道産子ゴースト(その4)
あたしは、発言したいのを我慢して、さとる君が口を開くのを待った。
「さて、どうしよう。碧先輩、どうしましょう」
「そうねー。やるべきことを整理してみて」
「えーと。歯車を新品に交換する。つつかれてもいいように対策する」
「優先順位は?」
「まず、明日の知事の視察に間に合わせるのが大事ですから、それに間に合うようにする必要があります。歯車がすぐ入手できるのであれば、交換します。つつかれてもいいような抜本的な対策は時間がかかるかもしれないので優先順位は劣ります。歯車の方が優先度が高いですが、明日までに入手できないとすると、別の手を考える必要があります。歯車を選定したのは、桃子先輩ですので、まず電話してみます」
そう言って、電話をした。桃子の話によれば、特殊なものではないので、模型店、例えば秋葉原の模型店でも入手できるのではないかとのこと。
「秋葉原によって、ここに来るとしても、あと二、三時間は余裕があるわね。さとる君、確実に入手できるよう桃子にお願いして。それから、口ばし攻撃の件も説明して、いいアイディアがないか考えてもらって」
とあたしは、さとる君に指示した。
「さて、桃子に考えてもらっている間に、あたしたちも考えてみましょう。歯車を二時間後に入手したとして、それまでにやっておくこと、それからやることは何?」
さとる君は答える。
「まず、壊れた歯車を取り出します。この構造だと、ネジを何本か緩めればいいので難しくはないでしょう。ただ、手持ちの六角レンチのサイズが合うかどうかは心配です。インチ規格は、持ってこなかったので、早めに確かめて、なければ持ってきてもらいましょう。新品の歯車に交換するのも問題はありません。その後は、動作確認ですが、この状況なら、自己診断モードで確認するのが手っ取り早いでしょう。自己診断モードで新たな問題が発見される可能性は低いです。今の所、エラーコードは羽の動作1か所だけですので」
「まだ、すこし、時間がありそうね。口ばし攻撃の対策はどう?」
あたしは、さっきから黙っている片品嬢をちらりと見る。片品嬢はうっとりするような眼でさとる君を見ている。こりゃー完全に惚れたわね。さとる君は考え考え答える。
「物理的に攻撃を防ぐのが単純だと思います…… なにか硬いもので保護をする…… いっそのこと、防弾チョッキや、鎧を着せるのはどうでしょう?」
片品嬢は論外という眼を向ける。
「では、プロテクター、つまり、ファールカップのようなものをつけてはどうでしょう?」
片品嬢が尋ねる
「『ファールカップ』って何ですか?」
「金的を保護するためのもので、格闘技や野球の選手が身につけます」
「きんてき?」
「つまり男性の急所です。ここを蹴られたり、ボールが当たったりすると、大変なことになるので、プラスチック製のお椀のようなものをかぶせます」
片品嬢は顔を赤らめている。かわいいわねぇ。
「それは、いいわね。薄い金属板か、あるいは滑りの良いテフロンシートか。桃子に電話して」
とあたしは言った。桃子とプーさんもほぼ、同様のことを考えていた。材料をそろえて、途中、歯車屋によって、こちらに向かうとのこと。
桃子、プーさん達が到着したのは、二時間ほど後だった。歯車の交換、テフロンのプロテクターの取り付けも滞りなく終わり、さとる君と片品嬢で、ペンギン水槽の陸地部にペンちゃんを設置する。電源コードとモニター用のLANケーブルも敷設する。周りの生きているペンギンはおとなしく見守っている。あたしたちは、ペンギン水槽の裏側の作業スーペースでPCとペンギン水槽を見守る。
「では、電源入れます」
そう言って、さとる君は電源プラグをコンセントに差し込む。PCのモニターでは、ペンちゃんシステムのOSが立ち上がるのが分かる。OSのチェックを経た後、ペンちゃんコードが自動起動される。まず、最初に自己診断プログラムが実行される。PCのモニターには、コマンドログ画面があり、指令のリストが表示される。自己診断モードに入ると、ペンちゃんは各部位を動かす。首、眼、羽、尻尾、それから鳴き声も全フレーズをテストする。今の所、順調。羽も問題なさそうね。
「自己診断モードが無事に終わって、通常モードに入りました。片品さん、中に入って、ペンちゃんに声をかけてもらえます」
とさとる君が言うと、わかったと言って片品嬢が中に入っていく。片品嬢がペンちゃんに挨拶をすると、何とペンちゃんは羽と尾をふって、嬉しそうな鳴き声を返す。一方、PCの音声チップモニター画面には、人間2を認識したこと、パターン2-3の応答をしたことが表示される。片品嬢が出ていくと、ペンちゃんはランダム応答を断続的に繰り返す。
「あ、ペンギンが1匹、近づいてきたわ。でもペンちゃんはなんにも応答しないわ」
「ええ、カメラはなく。音だけで外界を認識しているので、鳴いたり喋ったりしてくれないと応答はできません」
その時、近づいたペンギンが『クァークァー』と鳴く。ペンちゃんはジロリと睨む、つまり眼を動かした。
「今、あのペンギンの方に眼が動いたわ。カメラを積んでいないのになんでわかるの」
「それは、ステレオチップのおかげです。耳、つまり音声受信機が2台あって、遅れ時間から方向を特定します。眼は、音の方向に動くようプログラムされています」
ペンちゃんと、そのペンギンは鳴き声と動作でやりとりを始めた。PCには、ペンちゃんの応答パターン名、相手の個体名と鳴き声の判定、長調・短調が表示される。
「ペンギン2は、長調が多いわねぇ。片品さん、ペンギン2は、何を考えているの、攻撃して来るの?」
「答えるのは、難しいわ。何を考えているのかわかるようになれば、飼育員は苦労しない。でも、だんだん距離を詰めているから、要注意ね」
「あれ、もう1匹、近づいてきた。さかんに羽を振っている。ペンギン3だそうだ」
そのうち、ペンギン3が口ばしで軽くペンちゃんを小突く。桃子が悲鳴を上げる。
「や、やめてー。あたしのデザインした皮が……。眼、眼だけはやめてー、小樽の高級ガラスなんだから…… 」
「大丈夫よ。ちょっと様子を見ているだけだから。本当に攻撃しているわけじゃないわ」
ペンちゃんはよく防戦している。見えないはずの眼がぎょろぎょろ動いて、相手を威嚇するかと思うと、羽をさかんにぱたぱたさせたり奇声を発したり。
しばらく様子をモニターして、さとる君は言った。
「正常ですね。前と同じです」
飼育員の片品嬢も同意している。桃子は相変わらず悲鳴をあげているが、我々がやるべきことは終わったようね。
「これで、一段落ね。我々は撤退するけど、さとる君はどうする?」
「もう少しだけ様子を見ます。学習データもコピーしておきたいし。それから、明日は、知事の視察が終わるまでここで詰めていたいんですけどよろしいですか?」
そう言って、あたしと片品嬢を見る。
「会社の方はいいわよ」
「水族館も問題ありません。この作業スペースなら、お客様に見られることはないから。でも、防寒具は用意した方がいいかもしれないわ。水槽の冷気がすこしもれてくるので」
あたしたちは副館長に挨拶をして、社用車で帰った。運転はプーさん。車中で桃子がぽつりとつぶやいた。
「子供を持つって、あんな気持なのかしら。自分では手出しができないで、はらはら見守るだけ」
子持ちのプーさんが答える
「そうさな。似ていると言えば似ているなあ。子供を公園で遊ばせると、鉄棒やジャングルジムから落ちないかと、はらはらする。他の子がいれば、一緒に遊べるだろうかとか心配する。それも次第に慣れてくれば、あるいは、子供が成長すれば、別の心配をするようになる。友達からいじめられていないかとか、反対に友達をいじめているんじゃないかとか。自転車に乗るようになれば、車にぶつからないかとか、歩行者にぶつかるんじゃないかとか。教えられることは教えるけど、後は、見守るしかない。心配しながら見守るのが親の役目じゃないのかな」
「あたしにはとても親は務まりそうにないわ」
と桃子が言うと、ぷーさんは
「そんなに心配しなくてもいいよ。最初から親になるわけじゃないんだ。子供が成長していくと、こちらも成長して自然と一人前の親になるんだ」
と答える。
「そうなの?」
「そうさ。そんなもんさ」
さすがに、子持ちの親は違うわね。なんだかこちらが安心できる。包容力があるのね。