわ。

 彼は、一つの目のスイッチを押して赤いLEDを点灯させた。二つ目のスイッチで緑色のLEDが点灯し、三つ目のスイッチで青色のLEDが点灯する。

「これら、赤、緑、青にたいして、赤を感じやすい細胞、緑を感じやすい細胞、青を感じやすい細胞が、それぞれ反応します」

 次に彼は、3つのLEDを覆う1つの白い箱をかぶせた、上面には半紙のような薄い紙が張ってある。もう一度、それぞれのLEDを点灯させると、半紙が赤、緑、青を映した。丁度、行燈か、影絵の背景のように。こうすると、もはやLEDは直接見えず、3つのLEDの光は半紙を照らすので、3つの光を混ぜることができる。つまり、絵具を混ぜ合わせるパレットの役割を担うのがこの半紙なのね。

「では、ここで、クイズです。赤と青を混ぜると何色になるでしょうか?」

「簡単だわ、絵具と同じで紫よ」

「正解!」

そう言って、彼は赤のスイッチと青のスイッチを押した。そうすると半紙は紫色に染まった。

「第2問は、赤と緑を混ぜるとどうなるでしょう?」

「えーと……、何色かしら?」

とあたしが答えられないでいると、プーさんは

「黄色か黄緑」

と答えた。

「正解! このLEDの場合は黄緑になります。では最後の問題です。青と緑を混ぜると何色でしょう?」

あたしが

「青緑」

と答えると、彼は、

「安直ですね。そもそも青緑ってどんな色ですか? 説明できますか?」

「青緑は、青緑だわ。それ以上の説明はないわ」

「本当ですか? まあ、いいことにしましょう。このLEDの場合は、ほら、こんな風に水色になります。もう少しバランスを変えると青緑になります。つまり、青緑も正解です。 そして、この3つのスイッチを全部押すと…… こんな風に白ができあがります」

「へぇ―、色って面白いのね」

とあたしは、素直に感心した。


 総合課に戻って、早速、桃子に報告をした。

「ねぇ、桃子、聞いてくれる?」

「いや! 今、忙しいから」

「いやでも聞いてよ」

「どうせ、鶴巻君に、誉められたとか言うんでしょう」

「えー、どうしてわかるの?」

「そのにやついた顔を見れば、わかるわよ」

そう言って、桃子は、視線を図面が映った大きなモニターに戻した。

「じゃー 聞かなくていいわよ。あたしが勝手にしゃべるから」

そう言って、あたしは話した。

「鶴巻望はあたしのことを『黒川のマドンナ』って呼んだのよ」

桃子は眉をピクピクさせて反応した。

「どうして、碧がマドンナなの?」

「さあ、どうしてかしら。桃子の流し目も効かなかったのにねぇ」

あたしは、少しだけ勝ち誇って答えた。挑発された桃子も黙ってはいない

「『黒川のマドンナ』はあたしよ。マドンナの座は渡さないわ」

「いいじゃなの、一つぐらい。桃子は、『プリンセス黒川』とか、『総合課の姫』とか、いっぱい名前を持っているじゃない」

「いっぱいでもないわ。数なら碧の方が上よ。『いるかに好かれた女』とか『屋上で脱いだ女』とか、色々あるじゃあない」

「あ、もしかして、『屋上で脱いだ女』って、桃子が言いふらしたの? ひどいわ」

「それはないわよ。碧の味方のあたしがそんなこと言いふらすと思う?」

あたしは、首を横に振る。

「あたしの見立てでは、『屋上で脱いだ』を言いふらしたのは、客観的事実が好きなうちの課長じゃないかと思うだけど」

そう言って、桃子は視線をキューピー課長に向けた。

「たしかに、客観的事実が好きな課長なら、ありえなくもないわね…… とにかくマドンナの座はいただいたわよ」

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