-陣内1-
この章は「陣内蘭子」目線で話が進みます。
-陣内1-
「なにビックリした顔してるのよ。まさか私のこと忘れたんじゃないでしょうね。」
「そ、そんなわけないじゃないか。」
「じゃあ私の名前言ってみなさいよ」
「えぇと、その……」
目の前の男は黙ってしまった。
それもそのはず。この男が私の名前を知っているはずないのだから。
私が適当に言った「圭一」という名前がたまたま当たっただけなのだ。
いや、正確に言うとまるっきり適当でもないんだけどね。
さっきまでいた女の子、武田さんの彼氏の名前「圭一」ってのを冗談で言っただけなのにこの男の慌てよう。
まさか本当にこの男が圭一なの? いや、それなら「なんでお前が俺の名前知ってるんだ?」と言い返してくるはず。
驚きすぎてそこまで頭が回らないのかしら。
まさか記憶障害なんてことはないわよね?
漂流して記憶障害だなんて小説の読みすぎかしら。いや、でもこの状況はおもしろそうね。少し遊んでやろうかしら。
目の前の男がしどろもどろになってる数秒の間に、私はそんなことを考えていた。
「俺、あなたと知り合いでしたっけ?」男が聞いてきた。
「何よ、彼女の名前忘れるなんて最低の彼氏ね。冗談は顔だけにしてよ。」
「……!?」
下手な芸人よりよっぽどおもしろいリアクションが返ってきた。思わず笑いそうになるが、ここで笑ってしまったら作戦の元も子もない。ガマンガマン。がんばれ私。
「陣内蘭子、あなたの彼女よ。どう? 思い出した?」
その後のやり取りをまとめると、男は自分の名前や住所、いままでの経緯はきちんと覚えているが、私の記憶だけはないということだ。「一緒に来た相手のことくらい覚えておきなさいよ。」と鎌かけたが「そうだよな、一人で来るわけないよな。ごめん」と言うだけだった。どうやら本当にその部分は記憶がないらしい。
そりゃそうよ。私はあなたの彼女ではないのだから。記憶があるほうが問題だわ。
あーあ、武田さんがかわいそうだなぁ。と心の中で思う私だったが、もう少し遊んでやろうと私の中の意地悪心が出てくるのであった。
武田さんというのはこの男、藤堂圭一の本当の彼女である。
離党ツアー中に転覆した船に乗っていた私はこの島に着いたときに1人の女の子に助けられた。
「大丈夫ですか~!?」
そういって倒れていた私を気づかせてくれたのが武田愛だ。彼女もこのツアーに彼氏と参加していたらしいが、一緒に海に放り出されたようだ。
助けてもらってから2人で雑談をしていると「圭ちゃんはね。あ、圭一って言うんですけどー」といってご丁寧に彼氏の名前まで教えてくれた。
その時は「ちくしょう、のろけやがって。所詮この世の男はあんたみたいな天然っぽい女が好きなのよね。」と、僻みっぽくなっていたが、まさかこんなにおもしろい状況になるとは思いもしなかった。
そのとき名前を聞いていた「圭一」を近寄ってきたこの男に適当に言ったところまさかのビンゴ。こんなイケメンなら本当に私の彼氏にしちゃおうかしら……なんていう算段が私の中に浮かんだのだった。
遠くから「陣内さーん」と呼ぶ声が聞こえてきた。武田さんだ。
「あの子は誰ですか?」圭一が聞いてきた。
「武田さんよ。覚えてない?」と白々しく答えると、数秒考えたのち「いや、知らない人ですね。」といった。
藤堂圭一がこう答えたとき、私はもう少しこの状況を楽しむことを決めたのだった。