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勇者様。
貴女は「ドラゴン」の肌に触れたことがおありでしょうか。
硬い鱗の冷たさ、その奥でドクンドクンと脈打つマグマのような血管の熱。そして何より、人を虫けらのように見下ろす、あの黄金色の瞳が放つ、突き刺すような圧力。
私の目の前に現れたのは、まさしく「災厄」そのものでした。
森の木々を爪楊枝のようにへし折り、その巨体が着地した瞬間、地面が悲鳴を上げました。鼻孔から噴き出す硫黄の臭気が、私の肺を焼き尽くさんばかりに満たします。
伝説に謳われる「滅びの魔竜」。本来ならば、Fランクの私など、その咆哮だけでショック死していたことでしょう。
(ああ、なんて美しい暴力だ)
けれど、私の身体は恐怖で震えていたのではありません。歓喜で震えていたのです。
硝子の檻越しに見る彼は、恐怖の対象ではなく、あまりにも魅力的な「未開拓の資源」に見えたのですから。
「――グルルルル。人間風情が、我が眠りを妨げるか」
地響きのような声。私の鼓膜は破れんばかりです。
彼は巨大な顎を開き、喉の奥に赤い地獄の炎を溜め込みました。私を灰にするつもりなのでしょう。
しかし、私の指先は、貴女の髪を撫でたあの夜のように優しく、空中の操作盤を滑りました。
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║ 対象捕捉:滅びの魔竜(SSR) ║
║ 適性解析:重機・解体・大規模破壊 ║
║ 契約形態:強制労働(24時間365日) ║
║ 報酬設定:時給 300 ェン(換算値) ║
╚══════════════════════════════════════╝
カチリ。
決定ボタンを押したその音は、世界で一番静かで、残酷な音でした。
「な、なんだ……!? 貴様、我に何を……が、あぁぁああ!!」
魔竜の動きが止まりました。
いえ、止まったのではありません。「見えない鎖」が、彼の全身の筋肉、骨、そして魂の根幹に絡みついたのです。
私は見ました。
誇り高き竜の瞳孔が、恐怖と混乱で見開かれ、そしてゆっくりと、私の意志に従属する濁った色へと染まっていく様を。
彼の喉奥で渦巻いていた炎が、霧散していきます。殺意が消え、代わりに植え付けられたのは、抗いがたい「労働への渇望」です。
「我が……我の身体が、勝手に……!」
魔竜は涙を流さんばかりに悶えていました。
自分の意志とは裏腹に、その巨体は私の命令を待ちわびて、犬のように平伏してしまうのです。プライドをへし折られる音。それは、どんな音楽よりも私の耳をくすぐりました。
私は、まるで旧友に話しかけるように告げました。
「採用だ。まずは北の岩山を削ってきなさい。更地にするんだ」
魔竜の瞳に、絶望と屈辱の色が浮かびます。
世界の覇者たる自分が、ただの土木工事に使われる。その事実は、剣で斬られるよりも深く、彼の精神を抉ったことでしょう。
「ウ、ウゥ……御意……社長……」
彼は屈辱に震える声でそう絞り出すと、重たい翼を広げ、北の空へと飛び去っていきました。
数分後。
ドロリ、ドロリ。
私の身体の芯に、先ほどのゴブリンとは比較にならない、濃密で強烈な奔流が流れ込んできました。
彼が岩山を砕くたび、その圧倒的な破壊のエネルギーが「経験値」と「金」に変換され、私の血管を巡るのです。
(あぁ……あぁッ! すごい、これはすごいぞ!)
私は森の土の上で、一人、身をよじりました。
まるで最高級の美酒を浴びるように、Sランクの労働力が私を満たしていく。
彼が汗を流せば流すほど、彼が己の運命を呪えば呪うほど、私は強くなり、豊かになる。
勇者様。
貴女たちが命がけで戦っている間、私はこの森で、竜の生き血を啜りながら、まどろむことに致しましょう。
私の「会社」は、まだ始まったばかりなのですから。




