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アロハな男(その3)

アイツは、真っ赤な手の臭いをかいで、さらに、指先をなめる。何やってのよこいつは! 吸血鬼か! やおら、アイツは遠巻きに見ている人だかりに叫ぶ。

「おーい。大丈夫やでー、血じゃない、血じゃない。トマトジュースや。救急車呼ばんでもええよ」

あ、あーそう。そうなの。刺されてないの。あたしは生きているのね。安堵で思考が止まる。

 激痛で動けないあたしの上半身をアイツが起こしてくれた。見ると、左胸からお腹にかけて、チェックのワンピースが真っ赤に染まっている。トマトジュース? ようやく自分がトマトジュースを買ったことを思い出した。

「足が痛いんか?」

「痛いわ、右足首が痛くて死にそうよ」

アイツは、不用意にあたしの右足首に触る。

「痛い!」

また、涙がでる。

「ごめんごめん。折れたかなー」

アイツは叫んだ

「すんません! やっぱ、救急車呼んでもらえます?」

それから、アイツは、あたしの膝と首の下に手を入れて、今度は、そーっとあたしを横抱きに抱えて持ち上げった。いわゆるお姫様だっこだ。え、ちょっと、恐いんだけど、落とさないでよ! あたしは、アイツの首に腕をまわしてしがみついた。恐いのと恥ずかしいので、一瞬痛みを忘れたわ。そのままそーっと椅子に座らせてくれた。ついでにメガネもかけさせてくれた。こっちの方は無傷。あたしの足は、まっすぐ伸びている。足先があらぬ方向に曲がっているわけではない。とすると骨折ではなくて捻挫? わざわざ救急車を頼むほどでないかもしれない。右足首はすでに腫れ始めてジンジンする。左足首、あたしの自慢の細い足首、と比べると右足首はあたしの足ではないみたい。どこかの彫像のようにがっしりとした足首だ。あたしは、恐る恐る、立ち上がりながら体重をかけてみる。痛い! だめ、立てない、歩けない。


 救急車はすぐやってきた。隊員は、あたしのトマト染めを見て、一瞬ぎょっとする。サイレンを鳴らして近くの救急外来へ連れて行ってもらった。もちろん、アイツも一緒。車いすに載せてもらって、レントゲンを撮って、診察を受ける。会う人誰もが、最初に、ぎょっとする。トマト染めは相当インパクトがあるみたい。痛いのと恥ずかしいのとで、あたしの顔色は、青と赤を混ぜた色、つまり、紫色だったと思うわ。

 お医者様の診断では、捻挫。大きな骨折はしていないが、小さなひびはあるかもしれない、明日、再度、どこかで受診し詳しいレントゲンを撮ってもらって下さいとのこと。湿布をして、包帯でぐるぐるに巻いた。あたしは、(昔あこがれていた)松葉杖を借りた。アイツは、あたしのバッグと片方のパンプスを持ってせかせか働いていてくれる。ぼーっとした頭で、考えた。もしかして、あたしが怪我をしたことに責任を感じているのかしら。それで、あたしのために働いてくれの? 責任を感じる必要は微塵もない気がするけど、後でよく考えてみるわ。調子が悪いと、すぐ考えるのをやめるのがあたしの悪い癖ね。


 アイツは、どこからか持ってきた手ぬぐいであたしの胸とお腹をごしごしこすったり、診察代のお金を出すために、バッグの中をひっかきまわして、あたしの財布を勝手に取り出したり。勝手放題しているわ。しかも、いちいち声にだす。

「俺は、好きでお前の胸を触ってるやないで、トマトのしみを落とすためやで」

「保険証なんか持ってへんわな」

「ぎょうさん、お金もっとるね」

「さっき脱いだパンストは丸めて内ポケットに入れておくで」

あたしは相手をする気力もない。挙句の果てにアイツは、こんなことを言った。

「あ、化粧道具らしきものがあるで。これで、涙で崩れた化粧、直した方がええかも」

この言葉にあたしはキレた。

「こら、この無能ガイド! 15分間、黙っていなさい!」

あたしは、アイツからバッグを奪い取って、袈裟がけにすると、松葉杖を使う練習をしながら洗面所へ行った。

 15分後、化粧を直して、洗面所から戻ってくると、アイツは、しょんぼりしている。あたしが、

「15分たったから喋ってもいいわよ」

と言うと

「あー、助かった。黙っているのがこんなに辛いやなんて」

と答える。なるほど、アイツは黙り恐怖症ね。

 とにかく、早く家に帰りたかった。そこで、あたしは

「ガイドさん、今日はありがとう。あたしは帰ります」

と言った。

「電車ですか?」

「ええ、電車よ…… でも、この服じゃ…… やっぱりタクシーで…… 」

「タクシー代なら、俺が出します」

「ガイドさん、320円しかもっていないんじゃなかったの」

「お、おっしゃる通りですわ」

ここから、家までのタクシー代なんて想像できないわ。かと言って、このトマト染めのワンピースで電車に乗るのは…… 。いちいち、大声で説明して回るわけにもいかないし。ワンピースを脱ぐわけにもいかないし。かと言って、コイツからアロハシャツを奪って、あたしが羽織れば、コイツが裸になるし。う~ん、どうしたものかしら。


 アイツが、おずおずと申し出た。

「あのー 俺の知り合いが近くに住んでるんで、そこに行きましょう。適当な着替えがあるはずですわ」

そう言って、あたしの意見も聞かずに携帯電話をかけた。

「もしもし、あ、俺、わたるや」

電話から、女性のきゃぴきゃぴした声が聞こえてくる

「あー わたくん、久しぶり元気?」

何度がやり取りして、車で病院まで迎えに来てくれることになった。『わたくん』って呼んでいたけど、一体、この女性とアイツはどういう関係なの? アイツは電話を終え、あたしに言った。

「迎えに来てくれるって」

「誰が迎えに来てくれるの? また、『別の女』とか言わないでよ」

「女は女やけど、『別の女』ではないんや」

「『別の女』でなければ『同じ女』?」

「そうやないけど。ややこしいから、後で説明するわ」

誰が出てくるのかわからないけど、着替えがあるんならいいわ。そーっと椅子に腰をおろした。疲れたし、お腹がすいてきた。そう言えば、あたしのシナモンベーグルはどうなったのかしら。


「今日は」

威勢のいい声が聞こえた。見上げると、30代くらい、ショートカットで、見るからに明るい女性が現れた。ジーンズにTシャツ。その上に白のカッターをはおっている。カッターには、点々とカラフルなペンキ? 絵具? がついている。よく見るとジーンズにもついている。アイツは言った。

「さゆりねえ、早かったやないか?」

「早いでしょう。近いからね」

お姉さん? でも関西弁じゃないわ。とりあえず、あたしは挨拶をした。

水上碧みなかみみどりです。お世話になります」

「私は、八丈はちじょうさゆり。わた君の義理の母よ」

義理の母? でもあたしとそんなに歳が変わらないように見える。それにさっき姉と言ったように聞こえたけど? 

 彼女はあたしの包帯を巻いた足をみて

「痛そうね。大丈夫?」

「あんまり、大丈夫ではないです」

とあたしは答える。彼女は、さらにあたしの頭の先へと視線を移していく。あたしを値踏みする視線だ。

「わた君のガールフレンドがかわいい子で良かったわ」

どうやら、あたしは合格したらしい。でも、いったい何に合格したのかしら。

「それじゃ、行きましょう。わた君、この子をおぶってあげたら?」

なるほどー おんぶという方法があったわ。さっきの横抱きは怖かったけど、おんぶなら…… するとアイツは

「おんぶしたら、俺のシャツにトマトジュースが付くやないか」

なるほど― だから、さっきは、横抱きしたのね。ちょっと恐かったけど、なんだかお姫様になった気分だった。また横抱きしてくれるのかしらと、あたしは、浅はかな期待をしていた。

「歩かした方がええよ。松葉杖の練習せなあかんし」

とアイツは、あたしの期待を打ち砕いた。


 あたしたちはかわいいドイツ車で彼女のマンションへ行った。あまりに飛ばすので、気分が悪くなりそうだったわ。最上階に近い一角が彼女の家。家の中は、程よく散らかっている。読みかけの新聞に雑誌。テーブルの上には、紅茶カップにティーポット、何かのデザインを描きとめたスケッチブック。でも、なにか変だわ…… そう、男の人の影がない。彼女の夫で、アイツの父親が住んでいる雰囲気がないのだ。アイツも珍しそうに部屋を見ている。

「へぇー さゆり姉は、こんな所に住んでいるんだ」

彼女は答える

「そういえば、わた君、ここに来るの初めてね。何回誘っても、来なかったのに、今日はどういう風の吹きまわし?」

いたずらっぽく彼女は続ける。

「なんなら、今晩、この家をかしてあげましょうか? 私はパパの所に行くから。二人で一泊してもいいわよ」

あたしは、慌てて答えた。

「え、遠慮しておきます」

「そう、残念ね。まあ、いいわ。そう言えば、着替えが必要なのよね。それじゃあたしたちは着替えを探すから、わた君はピザを注文してくれる。その辺にチラシがあったと思うわ。二人ともおなかがすいているでしょう?」

あたしたちはウンウンと頷く。


 あたしは松葉杖をつきながら、彼女の後を追いかける。彼女は、全身が映る鏡の前に椅子を置いた。さらに、トマト染めのワンピースとやはり赤いしみのついたスリップを脱がせて、あたしを座らせた。

「足を怪我しているから、ズボンはだめね。ワンピース、いややっぱりスカートとブラウスの方が着やすいかしら。体格は私とあまり変わらないから、サイズは気にしなくていいでしょう。ちょと、待っててね」

そう言って、彼女はウォークインクロゼットの方へ消えた。

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