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道産子ゴースト(その1)

 ゴーストさとる君(本名:月夜野悟つきよのさとる)にかかってきた一本の電話が始まりだった。

「もう少し状況を整理してご説明いただけないでしょうか。それを課長補佐に伝えて…… 」

「…………」

「そう言われましても、課長補佐は、本日は別件で出張しており、丁度、今頃は飛行機内と思われ…… 」

「…………」

「課長は、課長で、たまたま、本日は人間ドックで休暇を取っており…… 」

ただでさえ、声の小さい悟君は、消え入りそうな声で話している。なにかトラブルのようね。課長補佐のゆきさんも、キューピー課長もいないこの状況で、クライアントのクレーム対応はきついわね。でも、そうやって、成長していくの。がんばってね新人!

 本当のところ、さとる君は入社3年目で、中途採用された私と半年ほどしか違わないけれど、下がいないものだから新人と皆から言われる。ほとんど同期ということで、あたしはさとる君に親近感をもっている。何せ、中途採用のあたしには同期はいない。もちろん、新卒のさとる君と、中退とはいえ、大学院でみっちり鍛えられたあたしとは格の違いがあり、あたしは先輩風を吹かせている。さとる君の教育係は課長補佐で、大抵の場合、課長補佐の監督の元で仕事をする。従って、クライアントとのやり取りも課長補佐がやり、さとる君が表に立つことはなかった。痩せすぎで、根は明るいのだけど、声が小さく、覇気がない。存在感がなく、居ても居なくてもだれも気にしないので、ゴーストさとるとあたしは名づけた。でも、仕事の方はきっちりやるタイプで、時々、遅くまで仕事をして、帰りそびれているようだわ。

 いつだったか、あたしが珍しく早朝出勤したときのことだったわ。PCに向かって仕事を始めて、しばらくたった時。何か匂うわ、と後ろを振り向いたら、さとる君が立っていた。心臓が飛び出るくらいびっくりしたけど、あの時のさとる君は幽霊そのもののようだったわ。あたしを見るともなく見ていて、視線は、あたしを通り越して、PCの画面を見つめているようだった。よく見ると、ズボンの代わりにジャージをはいて、髪の毛は寝ぐせで派手に立っていて、明らかに1分前に起きたという格好だったわ。おまけに寝起きの匂いがした。あたしは言った。

「ちょっ、ちょっと。ビックリさせないでよ。心臓が止まるかと思ったわ。寝起きのなの? 何を見ているの?」

「起きているような、寝ているような。女神が見える」

「はあ?」

「夢を見ているのかもしれない。碧先輩って、本当は人間ではなかったんですね。コンピューターに住みついた女神だったんですね」

「な、何を言っているの? 寝ぼけていないで、顔洗ってきなさい。ついでにジャージも脱いでズボンをはきなさい。さらについでにシャワーでも浴びてきたら」

「はい、わかりました。女神様」

そう言って、さとる君は、その場でジャージを脱ぎ始めたので、あたしは慌てて言った。

「ジャージは後でいいから、まず、洗面所に行って顔を洗ってきなさい」

「はーい」

 元々、さとる君の視線はあたしをブスブスと刺すようなことはないのだけれど、あまりに視線が弱く、さすがのあたしでもわからないことが多い。この時もそうだったけれど、時折、弱く、それでいてやわらかな視線であたしを見つめることがあるの。もしかして、恋愛感情? と思ったこともあるけれど、今のところ、その気配はない。もし、恋愛感情があるとすれば、さとる君は究極の草食系ね。おっと、恋愛感情を持つ前に、毎日、シャワーを浴びて、清潔にしてほしいものね。


 クライアントとの電話が終わった、さとる君は、いつも通り覇気がなく、いつもより少し憂鬱そうな顔をして思案をしている。どうするのかと思って、ちらちら見ていると、彼は、諏訪さんの所へ行って、相談を始めた。諏訪さんは、うちの課で唯一制服をきているおばさんで、事務を担当している。人あたりがよく、面倒見がいい、噂では、課長と同期で、そうだとすると、この課の最古参よ。うちの課のNo.1、No.2は当然、課長、課長補佐だけど、No.3をあげるとすれば、諏訪さんでしょう。さとる君もそのあたりは心得ていて、相談したのね。まあ、さとる君はさとる君で頑張ってもらって、あたしは、眼の前の仕事に専念、専念。

 なにか匂うわ、と振り返ると、さとる君が立っていた。

「い、いつから立っているの?」

「一分前からです」

「何をしているの?」

「立っています」 

「そんなのわかっているわよ。諏訪さんと相談したのでしょ。やることあるんじゃないの」

とさとる君にプレッシャーをかけた。彼は、北海道育ちなのだ。あたしの知っている道産子は、皆、彼と同じようにのんびりしている。この忙し世の中、こちらが心配になるぐらいのんびりしてる。それでいて、ちゃんとやっていけるのだから羨ましいわ。さとる君はいつもより少し大きな声で

「1時間50分後です。クライアントの所に出頭するのが」

とさとる君は言う。

「それで、準備はできているの?」

「いいえ、まだです」

「じゃー準備したら」

と、いつものように冷淡に答える。

「やっぱり、車の方がいいでしょうか?」

どうあっても、あたしのアドバイスをもらいたいらしい。あたしはこう言った。

「持っていく荷物によるわね。クライアントの所で、色々試験して調査しなければならないでしょうから、パソコン以外に、測定器もいくつか必要ね。重いもの、かさばる物、デリケートで慎重に運ばなければいけないもの、そういう荷物がある場合は車でしょう。一番重いものは何キロぐらい?」

「50キロぐらい」

「結構、重いわね。長さは?」

「160cmぐらい。バストは80cmぐらいかなぁ」

「バスト? バストって何?」

「胸囲」

「脅威?」

いかん。話が通じないわ。

「怪我をしているので、慎重に運ばなければなりません」

とさとる君は言って、棚に立てかけてあるあたしの松葉杖を見た。あたしも松葉杖を見る。さとる君の話とこの松葉杖が関係あるの?

「…………」

「体重50キロ、身長160cm、バスト80cmで合っていますか?」

と、彼はあたしに視線を移した。あたしは、思わず答えた。

「し、失礼ね。体重は47キロ、身長161cm、バストは85cmよ。よく覚えておきなさい!」

「はい、よく覚えておきます」

ようやく、あたしの左脳が事態を理解し始めた。もしかしたら、あたしも道産子かもしれない。

「つまり、あたしが、そのー 『一番重い荷物』というわけ? なんであたしが『荷物』なの?」

「『荷物』の話を言いだしたのは碧先輩ですよ。僕は、『車がいいでしょうか?』と聞いただけなのに」

どうやら、話の前提条件が、二人で全く違っていたようね。あたしは観念した。

「つまり、あたしが、さとる君と一緒にクライアントの所に行くということね。それは、諏訪さんの入れ知恵?」

「はい、半分はそうで、残りの半分は僕の希望です」

「高くつくわよ。この『荷物』は」

「はい、何でもします」

「何でも?」

「はい、シャワーも毎日あびます」

あたしは、鼻をヒクヒクさせた。


 こうして、さとる君とあたしの二人で、クライアントに対応することになった。

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