道産子ゴースト(その2)
クライアントは水族館。わが社は、大手の下請けが多く、直接エンドユーザーがクライアントになることは珍しい。なんでも水族館の副館長と課長が大学の同期で、そのつてで持ち込まれた仕事らしい。半年ほど前に通称ペンちゃんを納品したのだけど、それが最近元気がなく、とうとう動かなくなってしまったそうだ。明日、スポンサーの知事が視察に来るのだけど、何とかしてほしいとの副館長からの泣きの電話。
ペンちゃんプロジェクトのヘッドは課長補佐で、システム全体を把握しているのはゴーストさとる君。回路はプーさん(本名:赤倉大輔)が担当し、デザインは桃子(本名:熱海桃子)が担当。社に残っていたプーさん、桃子も加わって、システム図、回路図、機械設計図面を見ながら、簡単にブリーフィング。だんだん元気がなくなったことから、システム系ではなく、電気系のしかもアナログ系の問題だろうという結論になった。本当はプーさんにも一緒に行ってもらいたかったのだけど、打ち合わせが予定されていて、一緒には行けないとのこと。結局、あたしとさとる君が先発隊。プーさんは予備隊となる。この時点ですでに20分経過。今回は、さとる君がペンちゃん治療作戦の指揮をとるべきなのだけれど、いつの間にかプロジェクトには関わっていなかったあたしが指揮官になっていた。さとる君に指揮官を経験してもらうという手もあったのかもしれないけれど、その時は、皆、クライアントに指定された時刻が気になって、考える余裕がなかったの。諏訪さんは、あたしが指揮をとることを見越していたのだろうか?
プーさんとさとる君で社用のバンに七つ道具を積み込む。ドライバー等が入った道具箱。テスター。小型オシロスコープ。ケーブル等の電材の入った箱。PCケーブルと周辺機器。PC用小型データロガー。PC各1台。それに、今回のペンちゃんプロジェクトに合わせて、照度計、温度湿度計、トランシーバー。プーさんの手持ちのパーツから使えそうなものを適当にみつくろう。
彼らが荷物を準備している間に、あたしは、念のために課長補佐への連絡を試みるが、つながらず、伝言を残す。桃子に手伝ってもらって、プロジェクトファイル合計5冊を倉庫から探し出して、車に積み込む。なんせ、あたしは松葉杖を使って歩いているぐらいなので、とてもファイルを持ち歩けない。準備を終え後は出発するだけとなった。この時点で残り時間は1時間10分。焦る気持ちを抑えて見送ってくれるプーさん、桃子に言った。
「それじゃ、遠足にいってくるわ。お土産は何がいい?」
「キャラクターグッズがいいわ。Bの鉛筆とか、紐パンとか」
桃子の返事にあたしは力なく笑った。
「両方ともあり得ないわね。HBの鉛筆とか、携帯ストラップとか、似たようなものじゃ駄目かしら?」
「だめ! 本当になかったらお土産はいらないわ」
「わかった、聞いてみるわ」
と答えて、すぐに後悔した。水族館のショップで、『紐パンありますか?』って聞かなきゃいけないのか~ プーさんもお土産がほしそうな眼をしている。きっととんでもないものね。仕方なく尋ねる。
「プーさんは何がほしいの?」
「ワニの卵」
「……」
そう言えば、ワニを飼っているのだったけ。一応、答えておく。
「分かったわ。探してみるわ」
「それじゃー、さとる君、あたしとのデートにつき合ってもらうわよ」
そう言ってあたしは助手席に乗り込んだ。本当は、つき合わされるのは私の方だけど、そうでも言わないと、さとる君がかわいそうでしょうがなかったのよ。
高速は順調に流れていた。カーナビが右、左と指示してくれているが、都内のドライブは忙しい。道産子のさとる君が緊張しているのが分かる。運転していないあたしまで緊張して、結局、車中で読んだのは5冊のファイルの目次だけだったわ。
台車に荷物を載せて水族館の通用口を通ったのが、ほぼ指定時刻。もちろん荷物を運んだのはさとる君。あたしは、ワンショルダーバックパックに愛用のPCを入れて松葉杖で歩く。連絡を受けたのか、打ち合わせの会議室には、既にスーツ姿の中年の男性が一人、作業服姿を着た若い女性が一人座っていた。二十歳そこそこで、きりりとした顔立ちの美人。(同性だとついつい歳を推定しちゃううのよねぇ) 中年の男性はあたしをみるとおやっという顔をした。毎度のことなので、慣れたけれど、やっぱり松葉杖は目立つようね。先手必勝。あたしはまず挨拶をした。
「こんにちは。黒川電子工房の水上です。お世話になります」
あたしは、左手で胸ポケットからすかさず名刺を2枚抜き出して、1枚を渡す。
「初めまして、水上碧と申します」
以前、トランプのシャッフルの見事な男に会って以来、名刺を如何に速くエレガントに渡すかにはまった。それこそ手品のように必要な枚数を片手でさっと出し、一枚だけを前にだし、残りは、小指で手首の所に抱え、同時に左手を添える、この一連の動作を如何に速く、きれいに行うか随分練習したわ。昼休みに屋上で弁当を食べているキューピー課長を相手に練習したのよ。松葉杖を使うようになってからは、さらに難しくなったけど、難しいほどあたしは燃えるの。右手で名刺を取り出し、松葉杖を左わきに挟んで、バランスをとって、左手を添える
中年の男性は、慌てて挨拶を返す。
「ここの副館長をやっております五浦です。これは、現場を担当している飼育員の片品です。あなた、みどりさんとおっしゃるのですか」
「ええ」
「そうですか。霧島がみどりさんのことを『うちの秘蔵っ子のみどり』と呼んでいました」
「そ、そうなんですか」
とあたしは答える。課長があたしのことを「エースになれる人材」と呼んでいたけど、やっぱり本気なのかしら。副館長はさらに
「みどりさんのことを『うちで2番目にかわいい子』とも言っていましたが、うちの片品にまさるとも劣らぬかわいさですね」
と続ける。あの課長め! こんな所でそんな風に言っているなんて、一言多いわよ!
あたしたちは、早速本題に入る。うちの社が自律応答型ペンギンロボット、通称ペンちゃんを半年ほど前に納品した。実際にペンギンのいる水槽の陸地部分に置かれている。自律応答型というのは、本物のペンギンのように周りのペンギンやり取りができるという意味。もちろんロボットなのでペンギンのまねをするだけなんだけど、一見すると、まるで本物のように見える。周りのペンギンが鳴けば、鳴き返すし、周りのペンギンが羽をパタパタさせれば、ペンちゃんも同じように羽をふる。さらに口ばしがパクパク動くし、首もふる。動かないのは足ぐらいで、これは、電源の関係で動き回ることができないからだわ。詳しいことは知らないが、さとる君はかなり凝ったプログラムを作ったらしく、すこぶる評判がいいらしい。子供たちの人気者というだけでなく、本物のペンギンにも人気があるというから驚きだわ。
それがこのところ調子が悪い。羽はまったく動かないし、鳴き声もおかしい。人気は急落。飼育員の片品さんは、心配で夜も眠れないそうだ。もちろん、ロボットなので、餌をやるわけでもないし、せいぜい、汚れを軽く拭きとるぐらいで、飼育員ができることはほとんどないわ。
ペンちゃんはペンギン水槽の裏側の作業スーペースに置かれていた。あたしが、完成品を見るのは初めて。桃子の説明によれば、体の模様は水槽にいる王様ペンギンとアデリーペンギンを折衷したもので、表面の素材として水に濡れた時に黒光りするものを苦労して探したそうだ。自慢は目玉で、小樽のガラス工房に特注で作ってもらったそうだ。電源をつないでみると、軽くウォームアップを始める(各部位を一通り動かす)。いわゆる自己診断モードってヤツ。確かに羽が何かに引っかかったように、羽の動作が途中で止まる。その他の目玉や口ばしの動作をチェックし、もちろん鳴き声の基礎となる短いフレーズも一通り(20種ぐらいだろうか)出す。その後、通常モードに移行するはずなんだけど、動作が停止し、変な鳴き声を繰り返す。
「プープー、クォー、プープー、キュー、ピロロロ、ピロロロ、クァークァー」
あまりに可笑しかったので、あたしは思わず笑ってしまった。すると飼育員の片品さんが
「笑わないでください。ペンちゃんは病気なんです。いつもなら、あたしの呼びかけに応えてくれるのだけど、5日ほど前から、こんな変な鳴き声を繰り返すようになったんです」
「そんなばかな。呼びかけにこたえるなんて気のせいよ。とにかく、分解して調べてみましょう」
とあたしが彼女をばかにし言うと、気の強そうな片品さんも黙っていない。
「すぐに分解しようなんて。まるで、すぐ手術をしたがるヤブ医者ね」
あたしもカチンときて
「ロボットをかわいがる飼育員さんは、きっと恋人も『ロボット』ね」
あたしの視線と彼女の視線のぶつかるところで、派手に火花がバチバチと飛んだ。
ちょっとだけ誤字をなおしました。