表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/61

白板の好きな男(その1)

 社内キックオフ会議、つまり、今回のプロジェクトの初会合は、光機課の課長の司会で始められた。つまり、これは、隣の光機課とわが総合課の合同プロジェクトだけど、受注し責任を持つのは光機課であることを意味するの。合同プロジェクトといっても、実際に動くのは光機課の1名と総合課の1名プラスアルファ。総合課の1名プラスアルファは、あたしと回路のプーさん(本名:赤倉大輔)。会議メンバーには、さらにうちのキューピー課長(霧島課長)が加わる。


 総合課のキューピー課長と光機課の課長(金山謙一)は、犬猿の仲という噂があるわ。わが社の本家と利益部門の分家を代表するわけだから、仲が悪くてもおかしくないのだが、噂は二つある。もともと本家にいた二人は、ライバルで、光機課を立ち上げる時のごたごたで仲が悪くなったというのが一つ。もう一つは総合課の諏訪さんをめぐって激しい争いがあったというもの。でも、表面上は仲が悪いようには見えないし、諏訪さんが結婚した相手はどちらでもないので、この二つの噂の信ぴょう性は怪しい。

 金山課長は、光機課の立ち上げのきっかけになった製造業向けのレーザーを用いた測定器を開発したそうだわ。だから、自分が光機課を引っ張って行くんだという意識がある。よく言えば、リーダーシップとカリスマ性を備えているけど、悪く言えば、ワンマンで強引と言える。この分野で利益を出し続けるのは、並はずれた努力が必要で、ちょっと気を緩めると、すぐに大手に追い付き追い越されてしまうわ。その点、光機課はよくやっていると言えるし、金山課長にたいする社内の評価は高い。光機課の目下の課題は、新商品の開発。そのために、有能と思われる課員には、積極的に新しいプロジェクトを引き受けさせているが、今の所は、売れそうな商品はできていないみたい。

 あたしと一緒に仕事をすることになった光機課の1名は、鶴巻望つるまきのぞむ。小柄で、一見するとおとなしそうな男。年齢は、30半ばのようにも見えるが、繊細な手の年齢はあたしと同じくらい。ちょっと変わっているのが、上から下まで黒づくめの服を着ていること。黒の半袖ポロシャツ、黒のスラックス、黒のウォーキングシューズ。髪は黒で、ところどころ白髪の束がまじっている。同じ社内なので、以前、見かけたような気がするが、はっきり印象に残っているわけじゃないわ。だいたい、光機課の人間は、みな、地味で同じように見えるよ。反対に、光機課の金山課長は、100m離れていても、すぐ分かるぐらいの金ぴか主義。金ぶちのメガネ、金のネクタイ、金の腕時計、金の結婚指輪、ピカピカに磨かれた革靴。スーツは明るい色で、絶対に紺や黒は着ない。


 世の男性は2つに分類できる。あたしの恋愛対象、結婚相手となり得るのか。なり得ないのか。実に単純な分類。この分類は、かなり機械的にできる。恋愛対象、結婚相手であるためには、まず、独身であること(不倫は論外。大抵の不倫では、不幸になる人が必ず一人はいるから)。また年齢が適正な範囲にあること。それから、日本語でコミュニケーションできること(あたしは、日本語以外はほとんどできないので)。もし、相手が対象であれば、次に値踏みをする。つまり値段をつけていく。32,000円ぐらいであれば高値。4,980円ならお買い得という具合に。相手が自分で値段を表示してくることもあるわ。後が恐ろしい1円入札なんてこともあるから、できる限り自分で値段をつけていく。

 金山課長は明らかに恋愛の対象ではない。会議中、あたしは、光機課の鶴巻望をちらちら見ながら分類する。はたして、あたしの恋愛対象、結婚相手となり得るのか。結婚指輪はしていないので、今の所、対象となり得るわ。もう少し情報がほしいところだけど、後でうちの課の誰かに聞いてみればいいわ。まあ、これからいやでも顔を合わすから、ゆっくり考えればいい。そう思って、あたしは会議に集中した。


 受注した仕事は、『ホームシアター用プロジェクターのリフレッシュ機構の試作』

 金山課長がプロジェクトの説明を始めた。ホームシアター用には液晶プロジェクターが多く使われている。この心臓部は、光源となる超高圧水銀灯と色を作るための透過率可変の液晶パネルである。この両方とも経年変化で劣化する。その劣化を補償する機構を試作してほしいと懇意にしている大手メーカから依頼があったのだ。アイディアはしごく素朴で、劣化して特性が変化するのをモニターして、光源の電流や液晶パネルの印加電圧を補正するというもの。それができるようになれば、品質を落とさずに、メンテナンス、つまり光源交換等の頻度を下げることができ、コストダウンになる。ただし、注意しなければならないのは品質。ユーザーの目が肥えてきて、色の再現性にうるさくなったとのこと。受注した仕事(試作)で求められるているのは、(1)そもそもこのアイディアが実現可能なのかどうか。(2)可能だとして性能(色の再現性)はどのくらいなのか、(3)製品にする場合のおおよそのコストと大きさ、の三つだ。説明と簡単な質疑を終えて、金山課長は最後にこのプロジェクトの指揮は鶴巻君が取ると付け加えた。これだけ、境界条件を明確にしてくれると、こちらはやりやすい。後は、彼(鶴巻望)との役割分担を決めて前に進むのみね。


 会議が終わって、鶴巻望は、あたしとプーさんに声をかけてきた。

「あらためて、よろしくお願いします」

彼は、なにが嬉しいのか、にこにこしている。指揮をとれるのが嬉しいのかしら、それとも仕事が楽しそうなのかしら? もしかして、もしかして、あたしと仕事ができるが嬉しいのかしら。あたしは、この所、社内で知名度を上げている。昔からの『総合課のザル(酒豪)』に加え、最近では、『イルカに好かれた女』とか『松葉杖の女』とか、『屋上で脱いだ女』とか言われることもある。

「こちらこそ」

とあたしは、軽く、力まずに返答する。

「明日の朝一で、うちの課のブリーフィングコーナーで、打ち合わせをしたいのですが、赤倉さん、水上さんよろしいでしょうか」

「ええ、いいわよ」

「それまでに、この資料を勉強して、必要な部分のコピーを配布し、役割分担を決められるようにしておきます」

「分かった、任せるわ」

と、早くもあたしは、お任せモードに入る。

「ところで、主に水上さんと仕事をすることになると思うのですが、水上さんは光の3原色は、知っていますよね」

と彼が聞いてきた。

「えーと、RGBとかに使われているんじゃなかったかしら。今まで白黒の世界で生きていたから、色については自信ないわ」

と正直に答える。少なくとも、仕事で色が出てきた記憶はない。

「なるほど。それじゃ、ちょっとしたデモも準備しておきますね」

そう彼は答えた。また、にこにこしている。いやらしい笑顔ではないので、心配していないけれど、にこにこする理由が分からないので、あたしは落ち着かない。


 課に戻ったあたしは、早速、桃子の所に行って、聞いた。

「ねぇ。光機課の鶴巻望つるまきのぞむって知っている?」

「ああ、彼ねぇ。碧の知りたいことで、教えられることはあまりないわ」

「まるで、あたしの知りたいことが何か分かっているみたいな言い方ね」

とあたしが聞くと

「その眼を見れば、すぐ分かるわよ。(1)既婚なのか独身なのか。(2)恋人はいるのかいないのか。(3)悪い噂はないか。と言った所でしょう。普通なら(4)仕事はできるのかどうか、も聞きたいはずだけど、その物欲しそうな顔からすると、当面(4)は気にしていないようね」

と答える。いつもながら、桃子の読心術には感心するわ。

「大当たり。で、答えは?」

「(1)は独身」

あたしは心の中で『ラッキー』と叫んだ。桃子は続ける。

「(2)は、よほどステディな相手がいるか、あるいは、女には関心がないゲイかのどちらかと思うわ」

「ええー どうして、そんなことわかるの?」

「だって、あたしの3種類の流し目に、全く動じないから」

「はあ? 3、3種類もあるの? 今度、あたしに教えてよ。ご飯おごるから」

「むり、無理。碧には、せいぜい1種類もできればいい方よ」

と、桃子はすげない。

「とにかく、あまり期待しない方がいいってわけね」

「そういうこと。期待率は10%ぐらいね」

「じゃ、(3)の悪い噂は」

「それはないから、安心していいわ。でもいい噂ならあるわよ」

「それは、今は、聞かないことにする。後で、落胆したら、聞いても仕方ないから」

とあたしは、断った。この時、それを聞いておかなかったことを、後で後悔することになった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ