水上流弁当士2級(その2)
会社から歩ける所にある、中華レストランに連れて行った。炒め物、中華粥、デザートを2人前注文する。何を注文したかは早由美ちゃんには教えない。作戦の要だから。作戦はこうよ。トマトの入ったメニューを頼む。彼女は話に夢中になって、気がつかないうちにトマトを口にする。半分ほど食べた所で、あたしが、『どう、おいしいでしょう。これ、トマトがはいっているのよ』と指摘する。すると、彼女は、『あらいやだ、トマトがこんなにおいしかったなんて知らなかったわ』となって、めでたし、めでたし。名づけて、トマト大作戦。
注文を終えて、あたしは美少女の早由美ちゃんに尋ねた。
「ねぇ、あたしは2番目にかわいい女の人なの?」
「えーと。それはね。パパがそう言っていたの。職場で2番目にかわいい人がお弁当の指南役だって」
「指南役?」
そう言われればそうかもしれない。
「それで、十和田さんにどの人がそうなのか聞いたのよ。そしたら、自分で探しなさいって言われて」
なるほどとあたしは納得してこう言った。
「で、1番かわいい人は、奥に座っていた見るからにかわいい人で、近くに座っていたおばさんは3番目だからと思って、あたしの所に来たのね」
「まあ、そんな感じ」
全く、キューピー課長は、迷惑な表現をするわね。『曖昧な表現はやめて、具体的に表現しなさい』といつも言っている課長らしいけど。早由美ちゃんは切り出した。
「ねぇ、ところで、パパとあなたの秘密って何?」
「ゆっくり教えてあげるわ。でも、ちゃんとご飯を食べてね」
「いいわよ、でも、あたしの質問にちゃんと答えてね」
「もちろんよ」
と早くも軽いジャブの応酬が始まった。先手は早由美ちゃんだった。
「水上さんとパパはいつからつきあっているの」
「そうね、あたしが入社してからだから、3年ね。上司と部下というお付き合いよ」
とさらっと答える。
「パパは好き?」
「もちろんよ大好きよ。あたしが、就職できたのは課長さんのおかげだし、この3年間、色々なことをたたきこまれたのよ」
と、これも難なくクリア。
「じゃー パパとキスしたことはある?」
いきなり、カウンターパンチを食らいそうになった
「キ、キスなんてあるわけがないじゃない」
「ホントに?」
そう念を押されると、不安になる。あ、そう言えば、そんなことがあったと思いだした。あたしの表情が変わったのを早由美ちゃんは見逃さなかった。
「本当はあるのね。ちゃんと説明してくださる?」
「えーと、酔っていたときだから、あんまり覚えていないのだけど…… 」
「ちゃんと思い出してください」
「うーん。飲み屋で課長の隣の席に座っていて、何かの罰ゲームで、 ……課長の頬にキスしたの」
「パパの唇ではなく、頬?」
「もちろん、頬よ」
「本当は酔った勢いでパパの唇を奪ったんじゃないの」
「そ、そんなことはないわよ…… 少なくともあたしの記憶では」
ま、まずい、完全に守勢に立たされているわ。早由美ちゃんは容赦しない。
「全く、酔って勝手に無礼講なんて、まるで子供ね」
ガーン。こどもに、子供って言われたら終わりだわ。とりあえず、料理が来たので、早由美ちゃんの分、自分の分を取り分ける。何とか話題を変えないと…… と思っていると、早由美ちゃんの方から話題を変えてきた。
「で、どうして、あたしのパパにお弁当の作り方を教えることになったの?」
「時々、課長と一緒に昼を食べていて…… 課長は自分で作ったお弁当で、あたしは、コンビニで買ってきたものを食べるんだけど…… ついつい、お弁当に目が行って、あれこれ、アドバイスしたのよ。例えば、生野菜と魚肉は触れないようにしないといけないとか、ご飯の白以外に、三色、つまり、赤、緑、黄色を入れなさいとか」
「水上さんは、お弁当じゃないの?」
「変でしょう。今は作らないけど、ずいぶん昔、高校3年生のころは、毎日、あたしと弟のお弁当を作ったのよ」
と言うと、早由美ちゃんは
「えー どうして水上さんのママが作らなかったの?」
「う~ん。どうしてかなあ。あたしのママは不器用で、パパは器用だったからかなあ。高校2年生までは、パパが作っていたわ。 ……もしパパも不器用だったら、ママが作っていたかもしれない」
「ふーん。なんだか私のうちと似ているのね」
と早由美ちゃんがつぶやく。そうなの、似ているのよ、課長とあたしのパパは。
あたしは、昔を思い出しながら、ゆっくり話した。最初に課長のお弁当を見た時から、女の人が作ったのではないという気がしていた。そのうち、課長が自分でお弁当を作っていること、一人娘の弁当を作るついでに自分の分も作っていることを知って、弁当作りのアドバイスをするようになったのよ。なにせ、あたしは、『水上流弁当士1級』ですから。え、どうして水上流かって? そうね、ちょっと事情があるのよ。最初は、あたしのパパ(本名:水上鉄太郎)がお弁当を作ってくれた。ところが、高校で3年生にあがるころに、パパとママが離婚することになったの。
それで、弁当作りがあたしにまわってきたのよ。離婚するまでのひと月ぐらいだったかしら、毎日、パパと一緒にお弁当を作ったわ。あたしに水上流のお弁当の作り方を伝授するためにね。パパが家を出て行く日、最後の日も一緒に作ったわ。お昼に教室でお弁当箱を開けた時、定番のミニトマト、甘い卵焼き、塩もみしたキュウリを見て、涙がポロポロ落ちたわ。パパがかわいそうでしょうがなかったのね。今でも思い出すたびに涙腺が緩みそうになるわ。
離婚して、ママが親権をとり、あたしたちはママの旧姓の塩原になった。離婚したのは、パパが浮気したのが原因ということになっているけど、本当は違うわ。だから、あたしはできる限りパパの姓の水上を使うようにしているの。
いつの間にか、二人とも、卵とトマトの炒め物、ここの名物の三色中華粥をきれい食べ終わっていた。三色中華粥の三色とは、トマト、小豆の赤色、チンゲン菜、ネギの緑色、卵、ホタテの黄色の三つのことで、3つの椀によそわれて出てくる。最初のトマト入りの粥は絶品である。かすかなトマトの酸味と中華スープとご飯が何とも言いようのないハーモニーを奏でているの。いつもだったら、おいしいおいしいと言いながら食べるだけど、今日は、話に夢中になって、おいしかったのかどうかはもちろん、ちゃんと自分が食べたのかどうかも思い出せない。(時々、こういうことってあるのよね。披露宴でおいしいとされている料理を食べたはずなのに、どんな味だったか思い出せないとか。) あれ? 作戦では、あたしがきちんと料理を解説することになっていたんだけど、早由美ちゃんが真剣に話を聞いてくれたので、こちらもつい話に夢中になってしまった。
「ねぇ、早由美ちゃん、ちゃんと味わって食べた?」
「食べたわよ。おいしかったわ」
「トマトが入っていたの分かった?」
とあたしが確認すると
「えー、入っていたの! 全然わかんなかった」
うーん、やっぱりこの子もあたしと同じで、何を食べたか覚えてないのよ、きっと。トマトを認識していなかったということは、作戦は失敗かしら。その時、デザートのトマトシャーベットが出てきた。
「じゃー トマトたっぷりのシャーベットをしっかり味わってね。ちょっとしょっぱいけどね」
あたしたちは、黙々と食べた。二人とも考え事をしていたみたい。
あたしのパパとママの離婚に原因があるとすれば、パパが出来すぎだったことかしら。仕事もバリバリ、ママにもあたしたちにも愛情を注いでくれた。反対に、ママの方はかわいそうなぐらい不器用だったわ。仕事と家事のどちらかしかできなかった。パパが本当に浮気をしたのかどうかは、わからないけど、パパは、あたしにこっそりと言ったわ。『今のママにはときめかないんだよ』と。かわいそうといえば、ママもかわいそうなのかもしれないわねぇ。
中華レストランを出て、駅まで一緒に行った。別れ際に早由美ちゃんは思いつめたような顔をして言った。
「実は、私のパパとママ、あんまりうまくいっていないみたいなの。もしかしたら離婚するかもしれない。もし、万が一離婚したら、水上さん、パパと再婚してくれる?」
「何をバカなこと言っている。そんなことあり得ないわ。それに、仮にそうなったとしたら、あたしが悪者になるわ」
「そう、残念だわ。水上さんに毎日、お弁当を作ってもらったら助かると思ったのに」
と早由美ちゃんが言う。なんと、打算的。あたしは笑って答える。
「だったら、早由美ちゃんに水上流のお弁当作りを伝授してあげるわよ。いつかね。いつか」
その時は、「いつか」は、永遠にこないと思っていた。




