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勇者様、貴女はダンジョンの「肌触り」を確かめたことがありますか。
通常、それはゴツゴツとした岩肌であり、湿った苔のヌメリであり、どこか生き物の腸内を思わせる有機的な感触であるはずです。
しかし、私の支配下にあるこの地下空間は違います。
ツルリ。
指先が滑るほどの、異常な平滑さ。
かつて天然の鍾乳洞だった壁面は、私のスキルによって強制的に削り取られ、磨き上げられ、まるで都会の百貨店の床のように、冷たく、硬く、そして死人のように白く整えられています。
(ああ、なんて美しい直角だろう)
私は硝子の檻越しに、その光景をうっとりと眺めておりました。
直角に交わる通路。等間隔に並べられた青白い魔法灯。そこには自然界の「揺らぎ」など一切存在しません。あるのは、徹底的な管理と効率のみ。
そこに、一匹の薄汚いネズミが迷い込んできました。
貴女のパーティで「斥候」を務めていた盗賊の男ですね。私を追放した日、「お前の取り分で酒を飲むのが楽しみだ」と、私の顔にエールを浴びせかけた彼です。
彼は今、変わり果てたダンジョンの入り口で、ガチガチと歯を鳴らしていました。
無理もありません。
彼が見ているのは、魔窟ではありません。「異界」です。
壁には、無機質な白いタイルが規則正しく貼られ、松明の暖かみなど微塵もない青白い光が、彼の顔色を土気色に照らし出しています。
そして、その通路の奥から、ズシン、ズシンと、規則正しい足音が響いてきました。
「ひ、ヒィッ……! ド、ドラゴン……!?」
盗賊の男が悲鳴を上げ、無様に尻餅をつきました。
ええ、そこには私の忠実な社員、魔竜君がいました。しかし、勇者様。彼が何をしているか、よくご覧なさい。
彼はかつてのように咆哮を上げ、冒険者を威圧しているのではありません。
その巨大な爪で、壁にはみ出した数ミリの突起を、ヤスリで丁寧に、神経質に削り取っているのです。
『グルル……ノルマ……本日ノ、ノルマ……』
うわ言のように呟きながら、目の下に濃い隈を作り、口の端から泡を垂らして単純作業を繰り返すSランクモンスター。
その瞳には、もはや野生の輝きはありません。あるのは、納期に追われる労働者の、濁った絶望だけ。
その光景は、盗賊にとって、ドラゴンに食い殺されるよりも遥かにグロテスクで、生理的な嫌悪感を催すものだったに違いありません。
(ククク……そうだ、もっと怯えろ。その脂汗の一滴までが、私の財産だ)
私は、指先で宙を弾きました。
╔══════════════════════════════════════╗
║ 侵入者検知:人間(盗賊Lv.35) ║
║ アクション:【強制面接】発動 ║
║ 消費コスト:500 MP ║
╚══════════════════════════════════════╝
カタリ。
盗賊の足元の床が、音もなくスライドしました。
彼が落下したのは、剣山のある落とし穴などという、安直な場所ではありません。
彼は、滑り台のようなダクトを滑り落ち、私のいる最下層の「社長室」の直上にある、「未処理書類保管庫」へと直送されたのです。
ドサリ。
モニター越しに、重たい肉の落ちる音がしました。
「あ、あ痛ぇ……な、なんだここは……? 壁が……迫ってくる!?」
彼が顔を上げると、四方の壁から、無数の書類の束が、雪崩のように彼を埋め尽くしました。それは、このダンジョンの拡張計画に必要な、膨大な申請書類の山です。
そして、部屋の中央にあるスピーカーから、私の声を届けました。
かつて貴女たちが私に向けたものよりも、ずっと丁寧で、ずっと陰湿な、底冷えのする声色で。
「ようこそ、弊社へ。君にはそこで、事務処理を手伝ってもらうよ。期間は……そうだな、死ぬまでだ」
「な、なんだ!? 誰だ!? だ、出せ! ここから出せぇぇ!!」
彼の絶叫が反響します。
狭い、狭い、書類の箱の中。
鉄の扉は閉ざされ、彼の腕にはいつの間にか、呪いのアイテム「社畜の腕輪」が嵌められていました。彼が書類を1枚処理するたびに、私にはチャリンと数円が入る仕組みです。
勇者様。
貴女の仲間は死んだのではありません。
ただ、2畳半の閉鎖空間で、永遠に終わらない単純作業を繰り返す「椅子」の一部になっただけなのです。
モニターの中で、彼が発狂したように羊皮紙にペンを走らせる姿を見ながら、私は冷えた葡萄酒を一口含みました。
なんて芳醇な、勝利の味がするのでしょう。
これで「現場」には魔竜、「事務」には盗賊。
私の会社も、ようやく組織らしくなってきましたね。
次は、そうですね。
貴女たちが頼りにしている「聖女様」あたりを、引き抜きしたいものです。彼女の治癒魔法があれば、社員たちを「24時間不眠不休」で働かせても、壊れることがなくなりますから。
ああ、想像するだけで……ゾクゾクしてきませんか?




